第一章54話『救世主』
「なるほど、そういうことね。でもその子を担いだまま走力で僕に勝てると思う?」
いくら露零が目を覚ましたと言っても少女単体ではとてもじゃないが戦力と呼べたものではない。
戦略勝ちを狙うのなら尚更、人数に比例して選択肢が広がる個々人が持つ固有の力が肝となる。
しかしいくら振り切ろうとしても機動力では小回りの利く滅者に軍配が上がり、常に背後を捉えられている心紬が走力で彼を撒くことはついに叶わなかった。
そんな現状を打開するべく、彼女はこれまで温存していた自身の秘儀を満を持して初お披露目する。
機を伺った心紬は逃げるのをやめ、再び滅者と向かい合うと「絹流、断ち糸!」と向かい合う彼に向かって叫ぶ。
すると次の瞬間、滅者は己が意思に反して瞬きを強制され、その一瞬の隙をついて心紬は完全に姿をくらませると彼を振り切ることに成功する。
「ん? おかしいなぁ。一応止血はしてるみたいだけどそんなに早く動けるはずないんだけど」
自身に向けられた視線を糸に見立て、その糸を断つことで瞬きを引き出すと一瞬のうちに周辺の木陰に隠れ敵を撒いた心紬は矢の準備ができただろうと思い露零を見る。
しかし何の準備もしていなかった露零は慌てて弓を手に持つと矢を召喚するがその矢を心紬に取られてしまい、しばらくするとスカーフが結びついた状態で返ってくる。
「あっ…」
「これでよしっと、それでは私が今から指差す方向にお願いします」
「うん」
そう言って前方を指差す心紬。
先輩従者が指差すその方向に後輩従者が矢を放つと次に彼女は「ありがとうございます。彼のことは私が引き受けるので逃げてください」と、そのままの流れで露零を逃がそうとする。
「嫌だよ…。今度見つかっちゃったら心紬お姉ちゃん殺されちゃう」
「私は強いので大丈夫です。それに伽耶様に露零のことを任されているのですぐに追いつきます」
「……うん、それじゃあ先に行って待ってるね」
希望を願い放たれた矢だがその願いが実を結ぶより早く、希望の前に立ちはだかる巨大な絶壁が重たい足取りでゆっくりと、着実に二人に迫っていた。
その人物はつい今しがた心紬の機転により撒くことに成功した滅者の少年だ。
ついてないことに矢の軌道上にいた彼は少女が放った矢の軌道を辿るようにまっすぐ二人の元に向かって歩み寄り、二人はあっという間に見つかってしまう。
「出てきなよ。このまま手をこまねいて負けになるのも癪だし最後の勝負をしよう。増援が来れば僕はおとなしく身を引くよ。もし来なければ――」
そう言った彼は周囲の空気に殺気を乗せ、感覚的な圧力をかけていく。
しかし心紬に対して絶大な信頼を寄せている露零は「大丈夫だよ、心紬お姉ちゃんと一緒なら負けないもん」と威勢よく啖呵を切ると木陰から飛び出す。
そんな後輩従者に続き、先輩従者も木陰から飛び出ると武器の相性から心紬が前衛、露零が後衛を務め、二人がかりで滅者に攻撃を仕掛けていく。
先制攻撃を仕掛けたのは心紬だった。
前衛の心紬は十分な距離を保ったまま愛刀やっこで攻撃を加え、サバイバルナイフで応戦する彼を防戦一方に追い込んでいく。
「心紬お姉ちゃん避けて! 当たってー!!」
相棒が決死の覚悟で懐に飛び込み注意を引いているその隙に、露零は機を伺って召喚した矢を打ち放つ。
少女の放った矢は一直線に二人のもとに飛んでいくが露零の意思に反して心紬は避けることなく敵を羽交い絞めにし、動きを封じると捨て身の覚悟で自身も矢の軌道上に留まる。
「――っ?!」
「だめだよ! 心紬お姉ちゃん避けて!!」
一向に迫る氷結矢を避けるそぶりを見せない心紬。
しかし羽交い絞めされている滅者の少年は手に持っていたサバイバルナイフをまるで投げナイフのように使って矢にぶつけるとナイフとの接触により矢は消え失せ、矢に直撃したナイフのみが氷漬けになる。
そして次の瞬間には残るもう一本で背後の心紬を切りつけ、敵対少年は羽交い絞めから脱出する。
野良から受けた攻撃と同じ部位腕を切りつけられてしまい、力の入らなくなった心紬はさらに追撃で後ろ回し蹴りを喰らってしまい、ついには地面に膝をついてしまう。
「――かはっ」
「さっきのは惜しかったね。二人がかりとはいえその傷でよくやったと思うよ。その子は連れ帰るように言われてるけど抵抗するだろうし気絶させてからでいいよね」
余裕綽々な表情、口調で淡々と言葉を続ける敵対少年はバタフライナイフを放り捨てると一瞬のうちに露零の背後に回り込み、首の後ろを手刀すると難なく手負いの少女を気絶させる。
気を失うその間際、露零は残された力で必死に心紬に手を伸ばす。
しかし伸ばすその手を掴む者はついに現れず、腕に込めた力が重力に負けたその瞬間、少女は重力に抗うこと叶わずそのまま地面に倒れ伏す。
心紬は目前で起きている到底受け入れ難い絶望的展開、そして今まさに露零が目の前で連れ去らわれてしまう現場を目の当たりにし、言葉にならない声を上げると最後の力を振り絞り滅者に向かって一刀入魂切りかかる。
しかし滅者は腰元から取り出したサバイバルナイフで心紬の文字通り魂をかけた全力の攻撃を容易く受け止めるとそのまま刀を押し返し、「さてと、君は邪魔だね楽になりなよ」と吐き捨てるように言い放ちサバイバルナイフを振り上げる。
――――次の瞬間、刀同士を打ち合うような金属音が周辺一帯に鳴り響く。




