第百十七話:ピンの使い道
少しずつ風の力が戻って来たように感じた紫月は、一度手に軽く力を溜めてみる。完全とは言えないが、普通に飛ぶには問題なさそうだなと思い立ち上がった。
「翔君、行きましょうか」
「もう大丈夫なのか?」
「ある程度ですね。足手まといにはなりませんよ」
「分かった」
翔は頷き窓を開けた直後だった。館内中にサイレンが鳴り響く! おまけに赤いランプがこの部屋だと知らせるように回り、追撃者達は集まって来た。
「いたぞ!! この部屋だ!!」
「なんで翔君がいるといつもこう……!!」
「今のは不可抗力だろ!」
しかし、言い争ってる時間はない。二人は外に飛び出した。
「翔君!! 捕まってください!」
「オウ!!」
体がふわりと浮かび上がり、一気に東棟二階まで飛んでいく!
「オラッ!!」
翔は窓を派手に蹴破って中に入ると、二人はすぐに駆け出した。
「小僧どもは東棟へ逃げたぞ!」
「早く追え!!」
再び鬼ごっこが始まったのである。
「東棟へ!?」
「はい、女が疲労しているために飛ぶ力があまり残ってないのではないかと……」
解剖の準備をしていたロバートと檜山の元に二人の動向を知らせる報告が次々と入ってくる。あの兄達にしてあの弟妹ありかとは思うが、このまま好き勝手にさせておくわけにはいかない。
「檜山先生、すまないが少し待っていてもらえるかい?」
「はい、ですがお早めに」
「もちろん」
ニヤリと笑ってロバートが部屋から出た後、檜山は傍にいた助手に命じた。
「おい、東棟にあれを放て」
「えっ! ですがここはハワードの施設ですよ!?」
「構わん。それにあの小僧どもはそう簡単には捕まらんよ。何よりダニエル博士がせっかく用意してくれたんじゃ、ここで使わずにいつ使うんじゃ?」
いつになく檜山は不気味な笑みを浮かべる。それに悪寒を感じた助手は一礼してオペ室から出ていった。
「どけぇ〜!!」
「うわあ!!」
次々と向かってくる追撃者達は簡単に翔と紫月に悶絶させられる。もはやレーザー砲にも慣れたのか、弾道だけ見極めて遠慮なく破壊していく。
「紫月! どっちだ!」
「そこをまっすぐ!」
「あれか!!」
真っ正面のドアを蹴り飛ばして破壊すると、いかにもそこだけ別空間というような個室が目の前に広がった。
数々の調度品が置かれており、いかにも高級ホテルの一室というところか。
「パソコンは……」
「ありましたよ。少し気持ち悪い部屋ですけど……」
隣室の扉を開ければ、そこにロバートのプライベートルームが広がっていた。数々の生物の標本が置かれ、おまけに奇妙な薬品まで揃っている。
薬ならば秀あたりが見ればまだ興味を示すだろうが、奇形した人の脳などはあまりみたいものではない。
しかし、医者の家系じゃなければ気持ち悪さでとてもハッキングなんて気は起こらなかったであろう部屋に、紫月は免疫を付けてくれていた自分の家庭環境に少し感謝した。
「これでダニエル博士の情報を掴める」
紫月は髪留めを一つ抜くと、それをUSBメモリの差し込み口に差し込んだ。しかし、一体何の意味があるのかと翔はもっともな問いを投げ掛ける。
「ん? ピンなんか差し込んでどうする気だ?」
「これはメモリーディスクですよ。それも世界最大の容量と世界最速の保存が出来るものです」
「ふ〜ん。だけどさ、そのピンどっかで見た気が……」
「ああ、これは夏祭りの時に秀さんが射的で落としてくれたかんざしですから。それを改造してこのようにしてもらったんです」
「なんで!?」
「そうですね、やはり姉さんに悪い気もしてましたから別の利用法を考えた方がいいかと思いまして」
「それでメモリーディスクか……」
紫月らしいといえば紫月らしい。
姉に気を遣いつつもかんざしの飾り自体は気に入っていたため、何かに使いたいという理由から誕生したのだという。
「だけどさ、そう簡単にハッキングとかって」
「出来ました」
「えぇ〜っ!?」
パソコンを起動してまだ数分も経っていないというのに実に手際がいい。これも秀に鍛えられている賜物ということなんだろうか。
しかし、簡単にハッキング出来た理由を紫月はあっさりと答えてくれた。
「ダニエル博士と何度かコンタクトを取ってたみたいですからね。全く手がかからなくて助かりました」
「それだけで普通なんとかなるものか?」
「秀さんに鍛えられてますから」
それだけで説明になるというのが実に恐ろしい。それから紫月は何やらメールを打ち始め、それをダニエルに送信した。
「さて、これで乗って来てくれるといいんですが……」
「なんて打ったんだ?」
「情報は頂いた、悔しかったら俺を捕まえに来い。天宮翔より」
「なんでだよ!」
なぜか翔の名前を使って秀も紫月もダニエルにコンタクトを取っている。そろそろ都合が良いという理由を知りたいものだ。
そんな悩める少年の機嫌もあることだろうし、少しだけはヒントをあげようかと、紫月はチラリと今回の事を振り返ってもらうことにした。
「翔君、ダニエル博士が今まで私達に仕掛けて来た科学兵器を覚えてますか?」
「えっと、レーザー砲に龍兄貴の人形、それにあのグリフォンか? あっ、俺が破れなかった網もか?」
意外と少ないな、と翔は思う。もちろん、場所が場所だからというのもあるだろうし、兄達にもいくつか他の兵器が差し向けられている可能性はある。ただ、これらには共通点も存在している。
「はい、おそらく私達が手を妬いたものはダニエル博士が関わっているはず。
しかし、まだどう考えても序の口で、おまけに彼の最近研究していた兵器が出て来ていないことも気になります」
「ちょっと待て、まさかそれを出させるために俺の名前を使ってるとか?」
「もちろんです。寧ろ翔君じゃなければ相手を出し抜けない兵器なんですよ」
そう答えて紫月は微笑を浮かべた。これだけヒントを出せば充分だろう、とでも言いたそうな顔である。
そんないかにもまだ裏がありそうな笑みに、何だかなぁ、と翔は不満の一つでも言いたそうな表情を浮かべるが、篠塚家の参謀はそのうち分かるとまだ全てを明かすつもりはないらしい。
「さっ、これで記録は終わりました。後はメールの返信が来たら良いんですが……」
紫月はピンをまた髪にさすと臨戦体制を整えた。どうやら次の刺客がやって来たらしい。
「紫月、メールの返信待つか?」
「無理なようですね。パソコンに被害を出さずに戦える相手ではなさそうですから」
二人が入口を見れば、そこには入口を塞ぐほどの大きなドーベルマンが立ち塞がっていた。しかも額には殺傷能力の高そうな金属の角まで生えている。
「グリフォンの次は番犬かぁ」
「翔君、私は今回はあまり力使いませんからね。ちゃんと倒してくださいよ」
「ああ! やっぱり少しはカッコイイとこ見せねぇとな、男なんだし」
翔はニッと好戦的な笑みを浮かべた。
ついに夏祭りで秀から射的で打ち落としてもらったかんざしの使い道が明らかに!
柳ちゃんに悪いからという理由で、ピンに変形させたメモリーディスクにしてしまうとは……
さすが秀さんの妹分です!
しかもハッキングを余裕でこなせるようになってます(笑)
そして解剖マニア達もついに動き始めました。
檜山が放てといったドーベルマンが翔達の前にやってきていますがどうなるやら。
さらにロバートは何を仕掛けてくるのか?
翔、次は紫月ちゃんにカッコイイとこ見せてよ!