第一章48話『五人目』
「ではそれを二組もらえますか? お代の徴収は藍凪へお願いします」
「はいよ」
「心紬お姉ちゃん、ほんとにいいの?」
即断即決という、あまりにも勢い任せな買い物に思わず露零は先輩を止めようと声を掛けた。
しかし心紬は「あの人が言うなら間違いないので大丈夫です」と言葉を返し、まるであの胡散臭い店主を信頼しているような口ぶりだった。
購入物の目星を予め付けていたわけではない。
たまたま運よく需要ある品を購入できたことに感謝しながら、二人は帰城後すぐに心紬の部屋へと足を運んだ。
そのまま夜を待たずして秘密の女子会を開催した二人は水鏡を出発する日時や風月に着いてからどうするかなど、最終打ち合わせを雑談交じりに話し合う。
「――――それでですね、私としては明日にでも水鏡を出たいと考えているんですが露零はどうですか?」
「うん、私も明日でいいと思う。あれから五日も経っちゃったし早く伝えなきゃだから」
「ですが先日襲撃してきた敵は未開を拠点にしています。なので移動中に襲われる可能性もないとは言い切れません」
先輩従者の出発案は実に的確で初速もあった。
それは露零の肯定的な返答からも明らかだ。
だがその一方で危険な側面も孕んでいるのもまた事実。
気付いた者が問題提起するのはごく自然な流れと言えるだろう。
言われて初めて気付くとは正にこのことだ。
心紬は懸念の一つである移動中の襲撃を自ら率先して切り出した。
その意図は対等な立場で話をするためである。
露零はその事実に思わず身震いするも、(いまさら後に引けない)と思い直すと「それでも明日の朝に行こ?」とここで出発日時を確定させる。
「わかりました。それでは伽耶様とシエナには私から伝えておきますね」
「あっ、それでね。私風月のこと何にも知らないの。だから色々教えて欲しいな~って」
「実は私も水鏡を出たことがないんですよね。なので露零と同じです」
日の高いうちから始まった女子トークはまだ中盤にすら差し掛かっていなかった。
共通点を挙げ、対等な立場での会話を心掛ける心紬は続けて「ですが昨日助けたお客人の中に風月の方がいたので風月に着いたら尋ねてみましょう」と言い、それが後に露零の睡眠意欲の妨げになってしまうということに心紬が気付くことはなかった。
話が円滑に進んだことでこのまま順調に行けば明日にはこの國、水鏡を発つことになるだろう。
出発日時が確定したことで(今日が藍凪にいる最後の日なんだ)と実感した露零は急に別れ惜しくなったのか、(行く前にお姉ちゃんやシエナさんと話したいなぁ~)とそんなことを考えていた。
そして考えてから「心紬お姉ちゃ――」と言葉にするまで時間にしてほんの数秒。
すでにそこに心紬の姿はなかった。
以前、二人で伽耶を置き去りにした廊下とは違い、まさか心紬の部屋でそんな置いてけぼりを喰らうとは思っていなかった露零は(みんな自由でいいな)と純粋に考える。
同時に「これってこのまま出て行っちゃだめだよね?」と、自身の退室で他人の部屋を空室にすることに露零は少なからず抵抗感を抱いた。
このまま部屋を出ていいのかわからず、仕方なく露零は先輩従者の部屋に留まることにすると、そのまま室内を軽く見渡す。
目に見てわかるものだけでも心紬の部屋には自室とは違う特徴がいくつかあった。
一つ例を挙げるなら、他の部屋は足の短い机が一つだけなのに対して彼女の部屋にはそれとは別で勉強机もあった。
以前訪れた時にはなかったことからおそらく収納できるタイプのものなのだろう。
今は一人とはいえ、あくまでここは他人の部屋のためむやみやたらに室内を荒らすわけにもいかず、露零は部屋に置いてあるもののみを見て回る。
勉強机の上には小難しそうな医学関係の書物や癒し効果のある流水音が流れる川を模した置物が置いてあり、露零はその川の置物に興味を示すと先輩従者が戻ってくるまでの間、流れる川の置物だけを興味深そうに眺めて時間を潰す。
鑑賞用としても楽しむことができ、川のせせらぎのような音を楽しむこともできるその置物に見入り、聞き入っているとしばらくして部屋の外から複数人の話し声が聞こえてくる。
声の主は城主にして姉でもある伽耶を始め、先輩従者の二人。
心紬が戻ってきたことに一早く気付いた少女は慌てて椅子に座ると何食わぬ顔で三人が部屋に入ってくるのを(色々見ていたことがバレませんように)と胸中で祈りながら今か今かと緊張して待つ。
「――――でですね、私たちが風月に行く前に露零と話してあげて欲しいんです」
「別にええよ。あんたもこのタイミングであれ渡すつもりなんやろ? 珍しくシエナも心許しとるみたいやし明日のことはウチらに任せとき」
胸中での祈りは無意識のうちに現実の姿勢にも表れていた。
その証拠に待機する露零はわかりやすく正座していて、他人に部屋を勝手に見て回ったことに対する罪悪感からバレてないかと恐る恐る聞き耳を立てる露零が聞いたのは警戒に反してただの談笑だった。
安心したのも束の間に、ガラッと障子が開く音とともに連れ戻ってきた心紬、そして伽耶とシエナの三人は部屋に入るなり早速露零に話し掛ける。
しかし直前まで他人の部屋を見て回っていた露零にとって、それは望まぬ展開でしかなかった。
だからこそ(お姉ちゃんたち気付いてないよね…?)という不安が一瞬にして少女の心を埋め尽くして次第に表情が強張った。
「ちょこんとしとるなぁ。ウチから話題振ってもええけど、なんや話したいことあるんやったら聞くで?」
伽耶の第一声は少女が警戒していた問い掛けではなかった。
しかしまだ懸念材料がなくなったわけではなく、雑談感覚の軽いタッチがかえって露零の不安を煽った。
(話したいことって言われても…)
「今はないかも。それより今日はお姉ちゃんの話を聞きたいな~って」
「全然ええよ。でもそうやなぁ、四人に共通する話題言うたらあんま無いけどせっかくやし五人目の話でもしよか」
「五人目なんているの? もっと早く知りたかった」
言葉を交わせば交わすほど、次々と出てくる新情報にさっきまでの不安はどこへやら。
露零の脳内はかつてないほど活性化していた。
今この場にいるのは露零、伽耶、心紬、シエナの計四人。
この中で唯一、露零だけが五人目の存在を知らなければその人物像さえわからない状態なのだ。
そう考えると好奇心を刺激された少女が興味を強く持つことにも納得がいく。
「あんたが知らんのも無理ないわな。青梗は露零が生まれるよりずっと前に水鏡を出てるんや。顔出すように伝えてはおるけどあの子は今、他國の者と一緒におるから会える保証はせえへんで」




