第一章43話『救苦』
突如現れた敵を切り伏せたことで冷静さを取り戻した心紬は虚弱体質の後輩従者に過度な運動を強いたことを大いに反省していた。
そんな彼女におぶられた露零は、そのあまりの速さに背上から見える光景を(まるで景色が流れてるみたい)だと感じていた。
流れる景色と揺れは不規則なリズムを刻み、視覚と体感に響く不協和音は次第に少女をほろ酔わせる。
するとある時を境に走行スピードは徐々に緩やかになっていき、少女の酔いが回り切る前に目的地に到着する。
「さぁ、着きましたよ。ここから先は私が前に出るので露零は後ろにいてください」
「うん、わかった」
現場に着くなり少女を下ろすとすぐさま心紬は腰に携えた刀に手を掛け臨戦態勢を取り始める。
彼女の警戒ようから察するに、敵襲による被害は甚大なのだろう。
守る背中は時として、実物以上に大きく見えるものだ。
それは背中から飛び降りた露零が実際に目で見て感じた感想であり、全貌の見えない敵襲に思わず委縮した少女が辺りを見渡すとそこには対魔獣戦以来の凄惨な光景が広がっていた。
露零の目の前に広がるのは爆発に巻き込まれたのか、以前自室でちらっと目にした白装束姿の屈強そうな人々があちらこちらに倒れている何とも惨たらしい光景だった。
大地が軽く揺らぐほどの爆発もあった中で、命の危機に瀕している彼らを放っておくことはできないが今は一刻を争う事態だ。
心紬は比較的軽傷な女性の心を覗き見ることで事態を把握すると、意識を失っているその女性を軽く揺さぶって起こし始める。
「大丈夫ですか? 起きてください」
そうして意識を取り戻した女性だが、彼女は「うっ、一体何が…」と記憶が混濁しているのか状況を飲み込めていない様子だった。
そんな女性の心を読んだ心紬は「大丈夫ですか? あなたは敵の地雷に巻き込まれたんです。時間がないのでこの場はお任せしてもいいですか?」と、本人もまだ理解しきれていない事の詳細を簡潔に伝えるとこの場を女性に一任する。
「えっ、ええ…。そういえば少し前に藍爛然様が来て≪若い泡沫を水の泡にはさせへんから安心しい≫と言って砦と共に滝の中に入って行ったわ」
「情報提供感謝します。伽耶様の仰った通り、あとは私たちに任せてください」
他國民に何かあっては一大事であり、主君、ひいては水鏡の信用を失墜させ最悪立場が危ぶまれる事態にまで発展しかねない。
よって心紬はここから先は被害ゼロ信念を心の旗に掲げると同士にして後輩従者の顔を見て「露零、滝の水を凍らせることはできますか?」と、少女の今の力量で考えればややハードルの高いことを要求する。
「えっ、でも…」
尻込みする露零は滝つぼから徐々に目線を上げていき、勢いよく流れ落ちる大滝の全体像をイメージする。
絶えず流れ続ける大滝を前に思わず否定的な言葉を言ってしまいそうになる露零だが今、この場にいる何人もの怪我人たちの姿を思い出し覚悟を決めると「わかった、やってみるね」と不安ながらも宣言すると言ったからには後に引けないと弓を構えて矢をつがえる。
一度覚悟を決めてしまえばそこから先は早かった。
瞳を閉じ、極限まで集中力を高める露零は行方不明の姉、そして先輩従者の気配を滝のさらに奥に感じたことで不安や迷いは一瞬にして消え去ると、開眼と同時に目の前に流れる大滝目掛けて氷結矢を打ち放つ。
少女が打ち放った矢は大滝の一部を縦割りならぬ縦に氷結させると続けて心紬も、ほんの一瞬だけ凝固した大滝を刀で切り割ると二人は氷塊が押し流されるより早く、氷裂け目から大滝の中に入ると奥行きの見えない洞窟に足を踏み入れる。
「わぁ~、すごく綺麗だよ心紬お姉ちゃん!」
洞窟内はところどころから内側に突き出した夜光石が明かり代わりになっていて、二人はさらに奥へと進んでいく。
さっきまでは不規則に鳴り響いていた爆発音も二人が現地に着いてからというもの、めっきり鳴り止んでいて心紬は一抹の不安を抱いていた。
地震ほどではないにしても軽い揺れが生じるほどの地鳴りは恐らく地雷の類なのだろう。
それは目視で確認できるものではないため、二人の足取りは自ずと慎重になっていた。
「滅者…。私の――」
知識にしても経験にしてもまだまだ浅い露零にとって、未知に対するイメージの振り幅は大きく最低でも燦、最高で魔獣というかなり偏ったものとなっていた。
突き出した夜光石に気を付けながら歩いていると突如、洞窟内で大きな爆発が起こり、次の瞬間、二人の頭上の天井にはまるで生死を分かつかのような大きな亀裂が生じ始める。
そして崩落を予感させる音がほんの僅かに聞こえた心紬は咄嗟に「危ない!」と叫ぶと露零の手を引き前方に逃げる。
二人が走り出すとまるで後を追ってくるかのように崩落し始める洞窟の天井。
間一髪で崩落から逃れることができた二人は息を切らせてその場に座り込むと、崩落した後方を見つめながら死んでもおかしくなかったと一難去ったことに安堵の表情を浮かべていた。
「危なかったですね…。大丈夫ですか?」
「う、うん…。心紬お姉ちゃんありがとう」
しかしそんな安堵も束の間に一難去ってまた一難。
二人の前に次なる危機ともいえる一人の人物が現われる。
「足止めを任されたのはいいけど君たちで僕は救われるのかな? 生きててくれて嬉しいよ。ねぇ、『功罪相半ばで分かたれた僕たち、本能レベルで業が宿命な現状を君たちはどう捉えるのかな』」
突如として投げ掛けられたのは救いを求める魂の問いかけ。
御爛然、魔獣とこれまでの相手とはまるで違う、彼が放つ異様な雰囲気に心紬は抜刀し、すぐさま臨戦態勢を取っていく。
しかし彼らと同じく幸滅の祈りによって産み落とされた者として、また同じ被害者として、もしも先に彼ら滅者に出会っていれば一緒に被害者の会を開いていたかもしれないと考える露零は彼に少なからず共感の念を抱いていた。
この問いかけは露零にとっても今一度、自分を見つめ直すきっかけとなるだろう。
しかしそんな少女の甘い考えとは裏腹に、これはただ問いかけに答えればいいなどという生易しいものではなかった。
次の瞬間、目の前の少年は何の前触れもなく手に持ったサバイバルナイフのようなもので容赦なく心紬に攻撃を加えていく。
だが心紬は初めからそのつもりだったと言わんばかりにその初撃を刀で容易く受け止める。
すると少年は腰辺りからもう一本のサバイバルナイフを取り出し、さらに追い打ちをかけていく。
短剣二本による素早い連撃と体術に、刀身が長い分不利になると感じた心紬は一度刀を鞘に納めると素手で往なす防戦一方の戦い方に早い段階で切り替える。
「お姉ちゃん避けて! お願い、当たって――!!」
彼女が防戦にまわり、注意を引き付けている間に矢をつがえた露零は大声で叫ぶ。
少女の呼び声に反応した心紬は同じく声に反応し、一瞬注意が逸れた少年がサバイバルナイフを持つ手に的確に蹴りを入れてナイフを弾くとすかさず後方に飛び退く。
そして狙いを定めた露零はナイフを弾かれ体制の崩れた少年目掛けて氷結矢を打ち放つ。
「これは足止めのつもり? でも僕を本当の意味で止められるのは言葉だけなんだよね」
「いいえ、あなたの負けです」
心紬の狙いは救済浄化とは別にあった。
露零が打ち放った矢は少年の足付近を貫通し消え失せると急速に彼の足が凍り始め、心紬はその一瞬の隙を見逃さず、目にも止まらぬ抜刀術で彼を一刀みねうち切り伏せる。




