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5 白い少女

(白いな)


 色とりどりの花や鳥たちが描かれた壁紙、天蓋付きのベッド、ぬいぐるみ、小物入れ…

「これは……ずいぶんと可愛らしい」

ユーリヤルドの言葉はライアンが人生で覚えのない感覚を呼び覚ました。

(ああ、可愛らしい、か。そうだな、これは可愛らしい)


 アズベルからの合図で部屋に下りたライアンを、見事なカーテシーで迎えたのはどこからどう見ても少女だった。


「名は?」

「シャルルローゼ・メローナ・ダッガードにございます」


「ダッガード王室に王女がいるとは初耳です」

ユーリヤルドが小声で伝える。


「ここに逃げていたのか」

「………逃げていたのではございません」

「ではなぜここにいる」

「ここは私の部屋にございます」


 たしかに急場しのぎの隠れ部屋とは言い難いほど全てが完璧でなんでも揃っていた。ここが地下深い場所だと忘れそうなくらいだ。


「まぁいい、座れ」

部屋に一脚しかない長椅子にシャルルローゼを座らせ、自らはテーブルに腰掛け向かい合った。


(白いな)

 ゆるくウェーブがかり腰あたりまで伸びた白銀の髪、陶器のように真っ白な肌に薄い琥珀色の瞳。ぷっくりとした赤い唇が際立つ。


 突然現れた男達に囲まれているわりには落ち着いている。状況がわかっていないのか、肝が据わっているのか。


「年は?」

「14…もうすぐ15になります」

(エマンダと変わらないな。もう少し幼いかと思ったが)

「ここはお前の部屋か」

「はい」

(遊び部屋かしつけ部屋…にしては豪華だな)


 部屋を見渡す。ユーリヤルドと騎士達があちこち見回っている。

 アズベルは少女の後ろに立ち、まるで兄のように心配そうに少女を見ている。


「ここにはいつからいる?」


(1週間、いや2週間前か?我々の侵攻には気づいていなかったはずだが…)


「ずっと」

「ずっととはいつだ」

「生まれた時から…でしょうか…この部屋から出たことはございません」


 全員の動きが止まった。


「出た……ことが…ない?」

「はい」


「それは……なぜだ」

「外に出たら死ぬと」

「誰に言われた?」

「父様です」

「あの男か」

「あの…父様は…」

「死んだ。今、この国は我々ワグドゥナード王国の支配下だ」

「ワグドゥナード…王国」

「そうだ、我々が侵攻した。俺はワグドゥナード国王だ」

「…はい」

少女は父親の死に眉ひとつ動かさない。それだけ希薄な関係だったのだろう。


「お前の兄達も死んだ」

「…兄達?」

「そうだ、2人……まさか知らないのか?兄達を?」

「…はい。知りません」


「そんなこと…きょうだいなのに…なぜそんなこと…」

「アズベル、陛下がお話し中だ」

思わず声を発したアズベルをユーリヤルドが諫めた。


「兄達に会ったことはないのか?」

ライアンが続ける。

「ありません」

「では母親は?」

「私が幼い頃に亡くなりました」


 おかしい。王妃は王子達と一緒にワグドゥナード軍の手に落ちた。

(側妃の子どもか……)


 くぅ~ぅぅ。

 可愛らしい腹の虫の鳴き声に緊張していた空気が緩む。


「ユーリヤルド、上にあった食べ物を持って来させろ」

ユーリヤルドが部屋の入り口に立つ騎士に伝える。


「昨日から食べてないのか」

「昨日は…侍女は来ておりません」


(昨夜は未遂だったか)


「いつから食べていない?」

「………」

少し首を傾げる仕草が子どもらしい

(これも可愛らしいということか)

「食事はどうしている?」

「マーサ…侍女が運んでくれます。ここ数日はいつ来れるかわからないからと多めに持ってきてくれていました」


 騎士が持ってきたリンゴやパンをテーブルに並べる。たしかに華奢なこの少女には多い量だ。

「食べていいぞ」

しかし少女はなかなか手を出さない。キョロキョロと目だけで周りに立つ男達を見回している。


「では俺はリンゴをもらうぞ。俺も腹が減った」

ライアンはリンゴを囓った。

「アズベル、お前も食っていいぞ。皆も許す」

「では俺はパンを」

ライアンの意図を汲み取ったアズベルが手を伸ばす。やいやいと急に部屋が賑やかになった。


「早く食わないとコイツらに全部食われるぞ」

ライアンに促され、おずおずとパンを手にした少女がふふっと笑った。

「パンが嬉しいのか?」

「いえ…」

「なんだ」

「ずっと1人で食べていたので…誰かと一緒に食事をするのが不思議で…嬉しい?というのでしょうか」


「食事も1人か」

「はい。陛下はどなたかとお食事をとられるのですか?」

「そうだな…そういえば俺も食事は1人でとる」

言われてみれば自分も幼い頃から食事は1人だ。


「だが大勢で食べることもある」

「どんな時ですか?」

「遠征の時、舞踏会や会食もある」

「舞踏会!」

「好きか?」

「行ったことがないので好きかどうか…」

愚問だった。

「でもどんなものかは本で読んだことがあります」

「本で…」

「はい。夢のような場所だと読みました」

微笑みながら視線を落としパンを齧る少女に諦めと寂しさを感じたのはライアンだけではなかった。


「これだけキレイなドレスや靴があるのに」

憤りが込められたアズベルの声は今ここにいる全員の思いだった。


「本を読むのは好きですか?」

ユーリヤルドが優しく尋ねた。

「はい、好きです!」


(それはそうだろうな。ここでできるのは本を読むことくらいだ)

ライアンの中にも苛立ちが芽生え始めた。


「字は誰に教わったのですか?」

「お母様です。でもお母様が亡くなってからはハーマン様に」

「ハーマン宰相?家庭教師の先生などは?」

「いいえ、ハーマン様だけです」


(存在を隠すのが最優先だとしたら部外者は除外だ。とするなら側近。俺もユーリヤルドを教師に選ぶな)


「この部屋に来たことがあるのは父親とハーマンだけか?もちろん侍女も来ただろうが」

「あとは……」

「誰が来た?」

(誰かいるな…誰だ?)

「…………」

ライアンは待った。


「言ってはいけないと父様が」

「もう父親はいない。これからは俺に従えばいい」

「陛下に?」

「そうだ、俺の言うことだけ聞き、俺の言う事だけを信じろ」

(お前は俺の捕虜だ…そう、ダッガード王族の生き残り、それは即ち我が国の捕虜だ………)

そう考えながらも、自身の内側で何かしっくりこないものを感じた。

(何も間違っていない。目の前にいるこの少女は捕虜でしかない……しかし…なぜ俺はこんなにも腹が立つ?)


「教皇猊下です」

シャルルローゼの思いもしない言葉にライアンの思考が遮断された。

「教皇だと?」

「ここで出るのか」

ライアンとユーリヤルドの声が重なった。


「教皇がここに?この部屋に来ていたのか?」

「はい」

「それは…祈祷…などですか?」

「いいえ、そうではありません」

少女はユーリヤルドの質問をはっきり否定した。

「ではなぜ教皇猊下が…」

「それは……言わなければいけませんか?」

その瞬間、全員が同じことを考えた。

(まさか教皇はこの少女を…)


「いや、今日はもういい。さぁ上に戻るぞ」

「あ……」

少女の目が一瞬にして曇った。俯いてしまったか弱く小さな姿に胸がざわつく。


「陛下、どうしますか?」

ユーリヤルドが耳打ちをしてきた。もちろんシャルルローゼをどうするか、ということだ。


「行くぞ」

ライアンは一瞬の躊躇もなく少女を抱き上げた。

「え?」

「なんだ?置いて行かれると思ったのか?」

「………はい」

 抱き上げたことで近づいたその丸く大きな瞳には薄っすらと涙が浮かんでいる。

(美しいな)


 脳裏に浮かんだ言葉に思わずたじろぐ。彼は今まで生きてきて一度も女性を美しいと思ったことはなかった。ただの一度も。上辺だけの「美しい」なら数百回でも口にしたことはあるが。


「外に出てもいいのですか?」

「もちろんだ」

「でも外に出たら死ぬと」

「死なん」

「本当ですか?」

「俺が死なないと言えば死なない。俺の言うことだけを信じろと言ったぞ」

「はい」


(そもそも本来ダッガード家は全員処刑だ。万が一外に出してこの娘が死んだとしても特に何の…)

思いかけて胸の奥のざわつきがうるさい。


「陛下、俺が」

少女をもらい受けるべく差し出されたアズベルの手

「構わん」

この少女を外に連れ出すのは自分でありたかった。


 部屋から一歩出たライアンは少女に問いかける。

「さぁ部屋から出たぞ。シャルルローゼは死んだか?」

「……いいえ」


 階段を2段昇ったライアンは少女にまた問いかける。

「シャルルローゼは死んだか?」

「いいえ」


「1つ目の部屋に上がったぞ。シャルルは死んだか?」

「いいえ……ふふふっ」

少女とライアンがついに吹き出し笑いあう。


 (誰かを守りたいというのはこういうことか)


 腕の中のシャルルローゼを見ながら、これまで自分には欠落していると思っていた感情が生まれてくるのを感じた。

 それらは覚えのない戸惑いであると同時にひどくあたたかな感情だった。

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