第一章49話『ミサンガ・結』
水鏡主要の人物は五人いる。
これまでその存在すら知らされていなかった最後に残る男性の名前は青梗と言うらしい。
しかも伽耶の話を聞く限り、その彼は水鏡を出た身であり、今は別の誰かと行動を共にしているという。
「その青梗さんって風月にいるの? でも私、その人のこと顔も知らないよ?」
露零の質問は分からなくもないが、今この場にいる四人の中で彼について何も知らないのは少女ただ一人だ。
そんな初心な露零の素朴な疑問に伽耶は「心紬がよう知ってるで、なんやわからんことあったらその都度聞いたらええよ」と答え、彼女は半ば強引に会話を終わらせると次に控える従者に話のバトンを渡す。
「――っと、ウチはこのくらいにして後はあんたに任せるで」
「はぁ…、また話をぶった切ってますし……」
込み入った話を面倒に感じていることが要所要所で垣間見える伽耶はそのことを一切隠そうともせず、主君の一周回って潔い話のぶった切りに心紬は思わず呆れて溜息をつく。
説明を省くにしても、要点を押さえてさえいれば今ほど彼女が呆れることもなかっただろう。
まぁ実際、今の伽耶の簡略化した必要最低限の説明は青梗を知っている前提の進め方で、明らかに知らない者に対する説明ではなかったが。
しかし、そんな状況でもマイペースなシエナは周りの空気などお構いなしに促されるがまま話し始める。
「二人が風月に行くことを見越して事前に青梗宛てに使い和猫を送っています。なのでもし彼に会うことがあれば伝えてください。一度藍凪に戻ってくるようにと」
本来ならばこの後、話のバトンを受け取った心紬が続けて話す予定だった。
しかし彼女が話し始めるよりも先に、シエナに言伝を頼まれた露零は直前に伽耶にぶった切られたことで燻った疑問を、今度は心紬に対して尋ねる。
「うん、わかった。それで心紬お姉ちゃん、青梗さんって風月にいるの?」
すると心紬は一瞬ため息を漏らした後、「先輩は色々やらかしてるので風月か荒寥あたりにいると思います」と言い、彼女は青梗なる露零目線、未だに姿の見えない同僚に対してもやや呆れている様子だった。
目的地が一箇所なのに対して探し人の滞在地候補は二か所も挙がった。
この時点で出会える確率は半分にまで減少した。
その事実に気付いた露零は餌をお預けされた子犬のような表情で残念そうにぽつりと呟く。
「これから私たちが行くのは風月だけだよね? それじゃあ会えないかもしれないんだ…」
露零の中で、次に興味の矛先が向いた顔も知らぬ先輩従者。
彼と必ずしも会えるとは限らないことに残念がっていると、伽耶は前向きに「会われへんことが必ずしも悪いとは限らんで」と姉として、妹に諭すように伝える。
ものは捉えようとはよく言ったものだ。
またいつ襲撃を受けないとも限らない。
そんな不安が今後ずっと露零に付きまとうことになり、また、それは残留組の二人も同様だ。
「――――てなわけやからなんかあったら露零のこと頼むわ」
深く、重みのある伽耶の言葉に心紬は「もちろんです、任せてください」と力強く答える。
露零はそんな先輩従者に頼もしさを感じ、(心紬お姉ちゃんが一緒に来てくれるだけで安心する)と密かに感じていた。
それでも内心では恐怖の比率の方が遥かに大きく、直前に敵襲を受けるという想定外の事態に見舞われたのだからトラウマ級の恐怖を覚えていても何ら不思議はない。
事実、露零の胸中では先輩従者に対する安心感が淡い灯となりはしたが、それでも空間全体で見れば一寸先が闇であることに変わりない。
胸中の大部分を漆黒に染め上げたその実体験は本来、一時的なもので収束するはずだった。
しかし慢性化に拍車を掛けた要因は主に二つある。
一つは突き付けられた己一人では戦えない無力な自分。
一つは魔獣を始めとする圧倒的な強者を目の当たりにした恐怖。
硝子の心に全方位から爪を立てて奏でられた耳を覆いたくなる不快感極まりない不協和音。
他者の勧めや避けて通ることができず、興味のない物事に仕方なく取り組み苦痛を感じた経験は人間誰しもあるだろう。
興味がないだけでもあれほどの苦痛を感じるのだ。
それが嫌悪感しかない望まぬ物事であればその苦痛は如何ほどだろうか。
特等席で奏でられた不協和音に露零の神経は一瞬にして摩耗し、演奏終わりには決して消えることのない更なる無数の爪痕が心に刻み込まれることとなる。
戦いとは無縁の何事もない平穏な日常に(もっと話していたい)と考える露零。
そんな少女の心の機微をそっと優しく汲み取るように、今度は心紬が「遅くなりましたが私も露零に渡したいものがあるんです」と声を掛け、段取り通りにトリを務める。
不意に話し掛けられたことで露零は一瞬きょとんとするも、「私に? もしかして何かくれるの?」と言って次の瞬間には彼女の話題に嬉しそうに喰いついた。
その要望に最大限応えられるように、心紬は懐からある物を取り出すと後輩従者の手を取り優しく渡す。
「このタイミングになってしまいましたが以前、ミサンガが欲しいと言っていたので作ったんです」
忘れられたかもしれないと感じつつも確認、催促する勇気が露零にはなく、それでも密かに心待ちにしていた露零。
そんな少女の期待に応えるために寝る間も惜しんだ心紬の自信作。
そのミサンガは白と水色を基調に作られていて、露零のイメージカラーや特徴をこれでもかと盛り込んでいた。
露零は心紬のお手製ミサンガを受け取ると「わぁ~~! 私の好きな色だ! 心紬お姉ちゃんありがとう!!」と心の底から感謝を伝えると嬉しそうに見つめ、早速腕に巻こうとする。
「あっ、ちょっと待ってください。それはつける前に願い事をするんです」
「お願い? それってなんでもいいの?」
「ええ、切れた時に叶うと言われていますから」
腕に着ける前に願い事をするが古くからの習わしだと言われ、露零はミサンガを持つ手を心臓付近に持ってくるとそっと瞳を閉じ願いを込める。
――――時間にして十秒ほどだろうか。
心臓とほとんどゼロ距離で願いを込めた露零は改めてミサンガを腕に巻くと、その様子を見ていた三人は共通の、かつての思い出を口にし懐かしむ。
「懐かしいなぁ、ミサンガとか久しぶりに見たわ。ウチらも昔あんたに作ってもろてんけどみんな切れてしもうたしなぁ」
「良ければまた作りますよ? あの時はみんな願い事が叶っていましたし伽耶様も『本物や!』って認めてくれましたもんね」
嬉しそうに当時の思い出話を始める二人。
特に伽耶が『本物や!』と言った話をしたときの彼女は過去一番と言っても過言ではない笑顔を浮かべていた。
しかしそんな心紬とは対照的に、「そうやったっけ? ようそんな昔のこと覚えてんなぁ。ほんま感心するわ」と、伽耶は記憶の一部が虫食い状態になっているような言動をとる。
それでも出来事自体は覚えており、思い出に浸っている二人は過去の話題で持ちきりだった。
しかしシエナだけは一人置いてけぼり状態の露零がミサンガを腕に巻く際に込めた願い事に興味が湧いたようで、彼女に限っては二人の会話に混ざらず露零に質問を投げかける。
「向こうは向こうで盛り上がっていますが私は露零の願い事の方が気になります。何をお願いしたんですか?」
「シエナさん、もしかして知りたいの?」
「少し、ほんのすこーしだけですが」
(二回言うところ可愛いっ♪)
先輩従者が時折見せる不意な可愛さに思わず気持ちが緩んでしまうも、「口元」と『気持ち』は全くの別物だった。
すると過去の話題で盛り上がっていた二人も次第に熱が冷めたのか、「そういえば露零は何をお願いしたんですか?」と今度は心紬にも同様に問い掛けられる。




