第二章24話『月彩庭園』
修行を開始してから数日が経過したある日、疲労困憊の重たい足取りでいつも通り宿に戻ってきた露零は部屋に入るなりゴロンと横になると軽くうたた寝してしまう。
まだ心紬は戻ってきていない。
起こされなければ朝までぐっすり眠るだろうことは頭の回っていない少女でも容易に想像がつくが、そんな思考も瞼の裏側で待つ夢想の前では小魚が群を散らすが如く、瞬く間に分散する。
「う~ん…」
眠りに落ちてからしばらくすると、少女は何やら寝言を呟き始める。
うなされているような、しかしそれでいてどこか楽しんでいるような表情豊かな寝顔を室内に誰もいないとはいえ少女は無防備にも晒していた。
一方その頃本人の意識はというと、浅い眠りの時によく起こる現象、夢現状態にあった。
夢現状態の少女は現在、現実と夢が混合した不思議な光景を目にしていた。
場所は少女が現在進行形で毎日のように通い修行を行っている夜霧の地下。
そこにいるのは見間違えようのない唯一無二の特徴、うさぎ耳を頭部から生やしたミストラだ。
彼は石積みの上に立ち、同じく石積みの上に立つ何者かと対峙していた。
何かの再現映像のようにも思えなくはないが、少女が知らない出来事をなぜ夢経由で把握できるのだろうか。
しかし少女はこの時、すでに理解していた。
今見ている光景は数日前に起こったという碧爛然と砦の戦闘の再現なのだということを。
とはいえ一部始終すら知らない少女が見る光景が全て合っているかと言われれば定かではない。
それでも少女は(通ってるうちに見れるようになったんだ)なぜか根拠のない自信を持っていて、真偽はともかく『師匠』であるミストラの動きを夢の中とはいえ被害の及ばないくらい離れた位置から目で追っていく。
(凄い……。ミストラさんの動き、全然見えないよ)
少女がそう感じるのも無理はない。
半獣の最大利点である人並み外れた身体能力に加え、ベースとなっている種族特有の強靭な脚力がその人間離れした動きを可能にしていた。
遠視によって視野が広まったとはいえ動体視力も向上するわけではなく、少女は早くも目に疲労を感じ始めていた。
そして対する碧爛然は二丁の銃身の短い拳銃、そして一本の刀を携えていて、彼はなぜか銃ではなく刀を抜刀する。
鞘から抜かれ露になった刀身からは黒く禍々しいオーラが溢れていて、まさに妖刀と呼ぶにふさわしい代物だった。
そんな二人は互いの武器で打ち合う。
少女の師、ミストラは自慢の鍛え抜かれた脚から強力な蹴りを放ち、碧爛然は先程抜刀した妖刀で切りかかる。
互いの攻撃が接触するその刹那、師匠の足が切断されると思い目を覆う少女だが次に目を開けた際に少女はミストラが足に付けている『ある装備』に気付いていく。
(ミストラさん、足に硬いやつ付けてるんだ)
少女の感情に熱が籠り、今にも声援を送りそうな雰囲気となった丁度その頃、現実世界では同じく修行を終え戻ってきた心紬が眠っているのにどこか険しい表情をしている少女を不思議に思い、身体を揺らし始める。
すると途端に意識内の少女の視線の先は暗闇一色に染まってしまい、心紬の呼び声と共に少女が見ている目前の闇に亀裂が入り、少女は夢現状態から目を覚ます。
「ろーあー。起きてくださいよ~。私だって疲れてるんですから面積の無駄遣いな寝方しないでくださいってば~」
そう言って揺すられる少女は瞼をゆっくりと開いていく。
眠りが深くなり始めたタイミングで起こされた少女は目をこすりながら無防備な声を出すとゆっくりとした動作で立ち上がり、布団を畳み始める。
「今日は南風さんが月彩庭園に案内してくれるんですから早く行きますよ」
「南風さんまた同じ宿で過ごせるようになってよかったね」
「ええ、部屋は違いますけどね」
その後、準備を終えた二人は受付付近で彼女と合流すると三人は日の落ちきった薄暗い夜道を通って下山し、そのまま彼女らはいつも行っている夜霧や城下町とは逆方向へと向かっていく。
三人の中で最も疲労が溜まっているのは言うまでもなく露零だ。
それを分かっていた二人はその旨を伝えて今日の修行時間の短縮をするよう南風がミストラに進言し、戻ってきた露零に時間になるまで十分休むよう心紬が予め伝えていた。
お陰ですっかり疲れが取れた様子の少女は口数がいつも以上に多くなっていて、足取りも軽やかになっていた。
――夢を途中で中断されなければ尚よかったのだが。
そしてしばらく歩いた三人は物騒な柵に囲まれたとある場所に到着する。
三人の前に見えるのは正面入り口、そして入口以外にはなぜか柵が張り巡らされていた。
一見厳重に見えるが全く以ってそんなことはない。
例を挙げるなら花々を育てる上で必要な日光、いや、この場に限っては月光と言うべきか。
その月光を花が目一杯浴びれるよう天井には何もない。
現在の時刻は二十一時前と言ったところだろうか。
夜間の花の開花は二十一時から二十二時までと極めて短い時間にしか見ることができず、三人は早速正面入り口を通り中へと入っていく。




