12 舞踏会
扉から現れた新国王と婚約者はその場にいる者たちの言葉と思考を一瞬で奪い去った。
人々はその圧倒的な威厳と美にただひれ伏すしかなかった。そして次の瞬間、あちらこちらから始まった拍手は一気にホール中に広がり、歓喜と祝福が満ちあふれた。
ライアンにとってはそれこそが一番"気味の悪い"ものだった。これまでの彼ならたとえどれだけ賛美の言葉を投げられても笑みひとつ浮かべずにいただろう。
しかし今日の彼は微笑んでいた。ただ隣にいる美しい婚約者の為にだけ。
事実、彼はこの上なく上機嫌だった。
複雑に編み込まれた白銀の髪には黄金の飾りがされ、吸い込まれるような白い肌には金粉が散りばめられている。ネイビーを基調としたドレスにはところ狭しと施された黄金の刺繍。
歩くたび、振り向くたび、シャルルローゼはまさに夜空にうかぶ星のように眩く煌めいた。
当の本人は緊張のあまりライアンの腕に必死にしがみついている状態だったのだが。
疲れが見え始めたシャルルローゼをエマンダに任せ、来賓達の挨拶を受けていたライアンの目の端を真紅のドレスが通り過ぎて行った。
「初めてお目にかかります、シャルルローゼ様、アリシアと申します。アリシア・ワグドゥナードでございます」
ライアンより少し年上だろうか、美しいが何かに苛立っているような女性がシャルルローゼを呼び止めた。
「ワグドゥナード?」
「アリシア様?なぜこちらにいらっしゃっているのですか?今日はご招待にはなかったはずですが?」
エマンダがシャルルローゼを庇うように立ちはだかった。
「あら、エマンダ様もご無沙汰しておりますわね」
「おかえりください。アズベルを呼びますわよ」
「そんなことをされてはせっかくのお祝いの場が台無しですわよ」
「あなたがっ」
「申し遅れました、シャルルローゼでございます」
剣呑な空気を和らげるようにシャルルローゼが優雅に挨拶をし微笑んだ。
「まぁライアン様はずいぶん可愛らしいお子様をお選びになったのね」
「ありがとうございます15歳になりました」
「は?……まぁずいぶんと年齢が離れていらっしゃること。ライアン様は満足されるかしら、そんな細い身体で」
「……満足…をして頂いているかは、お恥ずかしながら私も自信はありませんが、それでも今日のドレスはエマンダ様が選んで下さったので、きっと陛下にもご満足頂けているかと。陛下はエマンダ様をとても信頼されていますので」
「は?ドレス?ふっ…ふふふふ…ライアン様の婚約者だなんていうからどれほどの女性かと思ったら、まるでお子様ね、バカらしい」
「最高の女性ですよ、私の婚約者は」
いつの間にか現れたライアンがシャルルローゼを引き寄せながら答えた。
「あら、ライアン様!」
先程とは打って変わったかん高い猫撫で声が鼻につく。
「おひさしぶりですわね。ご無事のお戻りお祝い申しあげます。ライアン様、舞踏会が終わったらゆっくりお話しを聞かせて頂きたいわ。いっそ、私の邸宅で」
「申し訳ないが、その様な時間は取れそうにありませんね」
「あら、そんな冷たいことおっしゃって。以前はあんなに優しかったのに」
「あなたに優しくした覚えはありませんが。父と勘違いされているのではないですか?ユーリヤルド…」
「まぁつれないこと。でもライアン様の心中お察ししますわ。そりゃあこんな子どもとではねぇ、楽しいものも楽しめませんわよね。私なら」
「ユーリヤルド、見送りを」
「アリシア様、こちらへ」
「エマンダ、シャルルローゼを…」
「なによ、こんな小娘っ!」
「キャッ」
それは皆の視線がアリシアから外れた一瞬だった。
シャルルローゼを避難させるためエマンダに向いたライアン。
緊急事態の合図をするため騎士を見ていたユーリヤルド。
ライアンを護るためシャルルローゼとは反対側に立っていたアズベル。
全員の動きが1秒遅れてしまった。
シャルルローゼの後ろ髪が引っ張られ身体が引き倒されたのだ。
「シャルル!」
「シャルルローゼ様!」
「大丈夫ですか!」
床に倒れたシャルルローゼから発せられた言葉に皆が唖然とする。
「アリシア様、どうされました?ご気分でも?お怪我は?あ、アズベル様に支えて頂けたのですね、良かった…あら、私の方が、ヤダ、お恥ずかしい」
真っ赤な顔で照れ笑いをしているシャルルローゼをライアンが抱き起こした。
シャルルローゼの言葉に虚を突かれながらも、彼はアズベルに視線で指示を送り、その向こうに立つウェルムに頷いた。
ウェルムの隣には震えながら立つ2人の婦人。アリシアの取り巻きだ。招待状のないアリシアを手引きしたのだろう。
「皆のもの、騒がせたな。どぶネズミが一匹入り込んでいたようだ」
その言い方に客人達は震え上がった。
ライアンが右手を上げると、ホールに美しい音楽が響き始めた。ダンスが許される合図だ。
「我々は少々場を離れるが、舞踏会はまだ始まったばかりだ、存分に楽しまれよ」
シャルルローゼを抱き上げ、客人に背を向け出て行こうとした時だった。
「踊らないのですか?」
腕の中のシャルルローゼが早口で尋ねた。
「ダメだ、身体を打ちつけただろ。医者を呼ぶ、診てもらえ」
「大丈夫です、踊りたいです」
「…踊りたいって…どこか痛いところがあるんじゃないのか」
「でも踊りたいんです。ライアン様と踊れると思って楽しみにしていたんです…せっかくロイド様と練習したのに」
ライアンの足が止まった。
「……ロイドと?なぜロイドだ?ロイドと練習したのか?ダンスを?」
「はい、ダッガードにいた時に。ライアン様がお留守にされた数日、クロエ様が内緒で練習しましょうとおっしゃって下さって」
「ロイドと?」
「はい。ロイド様はダンスがお上手だから、と」
「ほぉ〜〜気が変わった。本当に踊りたいんだな?踊れるんだな?身体は大丈夫なんだな?」
「はい!踊りたいんです!」
ホール中央ではエマンダが婚約者と踊っていた。そうすることで他の参加者も気兼ねなく踊ることができる。エマンダが気を利かせたのだ。
しかしライアンとシャルルローゼがその場に立つと誰もがダンスを止め、脇へ退いた。
皆の注目を一身に集めたライアンが左手を差し出した。
「一曲踊って頂けますか?」
「無理はしなくていいぞ、俺が合わせる」言いかけた言葉を呑み込んだ。
腕の中で優雅に舞うシャルルのダンスはあまりに完璧で、時折交わる視線には甘い色香が漂う。
(うっとおしいとしか感じなかったダンスだが、こんなシャルルを見られるなら悪くない…待て、練習したときもこうだったのか?ーーロイドめ、次に会ったら目玉をくり抜いてやる)
〜〜〜〜〜〜
舞踏会も無事終わり解放された夜遅く、ライアンはそっとシャルルローゼの部屋を訪れた。
引き倒された後に、一曲とはいえダンスを踊ったことで医者には少々叱られたシャルルローゼだが、高揚したままの表情から笑みは消えず、更に叱られていた。
「陛下?」
「起こしたか?様子を見に来ただけだ。いや、起き上がらなくて良い。身体はどうだ?また痛むか?」
「いえ、大丈夫です」
ライアンはベッドに腰掛けた。
「なんだ、まだ笑ってるのか」
「ふふ、はい。なんだかまだ身体がふわふわ浮いているようで」
「フッ、そうか、楽しかったか?」
「はい、それはもう!何もかもが素敵でした!ホールは光が溢れて星の中にいるようでした。楽隊の音楽も初めてでした。とても音が大きくて驚きましたが音楽は心地よいものなんですね。それに、あんなにたくさんの人とご挨拶したのも初めてでした。皆様お優しかったですね。それになんと言ってもダンスが!本当に楽しくて楽しくて。ずっと思い描いていた夢が全部一度に叶いました」
「そうか。それにしてもシャルルはずいぶんダンスが上手いんだな。驚いたぞ」
「ありがとうございます、よくお母様と踊っておりました。でも音楽に合わせて踊ったのは初めてで。本当にあんなに楽しいものだとは思いませんでした。それに…」
シーツに顔を隠し何か言った。
「なんだ?聞こえないぞ」
「ライアン様が…とっても素敵でした」
シーツの隙間から顔を赤らめたシャルルローゼが上目遣いに見つめてくる。
(純潔の法など破っていいのではないか?シャルルが純潔なのは周知の事実だ。いや、やはりまずい、シャルルが陰口を叩かれる。いや、陰口を言ったヤツなど片っ端から…)
秘かに己の欲望と闘っていた彼の脳裏にあの忌々しい真紅のドレスが蘇った。
「シャルル、今日は、怖い思いをさせた。すまなかった。俺の落ち度だ」
「そんな…」
「あれは父の第8側妃だ。父に飽き足らず俺にまで色目を使ってくるような女でな。でももう二度と我々を煩わせることはない。安心しろ」
「はい」
「ククッ、それにしても、自分が引っ張られたのに「大丈夫ですか」とは驚いたぞ。本当にあの女が倒れた事故だと思ったのか?」
「半信…半疑?でしょうか。でも皆様が妙な顔をされていましたし、アズベル様の捕らえ方が…それで、やっぱりわざとだったのかなぁと」
「「だったのかなぁ」て。クククッ、あの時のあの女の顔は見事だったな。純真が悪意に勝利した瞬間だった」
「純真?…いえ、私は純真なんかではありません。だって私、あの時、あの方に怒っていたんですもの」
「そりゃああの態度だから当然だ、何もおかしいことじゃない」
「いいえ、態度ではありません。あの方はこうおっしゃったんです、「陛下はご満足されるのかしら」て」
「は?…あの女…シャルルに向かって…穢らわしい」
「ひどいですわ、そりゃあ陛下にご満足頂けたかわかりませんが、それでも…」
「ん?俺が、「満足頂けた」?ん?まだ何もして…」
「そりゃあ自信があるかと言われれば、その…そうだったらいいなと思ってはいますが」
「ん?シャルル、なんの話だ?」
「だからドレスです!あれだけ何十着も着て、エマンダ様にもテイラーの方々にも一生懸命選んで頂いたのに…ライアン様は私のドレスはご不満でしたか?ご満足頂けませんでしか?」
「あーーーー純真だな」
(シャルル、俺が悪かった)
結婚式まで純潔の法を破ることはないだろうと悟ったライアンだった。