「いちまい うわて」とは~何が一枚上手なのか~?(そして100文字制限のタイトルにネタを無理矢理突っ込もうと(略
そしてあらすじよりも本文よりも長い前書きを二万字目指して書くことになるわけである。やはりとっかかりはアニメであり漫画なのだが、なんちゃって速読を習得してしまうと、タイパもコスパも検索性も、「紙の文字の書籍」のほうが断然早いのである。そして速報性や即応性ではX(旧ツイッター)のほうが楽しいのではあるが、やっぱり紙の書籍はありがたいのである。枕にもなるし(しないけど)。同時展開しているものであれば、やはりまずは紙の書籍を入手したいのであるが、よほどの人気アニメ・長編でないと「アニメ良かった!紙の書籍も店頭にあるかな?」と思っても既に店頭に無かったりするんである。最初から文庫本であれば意外に残っていたりもするが大きいサイズでは店頭から見えなくなるのも時間の問題である。ツンリゼこと『ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん』(恵ノ島すず)はX(旧ツイッター)も含めて紙の字の書籍・コミックス・アニメまでほぼ同時展開でどのメディアも追えてよかった。というわけで、個人的には書店の「今期・次期アニメ化」の文庫本特集の棚が大好き人間であることと、WEB小説で愛読している先生がたの単行本を追いかける性癖の読み専であることが分かったんだね(長い
大相撲の解説で「一枚も二枚も上手でした」と聞いて、いったい何が「一枚」なのか、と調べる。
どうやら、お相撲・お芝居の番付を元に「一枚上手」と副詞的に慣用句として使われるようであります。
また、将棋でも駒を「一枚」で数えたり「二枚落ち」などと云ったりするので、まあ、お作法と用語の問題なんでしょうな。
では、なぜ「一段上」とは云わないのか。番付表の位置が違う。お相撲ではお履き物が違う。原則、取組は、段階別に番附順位により編成することが決められている。
(取組編成要領(1971年(昭和46年)7月施行)第6条)
とはいえ、横綱が横綱相撲を取ったからと云って「段が違いますね」なんて云ってしまうと「当り前だのクラッカー」と突っ込まれそうな慣用句ではある。
能楽では、「段」は区切りであり、段階というよりも、「一幕のさらにもう少し短い区切り」という事のようです。おそらく、二代目野村萬斎氏は「ややこしや~」とおっしゃるかもしれませんが、「一段上」とはあまりおっしゃらないと思います。
つまり「いちまいうわて」は、番付もしくは駒が一枚違うのだった!
「段」は階段をイメージするが、能楽では短い一区切りであり、番付では文字通り「段」が違うので、慣用句の「いちまいうわて」のほうが一枚上手だった!←(何を云っているんだか)
だんだん(出雲弁で感謝の意)。(ちなみにホクロがあるほうが佳奈さん)←(その雑学要る?)
チェーン書店の店舗限定初版特典、良いんだけど、ついそういう書店からしか買わなくなる(個人的には池袋のメロンブックスでラノベはまとめて買うわ~)ってなる可能性があって、長期的には大手スーパーの「一の日市」みたいになるおそれもあり。楽しみなんだけど。特装版もコストがかかる。カドカワは王道行ってる(2~3頁で良いから書き下ろし短編が欲しい。わかってる)感ある。鍛冶スロこと『鍛冶屋ではじめる異世界スローライフ』(たままる)9巻よかった。特装版は短編集付きで、店舗特典も短編)あと、アクキーは流行だけど、はめふらこと『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』(山口悟)のアクキー特典特装版は(ハズカシクテ買えない)かもしれない←オッサンか。
前書きも含めて、文中はほとんど敬意を込めての敬称略です。