第一章47話『水中光芒』
この時、露零は洞窟を出た先で見た、滅者が手中に収めていた拳に収まらないほど大きな宝玉の存在を思い返していた。
しかし自身が先輩従者の追跡に待ったをかけ、怪我人たちの介抱を優先したばかりに伽耶にとって、いや、もっと言えばこの國を危険に晒しかねない國宝級の宝玉をみすみす見逃してしまったのだ。
知らぬこととはいえ、覆しようのないその事実に責任を感じている露零に対し、伽耶は強奪された宝玉がどんな代物かを説明する。
「あれはなぁ、万物の申し子が世界に残した物なんや。あれがないとウチの行動に結構な制限かかんねん」
「そんな…どうしたら元に戻るの?」
「取り戻すしかないなぁ。そうは言うても今のウチにそれはできひんし許可ついでやわ、露零と心紬に頼んでええ?」
一國を落とす勢いで完膚無きまでにやられたのだから状況が悪化するのは仕方のないことかもしれないが、姉からの唐突な告白に露零は動揺を隠しきれないでいた。
同時に名前の挙がった心紬の方を見てみるが、彼女は驚くでもなく不完全燃焼に終わった分、むしろやる気に満ち溢れている様子だった。
「でもあの爆弾の人、私と同じなんだよ……?」
最初はあれだけ行きたいと言っていた露零だったが、今はなぜか罪悪感にも似た複雑な感情が小さく、しかし確かに少女の胸中で渦巻いていた。
タイミングの問題もあるだろうが、一番はやはり露零自身が彼らと同じ希望の代償だからだろう。
希望の代償と言えば聞こえはいいが、一言で少女を表すなら絶望これに尽きる。
……知らなければよかったのに。
――知ってしまったから思い悩む。
思い悩むのはある意味人間らしい行動の一つと言えるだろう。
しかしそこにはいくつもの相反する感情が含まれていた。
自分と同じ出生でありながら環境に恵まれなかった滅者に対する共感。
今の自分の立場、そして居場所ができたことで芽生えた義務感。
そんな二つの相反する思いが生み出した希望的観測。
しかしまだ、この感情を上手く言語化することができない露零は自分の本心もわからないまま、流されるように「うん」と小さく返事を返す。
そんな後輩の思い詰めた姿を見てられなかったのか、主君に気を利かせてこれまであまり口を挟まなかった心紬の感情の天秤が傾くと、とうとう横から助け舟を出す。
「無理しないでください。滅者のことは私が引き受けるので露零はなにも気にしなくて大丈夫です」
「心紬お姉ちゃん……」
縋るその声はあまりにか細く、ほんのかすかに漂う涙臭から露零の精神がすでに限界近い状態にあることを二人は一聞で理解した。
しかし、直前の心紬の行動に対する二人の考えは決して交わることはなかった。
露零に対する心紬の配慮は先輩従者として当然の行動だが、伽耶は従者が割って入ってきた理由がまるで分かっていない様子だった。
そんな要所要所で何歳になっても、どれだけの地位に就いてもポンコツさが抜けきらない主君に対して心紬はついに直接物申す。
「伽耶様も少しは配慮してください。仮にも片割れなんですよね?」
いつ、どのタイミングで後輩従者と主君との関係性に気付いたのだろうか。
いや、読心できる彼女に対してそんな疑問を抱くこと自体、野暮というものなのかもしれない。
しかし未だに責められている理由が分かっていないのか、従者の言葉を終始疑問符を浮かべながら聞いていた伽耶。
波風立てないようにと振舞うその態度がかえって従者の気に障り、読心せずともこの場を適当に流そうと考えているだろうことを理解した心紬は続けざまに物申す。
「私やシエナ相手なら単なる主従関係でいいですが露零は生まれた時から悪のレッテルを張られてるんです。それに片割れというなら伽耶様にだって非はありますよ」
(これ以上は、だめ)
このままでは喧嘩別れで風月に行くことになりかねないと露零が感じ、懸念するのは何ら不思議なことではない。
そんな言いよう言われようの二人だが、二人が作り出した険悪な空気は伽耶が一歩引くことで何とか収束し、事なきを得た。
「ウチの従者は三者三様に良さがある。それは露零だけやない。心紬、もちろんあんたもやで」
シエナの通常運転である突き放すような冷めた物言いとはまた違い、立場の違いに一切物怖じすることなく人としての在り方を説く心紬の姿は正に伽耶が自國に掲げる横繋がりそのものだった。
それは内容に関しても同じことが言え、己が心に深く突き刺さった従者の言葉。
その意味を真に理解した伽耶は「確かにあんたの言う通りやな。妹相手に大人げなかったわ」とこのとき初めて自身の発言を顧みる。
その一方で、次第に落ち着きを取り戻した露零は自分のために怒ってくれた心紬に視線を向けると「私はもう大丈夫だよ。だから二人とも喧嘩しないで」と言って仲裁する。
同時に自身が原因で関係性に亀裂が生じたという思考回路に嫌でも至った少女は國を出るまでに何とか修復しなければならないとも考え、一人で抱え込んでいた。
(自分でも気付かんと一人で抱え込むんは露零の悪い癖やで)
無意識のうちに考え込んだ結果、吐き出しどころやタイミングを見失う経験は人間誰しも一度はある。
経験豊富な伽耶はそれで心のダムが決壊し、意思が全く機能しないまま投身を図るという生涯尾を引く恐怖体験をその身を以て経験している。
よって、自身の経験から導き出した彼女の対応はすでに決まっていた。
(詫びにすらならんけど姉として、あんたの知らん水中光芒を見せたるわ)
死んでいてもおかしくなかった九死に一生を得る体験を経て至った姉の最終結論。
それは自らが投身を止める逆堤防となることだ。
海面付近の広範囲に及ぶ水中光芒という現象。
それをベースに一部置き換え、独自解釈することで導き出したある一つの考え方。
結論から述べるとそれは笑顔であり、晴天のような一切の陰りない笑顔こそが人波を直上から照らすと考える彼女は前後の会話など関係なしに「せやろ」と一言、まるで最初から分かっていたと言わんばかりに二人に向かって笑顔でどや顔をして見せる。
「全くもう、お茶目なのはいいですけどこれからは露零のことも考えてあげてくださいね」
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そうして伽耶と別れてから今現在、二人は城下町に来ていた。
理由は簡単、國を離れる許可が下りたことで色々と準備する必要が出てきたからだ。
二人はまず、近くの雑貨屋に入ると表に姿の見えない店主を呼び出し声を掛ける。
「すみませ―ん。店主はいませんか?」
「はいはい」
(あれ、あの人って……)
そう言って奥から出てきたのは露零にとって見覚えのある人物だった。
その人物は以前、露零が識変世界で見た綿菓子屋を開いていた冴えない中年男性その人だった。
いや、綿菓子屋が屋台だったことを考えるとこの雑貨屋こそ彼の本当の店なのだろう。
「いきなりすみません。風月の情報って取り扱っていませんか」
「もちろん活きがいいのを仕入れているよ、ねえさん経由でね。何が御所望かな?」
「おすすめの情報ってありますか?」
言葉そのままに受け取った店主は陳列してある現地民の間で旬で人気を博している商品を二点手に取って戻ってくると、その商品の需要と用途を簡潔に二人に説明し始める。
「今うちで取り扱っているのはこの二つかな。これは「軽石」と言ってね。そばに置いておくとこの石が持ち主にかかる負荷を肩代わりしてくれるんだ。それからこっちは『風除けのお守り』ね。所有者は風の影響を受けないから「追い風」『向かい風』なんてめじゃないさ」
まともな人間ならばインチキ商法に騙されてるんじゃないか? と誰もが真っ先に考えるだろう如何にも胡散臭い内容だった。
理由は単純、店主が持ってきた物は何の変哲もないただの石っころ。
もう一つは石とは対照的で、ご利益がありそうなお守りだったがそれでもだ。
この手の手法は抱き合わせ販売の常とう手段だが、店主の話を聞いた心紬は一切迷うことなく即決で店主に勧められたもの二点を二組購入する。




