第一章41話『髪結い屋』
「えへへ、心紬お姉ちゃんとお揃い♪」
物置蔵でお揃いの巾着をもらった余韻に浸る露零は城内に戻ってきた今も嬉しそうにしていた。
弾む心境は次第に足取りにも表れ始め、殺風景な自室の足しにと貰った小物数点が入った巾着袋を大事そうに手にぶら下げながら持ち歩いているその姿に、選んだ甲斐があったと心紬も優しい笑みを後輩従者へと向ける。
「今日は少しでしたがまた欲しくなったときはいつでも声を掛けてくださいね」
「うん! 動物さんを一緒に撫でたのも蔵に行ったのもとっても楽しかった。心紬お姉ちゃんありがとう」
心紬はそのままの流れで少女の自室前までついてきていた。
そして部屋の前で別れた露零は貰い物を室内に持ち込むとぽつんと置かれた脚の短い机の上に一度全部出し始める。
物置蔵で少女がもらった小物は巾着袋を合わせて全部で五つある。
二つ目は未開封の花札であり、室内装飾品としては微妙だが暇をつぶすにはもってこいと言えるだろう。
三つ目は砂時計ならぬ水時計だ。
しかしこの有為に正確に時刻を測れるだけの技術はまだ存在しておらず、時計とよばれているがその特徴はオイルタイマーのようなものとなっている。
四つ目はこれといって何の特徴も飾り気もない櫛で、最後の五つ目は貰ってきた巾着袋をかける用の壁掛けフックだ。
まるで縁起物を祀るかのように、水玉模様の巾着袋を壁にかけると寝巻きに着替え、床に就いた少女は今日一日の疲れをしっかりと癒す。
だがしかし、この時の露零はまだ知らなかった。
一時の平穏は後に訪れる争いの、単なる前触れだということを。
それが顕著に表れるのは先輩従者の職場を訪れた同日、翌日には國が総出を上げた一大イベント水中花火を控えた日。
その出来事を皮切りに次なる争いの火蓋は切って落とされることになるのだが、少女がそのことを知るのはもう少し先の話になる。
翌朝、二人は早朝から城下町の外れに来ていた。
町外れと言っても城下町が特別賑やかなだけで、二人が今いる場所は比較的普通ではないだろうか。
城下町も場所や日によって賑わい具合に差はあるが、毎日人波ができるほど混雑する中心部は特別と言っていいだろう。
それに比べると今二人のいる場所はすれ違う通行人も比較的落ち着いていた。
それこそすれ違う通行人一人一人の顔を確認し、覚えることは余裕で出来るくらいに。
出発地点が中心地だっただけに、歩いて遠ざかるたびに静かになっていく道をしばらく歩いた二人はまだ開店していない、clauseと書かれた看板が掛けられた木造の建物に入っていく。
その外観は客寄せのためか、外から中が見えるように入り口側は全面硝子張り。
店名を示す看板にはserenoと書かれていて、洒落たロゴが添えられていた。
前を歩く心紬は手動ドアを押して開け、店内に入るとそこには従業員らしき人物が三人、店の奥で開店前の最終打ち合わせをしている際中だった。
二人が入店したのはいわゆる髪結い屋と呼ばれる店だった。
椅子と鏡が目立つ簡素な内装で、まるで山頂にいるかのような澄んだ空気が循環する店内はこじんまりとした雰囲気で居心地のいい隠れ家のようだ。
しかしまだ開店していないからか、従業員と思しき店員三人は音のした入り口を、まるで泥棒を警戒するような目で見つめていた。
だが入ってきたのが心紬だと分かるや否や、三人は警戒を解くと懐かしい顔に若い従業員二人がざわつく中、一人歩み寄ってきた恰幅のいい中年男性が前に出る。
「何年振りだったかな、お帰り心紬。連れているその子は最近話題の噂の子かな?」
「ええ、お久しぶりです店長。みんなも元気そうでなによりです」
随分子供慣れしていそうな優しい口調の男性は事前に二人が来店することを知っていたようで、来る前は煮え切らない様子だった心紬も里親、義兄妹との久しぶりの再会を心から喜んでいた。
「みっちゃんじゃん! おひさ~。オーナーから聞いたんだけど出て行ってから髪結いを名乗ってたなんてこのserenoのこと超~好きじゃん。ほんとはここを離れて寂しかったんっしょ?」
「引き取り募集をかけた伽耶が従者にしたいって打診してきたのを店長から聞いたときは流石に驚いたけどね」
店長と呼ばれた恰幅のいい男性に続き、店員と思われる心紬と同年代くらいの二人の男女も陽気な口調で話し出す。
三人と親しそうな雰囲気の心紬の姿を前に、一歩引いた位置から露零は静かに四人の顔を「先輩従者」と『従業員』という分け方で交互に見ていた。
そしてついに、少女が彼らの会話に混ざることはなかった。
「あのときはそんなことになるなんて思ってなかったですし、ほんとはここを離れたくなかったんですよ。でも今は神結の名前がありますし伽耶様に仕えることに誇りを感じてるんです」
一切の迷いない満面の笑みでそう答える心紬の逞しい姿に他三人は感慨深い様子だった。
すると従業員で唯一の女性は「せっかくみっちゃんが来てくれたし久しぶりにあーしが髪切ったげよっか?」と言い、彼女は定位置に置かれたハサミを片手に戻ってくる。
しかし心紬は「それはまたの機会にお願いします」と言って彼女の嬉しい提案を軽くあしらう。
「え~。あはっ、それなら次来たときはあーしとみっちゃんで露零の髪切ったげよ? って言ってもみっちゃんはもう髪切ってないかもだけどさ」
退屈な日常とは違った非日常に、テンションぶち上げ状態の彼女は仕事で培った営業トークのノリで話していると「こらこら、もうその辺にしてあげなさい」と店長に軽くたしなめられ、元同僚の心紬にも「しないってば、それにりあんのセンスじゃ露零の魅力が薄れますし」と、本職の人には中々堪える辛辣な言葉を返される。
会話の流れから気を使われたというわけではないのだろう。
ただ独特な結び付け方で露零は彼女らの話題に上がったがそれ以上は続かず、三人がそんな会話で更なる盛り上がりを見せる中、一方で少女はいつの間にか会話の輪を抜けてきた心紬のもう一人の同僚に可愛がられていた。
その男性従業員は子供客用に店内に常備してある飴玉を一つ、手に取り少女に手渡すと「絹糸みたいに綺麗な髪だね」と渡しついでに小さく呟く。
「ひゃっ!」
一聞すると口説き文句に聞こえなくもないキザなセリフだがそこに邪な感情は一切なく、彼は仕事柄、良質の髪を見ると無性に髪を切りたい衝動に駆られるという面倒くさい職業病を患っていたのだった。




