第十二話:紅茶
これでもかという食材を両手いっぱいに抱えて沙南と柳は天宮家に向かう。沙南がいなければどうにもならない成長期の欠食児童と一般成人男性よりエンゲル係数の高い兄達がいるため、毎回の買い物はかなりハードなものらしい。
そして、天宮家について玄関を開けると男物の靴が一つきちんと揃えられて端の方に置かれている。翔や純のような運動靴でもなく、サイズも彼等より数センチ大きな小洒落た革靴。そんな靴を履くのはこの家では一人だけ。
「ただいま〜!」
「お邪魔します」
リビングの扉を開けると柳は目に飛び込んできた人物に心臓を鷲掴みにされた。夢に出てきた絶世の美貌を持つ人物が目の前に現れたのだから……
「お帰りなさい」
優美な笑み浮かべてを二人を迎えてくれたのは秀だ。
写真で秀の顔を見ていたとはいえ、実際に出会うと顔が赤くなってしまいそうになる。それだけこの目の前にいる青年は美しく、人を簡単に虜に出来る魅力の持ち主だ。
しかし、啓吾とどこか似た雰囲気を持つ青年だったため、普通の女性がしそうな失礼なリアクションはせずに済んだ。
これもどちらかといえば美形の部類に入る兄を持っているため、美形に多少の免疫があったのかと柳はそう思い、心の中で啓吾に感謝した。
「紹介するね、私の親友の篠塚柳ちゃん」
「はじめまして、いつも妹達がお世話になっています」
柳が丁寧に頭を下げると秀は微笑みながら言葉を紡ぐ。
「いえいえ、兄の秀です。特に弟の翔が毎日紫月ちゃんにご迷惑をおかけしているようで……」
「いいえ、こちらも夢華が毎日お邪魔させていただいて……」
手のかかる下の弟妹を持つ者同士、心境は似ているところがあるらしい。
そんな二番目産まれ同士を沙南はチラチラと見ると、彼女は悪戯を思い付いたと言わんばかりの笑みを浮かべ、もっともな理由を述べてその場から退散することにした。
「秀さん、少しの間柳ちゃんの相手してあげて。洗濯物片付けてきちゃうから」
「分かりました」
あら珍しい、と沙南は目を丸くした。何度か沙南の友人が秀と対面したことはあるが、穏やかな表情を見せたことは皆無だったから……
沙南達が買ってきた大量の荷物を二人で冷蔵庫に詰め込んだあと、秀はふんわりした笑みを柳に向けて尋ねる。
「柳さん、紅茶とコーヒー、どちらがお好きですか?」
「では紅茶を……」
「はい、少し座って待ってて下さいね」
二人きりにされてしまうとさすがに柳の鼓動は落ち着かなかった。秀が紅茶を作るその動作でさえ綺麗だと思ってしまう。
顔に出るな、と必死に自分に言い聞かせながらもなぜか視線は秀からはなせない。
この気持ちはなんだろうと思いながらも、答えはやはり出てこなくて……
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます……」
手際良く作られた紅茶が温かな湯気と甘い香を漂わせて柳の鼻を掠める。いただきます、と告げてそれに口付けると、柳は穏やかな表情を浮かべる。
砂糖まで柳好みにいれてくれたようで、一口飲んだだけでその味の虜になってしまった。
「美味しい……」
「そうですか、それは良かった」
「秀さんは温かい人なんですね」
「えっ?」
突然告げられた言葉に秀は驚いた。いつも彼に対する女性の態度といえば、騒がれるか朱くなられるか、または迫られるかである。
それを全く見せず温かい人と評価を受けたのは初めてだった。
「美味しい紅茶をいれてくれる人はとても心の温かい人なんだと兄が言っていましたから」
「ああ、啓吾さん」
「あら、もう兄にお会いしてたのですか?」
「ええ、病院に顔を出したときに啓吾さんに会いました。ですがこう…柳さんには失礼かも知れませんが、そんな事を言う人には思えなくて……」
確かに自分の兄がそんなロマンチストみたいな言葉を口にした時、柳も良い顔で笑った。啓吾のイメージは甘い紅茶よりブラックコーヒーだ。
普段の彼からは「温かい」なんて言葉が出ること自体稀である。
「ふふっ、その通りです。私も聞いたとき耳を疑いましたから。
だけど秀さんが作ってたのを見てそう感じたんです。秀さんと兄は少し似てるのかもしれませんね」
柔らかく笑うその表情に秀は珍しく目を奪われた。
遠い過去、どこかで感じたことのある居心地の良さと懐かしさが胸に込み上げてくる気がして……
「……不思議ですね、柳さんに言われてしまうと普通は嫌なことですら穏やかなままでいられる」
「あっ! すみません、変なこと言ってしまって……それに兄のこと御嫌いでしたか?」
「とんでもない、面白い人間は心から嫌いにはなれません。
それに沙南ちゃんがなぜ柳さんと親友になったのか、その理由も分かりました」
にっこりと秀が笑ったところで沙南がリビングに入って来た。
「柳ちゃん、待たせちゃってごめんね! あら、秀さんが紅茶いれたの?」
「ええ、翔君達の恩人ですし、沙南ちゃんが凄く気に入ってる理由も分かりましたし」
秀が沙南に向ける悪戯っぽい笑顔に、秀の魂胆を沙南は瞬時に感じ取った。
「あっ! その顔は私と同じこと考えてるなぁ?」
「さあ? どうでしょうか」
さすが兄妹のように育った仲である。その会話は見ているものを楽しませてくれる。
「じゃあ、僕はワインを選んできますから柳さん、今日は楽しんでいって下さいね」
「はい、ありがとうございます」
秀は機嫌良さそうにリビングから出ていった。秀が珍しいぐらい機嫌が良いと知れば、翔なら間違いなく悲鳴を上げるだろうが、沙南の見解は別だった。
「……柳ちゃん秀さんに気に入られたのね」
「えっ?」
「秀さんね、普通紅茶はティーパックしか出さないの。特に女の子はね。
だけど柳ちゃんのは紅茶の葉から作ってるから、よっぽど好感度が高かったのかな」
沙南にそう言われて初めて柳は頬を朱く染める。指摘されて今まで緊張していた分の熱が顔にたまっていくような感覚と、自分に少しでも好感を持ってくれたことがこんなに恥ずかしいものかと思えるほどで……!
これは思ってた以上のリアクションかも、と沙南は悪戯な笑みを浮かべた。
「あら? 柳ちゃん顔朱いわよ?」
「沙南ちゃんっ!!」
「そっかあ、だけど秀さんに柳ちゃんを渡すのは勿体ないなぁ」
「も〜からかわないで!」
必死になって否定する柳がとても可愛らしい。それが沙南のツボにはまったらしく、彼女は柳をぎゅっと抱きしめる。
そんな二人のやり取りを、リビングから少しはなれたところで秀は楽しそうに聞いているのだった。
やっと現代で秀と柳ちゃんが絡んだぞ〜!!
夢の中のように早く秀さんを暴走させてやりたいなぁ(笑)
だけどそれに反対する啓吾兄さんも早くみたい。
沙南ちゃんと柳ちゃんは活発と穏やかという対比させた親友なので、書いてる方としては恋バナをさせやすいです。
柳ちゃんを沙南ちゃんがからかう構図って好きですよ。