第一章45話『大所帯』
和猫を使役するシエナの計略により、動く歩道ことキャットウォークに流された怪我人は続々と藍凪城内へと運び込まれる。
ここからは露零と心紬二人の出番となるのだが、その前にまずは役割分担しなければならない。
「私が手当てするので露零は伽耶様の部屋の隣から巾着袋を取ってきてくれますか?」
「もちろんだよ! お姉ちゃんの部屋の隣だよね?」
「ええ、私はここにいるのでお願いしますね」
役割分担の主導権を持ったのは先輩従者である心紬だった。
医者の卵でもある先輩従者に雑務を任され自身の役割を理解した露零は早速三階に上がると言われた通り、伽耶の部屋へと向かうとその隣の保管部屋にそーっと入る。
すると室内には棚一杯に置かれた巾着袋が衛生管理バッチリの状態で保管されていて、露零は上から順に背伸びしながら一つ一つ丁寧に手に取っていく。
しかし一度に抱えられる数には限りがあるため、少女は何度か往復を繰り返すと三往復目くらいで心紬から「もう足りそうなので大丈夫です。あとは私がするので露零も休んでいいですよ」と山場を越えたことで労いの言葉が掛けられる。
「私は全然平気だよ? それより心紬お姉ちゃんのほうが心配だよ…。無理しないでね?」
「ありがとうございます。ですが二次被害は私の立ち回りが原因なのでこのくらい平気です」
自身の判断が招いた失敗を取り戻さんとする心紬が言葉を返すと彼女は一段落着いた露零が心配そうに見守る中、一人一人の怪我の具合に応じて適切な処理を施していく。
ある人には包帯を巻き、ある人には薬液を塗布し、またある人には錠剤を飲ませると処置が終了した人から順に横に寝かせて安静にさせる。
「うっ、ここは…?」
「痛っ、あなたは敵…じゃないみたいね。どうもありがとう」
「水鏡の若いお人。主より異國の我らを優先して手当てしてくださるとはよくできた方だ」
藍凪に運び込まれてしばらくすると、中には意識を取り戻す者もちらほら現れ始めていた。
彼らは今なお親身に治療継続中の心紬の存在を認識するや思い出したかのように状況を理解すると感謝の言葉を口にする。
すると心紬は笑顔を浮かべながら軽い会釈で返事をし、治療する手は止めずに会話を拾うと深手を負った患者の心を包容力ある巧みな話術で和ませる。
それからも休む間もなく治療を続けていると即効性のある医療道具を使用したのか、処置を開始してから次第に意識を取り戻す者が倍々式に増え始め、意識の戻ったお客人が過半数を超えると心紬は「それじゃあ露零、二階に空き部屋があるので御客人たちを案内してもらえますか?」といって後輩従者に次なる指示を出す。
「でも私、誰もいない部屋なんてわからないよ?」
「二階は露零の部屋と私の部屋以外は全室空き部屋なのでどこでも大丈夫です。お任せしますね」
この場にいる水鏡メンバーの中で唯一手透き且つ、城内の構造を把握しているのは露零ただ一人だ。
しかし誰に案内されたというわけではなく、興味本位で始めた散策によって大まかな構造を把握しただけの露零の表情にはうっすらと不安が現れていた。
そんな後輩従者の心の不安を読心した心紬は直前の出来事で酷く傷心した患者に悪い意味で波及する可能性を考えると、「頼りにしていますね」と更なる水源ワードで後輩従者を鼓舞する。
すると「それなら私にもできそう! 任せてよ」と先輩従者が発生させた流れに乗った露零はすっかりその気になり、自ら進んで案内役を引き受ける。
色々と分からないことが数多くあったさっきまでと、状況的にはそう変わらない。
だが教育者との相性次第でモチベーションや視点、行動原理は大きく左右されるものだ。
その成功例の結果、分からないなりにやってみようと逆転の発想に至った露零は嬉しそうに案内役を買って出たというのが顛末だ。
初日に先輩従者にしてもらったように、旅館のような好待遇で怪我人たちを各部屋へと案内する。
「それじゃあ動ける人は私についてきて、今からみんなを上のお部屋に案内するね」
そう言って階段を上る少女の姿はまるで水中階段を上る水の女神、その使いのように他の者には見えていた。
つい今しがた敵襲に遭った國、水鏡國内で最も信用のおける安住の建物。
それは御爛然が根城とする城、藍凪に他ならず、顔も知らない水鏡主要メンバーが総出で外の國から訪れた修行者を治療し、匿うという姿勢に甚く感銘を受けたことも露零を女神、その使いと錯覚する要因となっただろう。
その一方で、休む間もなく一階の階段付近で処置を続ける心紬は最後の人物伽耶の処置を終えると主君と同僚が目を覚ますまで、心紬もその場に留まり最後まで二人に付き添う。
「これでよしっと。はぁ~~、やっと終わりました。前から有名とは聞いてましたが滝武者にこんなに人が集まるなんて初めて知りましたよ」
「…………」
溜息代わりに一仕事終えて呟いた大きな独り言。
達成感を感じさせるその独り言は誰に向けたものでもなく、強いて言うなら自分を労うための肯定の言葉だ。
自他、そして心身共に定期的な言語化整備を心掛ける心紬は数十人規模の立て続けの緊急患者にたった二人で対応した超重労働から、気付けば同僚に肩を寄せて気を失っていた。
一方で露零も階段近くの部屋から順に一人ずつ案内し、全員の案内が終了するとその旨を心紬に伝えようと露零は再び先輩従者のいる一階へと下りていく。
すると「追跡可能な敵をあえて見逃す」という不完全燃焼によって過敏になった心紬の聴覚は緊張の糸をピンと張り、階段を降りる足音が張られた糸に引っかかったことで心紬は危機感知が働き目を覚ます。
「心紬お姉ちゃん、みんなの案内終わったよ。今日はみんな部屋で安静にしてるって」
「ありがとうございます。伽耶様とシエナは私が責任をもって付き添うので露零も先に部屋で休んでいいですよ」
しかし、少女は何も答えず心紬のもとへと静かに歩み寄っていく。
そして驚いている彼女に「部屋にいても暇だもん。私もここにいる」と遅れて答えた露零はそのまま心紬の隣に座る。
それは(頑張ったから褒めて欲しい)という一種の愛情表現でもあり、心紬の横に座ると後輩従者は初めて甘えるような仕草をして見せる。
「私は話し相手ができるので嬉しいですがその…。疲れてないんですか?」
共同作業で同じ疲労感を分かち合った心紬は心配そうに尋ねるも、「知らない人がいっぱいだからお姉ちゃんたちと一緒にいる方がいいもん」と露零は言葉を返し、心紬は自愛に満ちた優しい笑みを少女に向けると「二人」はまだ眠っている『二人』を起こさないように必要最低限の声量で会話を始める。
「今日は朝から大変だったね。ねぇ、滝武者って何をするところなの?」
「滝武者はですね、この國伝統の由緒ある修行場所なんです。最初は滝修行ができる場所として有名だったんですがいつしか他の國から武者修行に訪れる人が増えたので名称が次第に変わっていったんです」
「だからこんなに人が多かったんだね」
そんな他愛ない会話をしていると二人の声が大きかったのか、伽耶は突然目を覚まし「はっ、ここはどこや!!」と未だ戦闘継続中という認識なのか、警戒心MAXの彼女は天地がひっくり返ったように飛び起きる。
思えば伽耶の最終の記憶は爆弾滅者との対峙なのだろう。
あれから時間が進でいるが気絶していた分、体内時計に狂いが生じていても何ら不思議はない。
現状を知らない彼女が大声を出すのは仕方のないことかもしれないが、その大声が原因で今度はシエナが目を覚ましてしまう。
「う~ん。うるさい、です…。もう少し寝かせてくれてもいいんじゃないんですか?」
寝起きが悪いのか、いつも以上に不機嫌そうに冷ややかな殺気を垂れ流すシエナ。
彼女は開口一番不満を吐露していたが、大声を出したのが伽耶だとわかるとわかりやすくそれ以上は何も言わなかった。
しかし今度は周りを見渡すと、二人に「……あちこち汚れてますね、もしかして他の階も土足で踏み込んだんですか?」と八つ当たり気味に尋ねる。
しかしそれが八つ当たりだということに気付いていない露零は「大丈夫だよ。みんな二階に上がる前にくつを脱いでくれたから」と伝え、続けて「みんな部屋に案内したんだけど大丈夫だった…?」と、今度は伽耶に恐る恐る尋ねる。
すると伽耶は國長が機能していない中、土俵際で持ち堪え、何とか國の面目や体面を保ってくれた二人に心の底から感謝を伝える。
「全然ええよ。むしろそうしてほしかったくらいやしほんま感謝するわ。他國の者を死なせてしもうたらウチの立つ瀬ないから二人には感謝してもしきられへんわ。おおきに」




