第二章35話『死者尊重』
全ての矢文を放ち終わったのか、ミストラは屋上から飛び降り塀の向こうへ消えるとしばらくして近くの塀が内側から開かれる。
塀の奥から姿を現した彼は頭に包帯を巻いていて、露出した個所には湿布らしきものを貼っていた。
「昨日の今日なのに久しぶりな感じがするね。返却に来てくれたのかな?」
「うん。それとね、これなんだけど……」
そう言って露零は宿で見た資料を持っていた紙袋から取り出すと、これを書いたのだろう彼に見せていく。
そしてなぜ鳴揺と関わってはだめなのか。
理由を話したにもかかわらず、こんな決定を下したのか少女は彼に問い掛ける。
ミストラの表情は穏やかだった。
語気にこそ現れていないが熱の籠った少女の言葉にも彼は一切表情を崩さず、そして穏やかな口調で「ここは風月、僕の決定には従ってもらうよ」と端的に言い放ち、新たに決まった二人の取り決めに余所者である少女が口を挟む余地はどこにもなかった。
「でもっ……」
「――しつこいでござるよ。もう決まったことでござる」
無駄な問答だと言わんばかりに南風に制止され言い淀む露零。
この時、少女の脳裏に過ったのは宿で彼女が言っていた≪今更どうすることもできない≫という言葉だった。
すると少女は話題を変え、「ねぇ、もし破っちゃったらどうなるの?」と規律を破った際に科されるペナルティを聞くことで新規定の重要度を推し量ろうと考える。
「――そうだね。その時は國を出て行ってもらうことになる、かな」
彼はその後も淡々と言葉を続けるが、つまりは新規定を破れば滞在許可が剥奪されるということらしい。
実際のところ、滞在許可を出したのは今目の前にいる彼であり、新規定の書かれた資料にあった権限の欄にも彼が最も権限を持っているというようなことが記されていた。
その後、南風の誘導もあり三人は城内に入っていく。
そしていつものように応接室に到着すると、二人は戦利品返却のお礼にお茶菓子を差し出される。
「――さっきの話については僕からも伝えることがあるんだ。早速で悪いんだけどこの後城下町で御影に会ってきてくれるかな」
「御影さんに?」
突拍子のない言葉に思わずキョトンとする露零。
急すぎる展開に振り回されながらも(御影さんなら私が知りたいことを教えてくれるかもしれない)と考え直し、少女は「うん」と頷き首を縦に振る。
もちろん、少女は鳴揺のことを諦めたわけじゃない。
自身がなぜそれをしようとするに至ったか、その経緯を話した際の彼の反応を思い出すに、今回の決定はミストラの意思というよりもどちらかと言えば御影の要求なのだろう。
この時、少女は(絶対に鳴揺さんを絶対に助ける)と揺るがぬ決意を固める。
「私はいつ城下町に行けばいいの?」
「まだもう少しここにいて大丈夫だよ。ただ南風と一緒には行けないけどね」
多少のすれ違いはあれど、彼はいつもの調子で言葉を返す。
同じく少女も勝手に決められたことにこそ反発、混乱していたが、それ以外の話題では比較的穏やかな口調でいつものように軽口を交えながら言葉を返していた。
時間になるまでの雑談で少女は同じ話題でまだ触れていない残り二つにも言及する。
まず最初に少女が言及したのは情報共有について。
なぜ自分一人で行かなければならず、場所の指定までされているのか。
確かに以前、話してみたいと思ったことはあるがこんなとんとん拍子で話が進むとやはり何かあるのではと勘ぐってしまうのも無理はない。
特殊な出生も相まって人一倍感受性の強い少女ならば尚のことだ。
「僕が提案したのは人数と場所だけだよ。それ以上のことを知りたいなら本人に直接聞くといい」
「それじゃあ御影さんが偉くなったのは?」
御影が偉くなったという言葉を聞き、ミストラは思わず笑みを零す。
何にも知らない少女がそこを疑問視するのも無理はないが彼は「僕は代理で指揮を執っているだけだからね」と言ってほくそ笑む。
その表情や言動からは地位に執着している様子は微塵も感じられず、あるべき姿に戻ったのだと言わんばかりに彼は笑みを浮かべながらお茶を手に取り飲んでいく。
その様子を見た少女も彼に倣ってお茶を飲む。
だがしかし、猫舌の少女はまだ冷め切っていなかったお茶に熱がる様子を見せる。
「ははっ。その懐かしい感じ、まるでシエナみたいだね」
意外な人物の名が出たことに、露零は「シエナさんを知ってるの?!」と興味津々に尋ねる。
――シエナ。
その人物は少女の出身國『水鏡』で世話になったミストラと同じ役職者だ。
故に彼が彼女のことを知っていても何ら不思議ではないが、二人はそれぞれ持ち場である城を出られない身だ。
そのことに少女は「二人とも出られないのにどうして知ってるの?」と誰もが抱く素朴な質問を口にする。
「君が生まれるもっと前になるかな。元々僕たち砦は最前線に立っていたんだよ。まぁ塞き止め役みたいなものだね」
「ミストラ殿。そろそろ時間、大丈夫でござるか?」




