第二章4話『落石消火』
後方には聳える絶壁に加え、激しく燃え盛る炎。
前方にはまだ余裕があるとはいえ谷のような断崖絶壁、さらに向かいの山には弓兵が潜んでいるこの状況で、敵の注意を一身に受けるのは自分の首を絞めかねない自殺行為に等しい行動だが、それでも露零には他に策が思い浮かばなかった。
「お願い、当たって―!」
露零の放つ矢は向かいの山にいる敵三人の心臓を的確に捉えて貫通し、消え失せると彼らの肉体は次第に氷漬けとなり敵三人の無力化に成功する。
しかし相手は風月が誇る精鋭部隊を倒し攻め込んできた輩達。
当然数えられる程度の戦力のはずはなく、退路を断たれた状態で敵の注意を一身に集めた少女はあっという間に窮地に立たされてしまう。
――――だがそのすぐ後、露零が稼いだ数秒間により状況は一気に好転する。
「避けるでござる!!」
次の瞬間、巨大な岩は燃え盛る隠れ家の真上に勢いよく落下し、なぜか岩に乗って一緒に落ちてきた詩音。
(石が落ちてきた衝撃で風が…ってあれ、何ともない。あの人が言ってたことってほんとに本当だったんだ)
落石の衝撃で周囲には砂埃と風圧が発生するが、露零は風の影響を全く受けておらず平然と突っ立っていた。
大岩と共に落っこちてきた詩音はそんな少女の手を引くと敵の目から逃れるため一緒に岩陰へと避難する。
露零の見立て通り、いかに特殊な炎といえど落石には火花を散らすことはなく、大岩の下敷きになった炎は風圧によって一瞬のうちに消火される。
「――――助かったでござる。でも一体どうやって火を消したでござるか?」
上から一連を観察していた詩音は氷結では消えず、落石で消えた炎の原理に疑問を抱いていた。
彼女は通常とは異なる炎の原理に対する露零の見解を聞こうとしていたが、一方の少女にも彼女に聞きたいことがあった。
「あれはね、きっと凍らせたからパチパチしてたんだよ。だから凍らせなかったら火を消せると思ったんだ」
「はぇ~、よく考えてるでござるなぁ」
一方その頃、同じく真向いの敵勢力は落石によって立ち込めた砂埃によって視界が遮られ、二人が大岩の裏に回るところを誰一人として見ていなかった。
そのため彼ら彼女らは二人が落石に巻き込まれ死亡したと思い込んでいた。
――ただ一人、駐屯隊長を名乗る男性を除いては。
「やりぃ~」
「あたしの矢が崖を崩落させたのさ」
「でたよ、手柄の横取りとかマジ萎える」
「競うな恥らしい。全指揮権は駐屯兵長である俺にあることを忘れるな。生け捕りは叶わなかったがあの場所なら死亡確認もできまい、撤収するぞ」
目的達成に浮足立っている部下を制止すると、駐屯隊長は生死確認できないと判断するや風月側の増援が来る前にこの場所を離れることを優先する。
「隊長~、凍ってんのはどうする?」
「捨て置いておけ、どの道長居はできない」
そうして敵対勢力、滅者に与した者、野良一行は足早にその場から引き揚げていく。
場面は再び岩陰に隠れた二人に戻り、教育不十分でどこかズレた詩音は露零の見解を聞いても今一つ理解できていない様子だった。
体力方面担当の田舎っ娘なのだろうことはさっきの身のこなしからも想像に難しくない。
そんな彼女に今度は露零が質問を投げかける。
「南風さんこそどうやってこの岩落としたの? 全然力なさそうなのに」
「それはでござるなぁ。これを使ったんでござるよ」
そう言って彼女が露零に見せた物は何の変哲もないただの石っころだった。
しかしその石も少女は見覚えがあり、(これって確か軽石だよね)と過去の記憶を思い出す。
「この石は近くに置くだけで人でも物でも軽くすることができる優れものでござる。風乗りしたり引っ越しみたいな重作業にとっても便利なんでござるよ」
以前聞いた通りの説明に、風月で重宝されている代物だと理解した露零。
その割には國を超えて一般流通しているのが引っ掛かるが、一度製造方法を確立してしまえば容易に増産可能ということなのだろう。
すると詩音は「ちょいと御免でござるよ。……いなくなってるでござるな」と言って岩陰から大胆に身を乗り出し、彼女は向かいの山からの攻撃が止んだことに気付いていく。
「えっ、本当だ!」
攻撃が止み、岩陰からゆっくりと出てきた二人は焼け落ち岩の下敷きとなった小屋を喪失感に満ちた瞳で静かに見つめていた。
この敵襲の直前、点滴を打たれていた露零の治療は既に済んでいて、少女は万全の状態で今回の戦闘に臨んでいた。
そしてその治療を行っていたのがこの焼け落ちた秘密の隠れ家だったのだ。
「……お家、燃えちゃったね」
ぽつりとそんなことを呟く露零。
この家が詩音の住んでいた家かもしれないというのに不謹慎極まりない発言をしてしまう少女だが、彼女は「仕方ないでござるよ」と、この隠れ家に特に執着はない様子だった。
そんな二人は少し時間を置くと、今いる隠れ家からの脱出を再度試みる。
気絶している間に運ばれた露零はこの場所にどうやって運ばれたのかを知らない。
よって露零が次に取る行動、いや、発言は容易に想像することができる。
「私を運んでくれたのって南風さんだよね? ここまでどうやって来たの?」
「それはでござるなぁ、気絶していた貴女を背負ってあの木を飛び移りながら来たんでござるよ」
得意げにそう答えた詩音が頭上にある絶壁から横に伸びる木を指差すとそのほとんどが敵の矢によって焼け落ちていて、上に登っていくことが難しいことは誰の目にも明らかだった。
「そっか…。それじゃあ今度は下に行ってみる?」
身ぐるみを剝がされていないのは不幸中の幸いだろうか。
その代わりなのか、水鏡で買い揃えた二つの物品を戦利品とばかりに持って行かれたさっきまでとは違い、お近付きの印に風除けのお守りをもらった今なら何の心配もなく木々を飛び移り下に降りることができるだろう。
ただ、問題なのは露零が下りるための手段布製の生地ロールを既に使い果たしてしまったことだろうか。
他に命綱となり得るものがあればいいのだが、完全隔離のこの場所では第三者からの救援物資を得る、それも望み薄だ。
「そうと決まれば拙者に掴まるでござる」




