第百八話:降参
楢原の顔は真っ青になった。啓吾の腕は紗枝の手首を掴んで自分を殴るのを止めたが、それ以上の殺気がたたき付けられて体中から冷汗が流れてくる。
自分を射抜く鋭い眼光は能天気な表情を浮かべていた啓吾とは全く違う。まるで幾人も殺して来た目だ。
「……どうして止めるの? 一発ぐらい殴ったって罰は当たらないわよ」
啓吾の手に振動が伝わる。確かに紗枝の言った通りだろうがもうやらせるわけにはいかなかった。一つ溜息を吐いて自分の方に彼女の体を向ける。
「ったく……」
啓吾はふわりと、しかし強く紗枝を抱きしめた。いつもならストレートパンチぐらいお見舞いしている彼女が、ただ啓吾の胸を押して引き離そうとする。
「何すんのよ……離して」
「もういい。お前少し大人しくしてろ」
「理由が分からないわよ……この節操無し」
「お前な……」
すっと目元に啓吾の指先が触れる。
「泣いてる女も抱きしめられないほど俺は冷たくないの。だから大人しくしとけって」
敵に泣き顔見せるのなんてもっと嫌いなんだろと言ってふわりと抱きしめて頭を撫でてやる。
そこでようやく気付いたのだ。自分が泣いていたこと……
泣きそうな時にかけられる優しい言葉は嫌いだった。
それは悔しくて苦しくて、だけど残酷なぐらい優しいと分かっているから。無敵でいることが自分の弱さだと分かっていたから、それをあっさりと受け入れてくれる存在が少ないから強くいられるのに……
紗枝は啓吾の肩を叩いて抗議した。
「やっぱりあんた最悪……!!」
「へいへい、俺は龍と違って手が早いからな」
そう言って苦笑する。本当に大人しい女だったなら今すぐに手を出すんだけどなと心の中で思うが。
そして先ほど啓吾の殺気を浴びて震え上がっている楢原ににっと笑って告げた。
「まっ、そういうことだからお前もう二度と紗枝の前に現れんな。邪魔だから」
「なっ!?」
「こいつは俺の女になる。そう言ってるんだ」
挑戦的な視線を楢原に向ける。しかも男の色香まで漂わせるようにその腕は紗枝の脇腹すっと上がった。
しかし紗枝はそう言い出した啓吾の目的に気付いたのか、すぐさまそれを取り消させようとした。
「ちょっと! いくら啓吾でも!!」
「だから大人しくしてろって言ってるだろ。あんまり抵抗すると本気で足腰立たなくするぞ」
紗枝は絶句した。いや、正確に言えば頭を胸に押さえ付けられて声を封じられたといった方が正しいが……
すると楢原は恐怖を通り越したのか、いきなり狂ったかのように笑い出した!
「はっはははは……!! 何を言い出すかと思えば……さっきの話を忘れたのか!? お前はどれだけの権力者達を相手を敵に回すのか分かってるのか!?」
その通りだ。高原の後釜を狙う者達はもちろん、ハワードが楢原のバックにいることは確実、おまけに菅原財閥にも内通者がいて、十年前に自分の母を殺した別の力も存在するという。
おそらく楢原はその後ろ盾があったからこそ、この若さで高原の後釜に一番近いと言われていたのだろう。だからこそ自信満々で自分にも近づいて来たのだ。
しかし、啓吾はそんなものは関係ないと、紗枝は自分の女になると言い切った。きっと泣いた自分を見て、そんな自分を守るために突いて出て来た言葉だとは分かる。
それでもその全てを敵に回すということがどれだけ危険なことなのか、啓吾は分かっているはずだ。
だが、楢原以上に啓吾は勝ち気な笑みを浮かべて答えた。
「さあ? だが、うちの大将をなめんなよ? どれだけ圧力をかけて来てもあいつは全てはね返す。多分今頃、十年前の事件もお前の後ろ盾のことも全て黒澤にでも吐かせてるだろうよ」
「えっ?」
紗枝は目線だけ上に向ければ「あいつはとっくに御見通しだ」と笑っていた。
きっと何も言わなかったのは、自分達を危険な目に巻き込まないためなんだろうが。
「それに菅原財閥以上の力を持つ組織など限られている。そいつさえ潰せば問題ない。ていうか絶対あいつらは潰す!」
特に天宮家の次男坊が……と啓吾は続けられなかった。
秀のことだ、今回の件が一段落すればそれはもう一瞬のうちに全てを片付けるに違いない。それに紗枝が苦しんでいる元凶達に対して天宮兄弟が動かないはずがないのだ。
啓吾にとって世の中で一番敵に回してはいけないのは、間違いなく天宮兄弟だと確信している。
「それに、だいたいお前こそ俺が言ったことを忘れたのか? こいつは普通の男じゃ満足しないって忠告しといたはずだぜ?」
「ああ、覚えてるよ。それによく分かったさ、僕が全てを手に入れたとき一番相応しい女だとね」
にやりと楢原は笑った。本当に諦めの悪いと、啓吾はここまでしつこいと逆に称賛してやりたくなるなと思う。それと同時に非常に面倒臭さまで感じる。
「まったく……本当にいい女は変な男に好かれるよな」
ポンポンと紗枝の頭を叩いてやりながらどうするかなあと考えていると、抱きしめていた女から彼女らしい言葉が零れる。
「どういう意味かしら」
声が少しだけ落ち着いたようだ。抱きしめていた力を少しだけ緩めてやると泣いた跡だけは残っていて啓吾を見上げる。
意地っ張りというか強がりというか……と啓吾は苦笑した。本当に普通の男じゃ手に負えないだろうなと……
そして心の中で今回は降参だと呟いて楢原に告げた。
「ああ……楢原、お前本気で諦めろ」
「ははっ、また脅迫でもするのか?」
「いや? ただ俺の邪魔」
「えっ?」
紗枝の頭は真っ白になった。顎を指で固定されたかと思えばそのまま啓吾に口づけられていた。
なんか啓吾兄さんが最近色っぽくなってきた……
まあ、三章ではそう書きたいから書いてるわけですが(笑)
それに紗枝さんの弱さも出さないと本当にお嫁のもらい手がね……
みんな心配していますからね……
次回は完全に十五禁だろうなと思います。
一度本気でラブシーンを書いてみたくなったので挑戦しようと。
まあ、啓吾兄さんの策略とともにお楽しみください。
だけど実際に付き合っている秀さんは絶対内容が十八禁になるのでやらせるわけにはいかないなと……
いや、秀ならそれ以上のことやりそうで怖い……(笑)
もちろん龍さんなんてねぇ……
うん、未成年には手を出さないと決めてますからね(笑)
では、また次回……