第一章39話『給水符』
そんなこんなで沈んだ気持ちも目的地である緑地広場に到着すれば癒しのひと時へと変わる。
程よく自然の残った緑地広場には城下町にも居た和猫や雀などの白変小動物が種類を問わず、この憩いの場に集まっていた。
「わぁ~~~~! 白い動物さんがいっぱいいる!! 心紬お姉ちゃん、ここにいる子たちってなんでこんなに白いの?」
「それはですね、この國に流れる水が影響しているんですよ。水鏡の水は少し特殊で、在住年月が長ければ長いほど色落ちしていくというわけです」
緑地広場にいる動物と人間の割合は八対二くらいだろうか。
圧倒的に動物が多い緑地広場だが、動物らだけではなく國民にとっての憩いの場でもある。
その証拠に、白変小動物と和やかに触れ合っている國民のほとんどはヒーリングスポットとしてこの緑地広場に足を運んでいる。
しかしそんなことは知りもしない露零は「可愛い~~!」と言って近付いてきた一匹の和猫を抱き上げるとそのまま少し離れた石椅子に座って自身の膝の上に乗せ、その頭を無造作に何度も撫で始める。
すると人慣れした他の小動物たちも次第に少女を囲むように集まり始め、少女はここ数日間の出来事ですっかり沈んだ気分が上書きされると≪今だけはすべて忘れよう≫という心理が無意識のうちに働き、重ね塗りで色濃くなった脳内情報は白に触れたことでマイルドになる。
「今の露零には一番必要なのかもしれませんね。心のケアが――」
そんなことを一人呟く心紬はどこか保護者面で、少し離れた場所から後輩従者を優しい眼差しで静かに見守っていた。
その小鳥の囀りのような呟きは露零本人に聞こえていないが、ほのかに温もり帯びた暖色の視線を向ける心紬の姿を遠目に見た少女は突如立ち上がると「心紬お姉ちゃんも一緒に癒されよ?」と言い、直接手渡す用の和猫を両方の腕で大切そうに抱きかかえながら、落とさないよう慎重に彼女のもとに歩み寄っていく。
無防備な脳内では警戒網が縮小され、死角は逆に増加する。
そんな状況で思わぬスパッタリングを喰らえば反射的に反応を示してしまっても仕方ないだろう。
予期せぬ露零の言葉に「えっ、私もですか?」と、想定外の反応をして見せる心紬。
そんな先輩従者に後輩従者は「うんっ!」と無邪気な笑顔で答えるとそのまま抱きかかえていた和猫を直接手渡す。
「心紬お姉ちゃんも抱っこしてみてよ」
無心の後輩従者にそう促され、やや重量感のある和猫を受け取った心紬は慣れた手つきでその頭を優しく撫で始める。
慣れているのも当然で、彼女もこの緑地広場には何度も足を運んでいたのだ。
和猫の体温に触れ、まるで昔に戻ったような思い出のぬくもりを感じていると露零が横からひょっこりと現われ、柔和な笑みを浮かべながら和猫の顔を覗き見る。
まるで生まれたての赤ちゃんを初めて見る親子のような構図だが、このやり取りを経て間違いなく二人から悩みの種は取り除かれたことだろう。
「猫さん可愛いね」
「ふふっ、そうですね」
二人は互いに顔を見合わせ笑みを浮かべると、露零は顔を離すとそのまま一度距離をとり、しばらくすると次は和猫とは別の小動物を抱きかかえて戻ってくる。
戻ってきた少女は「えへへ、今度はお姉ちゃんとシエナさんも誘って四人で来たいな」と切なる願いをぽつりと零す。
「ねぇ、心紬お姉ちゃんってお姉ちゃんやシエナさんとここに来たことあったりする?」
「二人と一緒に、ですか? 伽耶様はああ見えて多忙ですしシエナは訳あって藍凪から出られないんですよね」
「そうだと思った~。……ってシエナさん、お城から出れないの??!」
初耳だった。
娯楽とは無縁の細々とした生活をしていたということに驚きを隠せない露零は自身が好奇心旺盛なだけに、シエナの公私混同ライフワークに思うところがあるような反応を示す。
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一方その頃、藍凪では机を挟んだ伽耶とシエナが互いに向かい合いながらお茶菓子を頬張っていた。
「なんや未開の動きが不穏になってきたなぁ。一つ聞いてもええ? もしあの子らが風月に行ったとして、そのしわ寄せはどこに来る思う?」
「まず間違いなく伽耶様でしょうね。もし仮に連絡が取れたとしてもこれまで一度たりとも戻ってこなかったあの駆け落ち色恋男がそう都合よく戻ってくるとは思えませんし」
「せやろな。けど一応戻ってくるように伝えてはくれたんやろ?」
「ええ、一応ですけど」
面と向かって露零と話したときは気恥ずかしさからか八方塞がりのような雰囲気を醸し出していた伽耶だが、なんだかんだ妹のことを気にかけていた。
自身の半身とも言える、この世界では未だかつて類を見ない妹のような存在の少女を気にかけないという方がおかしな話かもしれないが。
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魔獣討伐記念日と同日。
残った半日はあっという間に過ぎていき、露零は二日目を有意義なものにするべく、先輩従者と共に緑地広場へと訪れた。
緑地広場にて二日目の大半を過ごし、帰城した二人に伽耶はあることを提案をする。
「行けるかどうかはともかくやけど風月に行こう思ってるんやったら今のうちにあんたの元仕事場でも連れてったり。あんたも久々に同僚と顔合わせたいやろうし」
主君の粋な計らいに心紬は嬉しさと気恥ずかしさが入り混じったような、手放しでは喜べない複雑な表情を浮かべていた。
よくよく考える彼女は無意識のうちに二つの感情を天秤にかけた結果、暫くぶりという空白期間が生んだ気恥ずかしさが僅かに勝ると途端に消極的になり、「いいんですか? もっと他に見せるものがあるのでは…?」と角が立たないよう、お伺いを立てながらやんわり断りを入れようとする。
「別にかめへんよ。ウチとしては國を出られへん分手透きやし、一日くらいやったら野良が水鏡に入り込むこともないやろうから。ウチは給水符な考え方やから心置きなく羽伸ばしてき」
「前々から思ってたんですが何ですかその給水符って?」
「息抜き中に連絡はせえへんってことや。休日に鳴りものは無粋やろ?」
「そもそも刺繍は鳴りものじゃないのでは? どっちにしても身内でしか通用しないノリですよそれ」
「つれへんなぁ、そこは聞き流してええとこやで」
二人が新政策? について話している中、知らない者からすれば小難しく聞こえる会話が露零の耳の中で停止することはなかった。
ほんの一文でも耳の中で停止すればよかったのだが、すべて通過したことで最初に耳に残った野良という聞き馴染みのない単語まで話を戻す。
「のら…?」
この時の露零は首を傾げ、疑問符を浮かべていた。
それは少女の仕草からも見て取れ、するとその単語を口走った姉ではなく心紬が少女にも分かるよう簡単に説明をし始める。
「野良というのはですね。生まれたときに國に入れなかった者たちの総称なんです。彼らは國の外、未開に住んでいて、この國では伽耶様自ら現地に出向いて彼らを退治してるんです」
「退治言うたら聞こえ悪いけどまあそうやな。野良が國に入ってきたら賊みたいなことしよるから軽く睨みを利かせてるだけやで」
「睨みを利かすも大概だと思いま――――」
笑い声にも似た高らかな声でそう言うや否や、彼女は伽耶に肘で腹部辺りを小突かれる。
だが小突くの表現とは対照的な、重みの乗った肘攻撃に心紬は思わず「いっ、以外と本気…」と、時間経過とともに強まる痛みを必死にこらえながら弱弱しい声で呟くと次第に苦しさは増し腹部を抑えて蹲る。
一方でその様子をすぐ横から見ていた肘打ちをした張本人、伽耶は「あっはは、ごめんごめん。そんな強くしたつもり無かってんけどなぁ」と、彼女が笑うはずだった分も声高らかに笑っていた。




