第一章38話『雁字搦め』
「それって黒くて変な模様のやつ?」
持ってこいと言ったその真意は不明だが、心紬は「そうです」と言葉を返すとそのすぐ後、自身は身支度のため一度部屋へと戻っていく。
露零は彼女が持ってくるよう言った布製の黒いマント。
その胸元に浮かび上がった五芒星、そしてその中心にある雪の結晶に目を向けると「レーヴェさん。私、これからどうすればいいんだろう」と呟き、そっと撫でるように浮かび上がった模様に優しく手を添える。
対魔獣戦で初めてその存在を認識した露零。
ある意味で共生しているような存在だったレーヴェは破魔矢を召喚して以降、少女に干渉することは決してなかった。
彼女は一体何だったのだろうか?
そんなことはさておき、出来ないなら出来ないで約束を交わした出娜にその事実を伝えるべきなのだろう。
しかし生憎、少女は彼女との連絡手段を持ってはいない。
風月、荒寥ならば水鏡主要の連絡手段、スカーフと刺繍で要件くらいなら伝えることはできただろう。
しかし彼女が住まうは地上よりも遥か上空にある天空都市。
並の人間が安易に立ち入ることができる場所ではなかった。
――――ポチャン。
それは何の前触れもなく訪れた。
自室で考え込んでいた露零は(なんでこんなに涙が溢れてくるんだろ)と、感情を含まない無味無臭の涙をその目に溜めていた。
不思議と湧いてくる涙は滴り落ちた一滴を契機に止めどなく溢れ、やがて頬を伝うと少女はそれを手で拭う。
目が充血するほど涙を流したわけではないが、そんな少女のもとに早くも二度目の訪問者が現れる。
「露零ー! 準備できましたよ。私も楽しみなので早く行きましょ!」
意気揚々とした声で呼ばれ、少女は涙を拭うとすぐさま部屋を出る。
この数日で何度このくだりをしたか分からないがその特殊な生い立ちと才能からそばに置きたいという姉の意向により、露零だけは例外的待遇を受けていた。
ここで一度、出生について正規の場合をおさらいしよう。
本来であれば、生命は古代樹から誕生する。
誕生した生命は地上にある三つの國へと向かって突き進む。
國まで到達できた生命は祝福と共に爛然が住まう城に歓迎され、辿り着けなかった者は野良としての人生が始まる。
今回は國に辿り着いた者。
それも三國のうちの一つ、水鏡に限定した話になるが藍爛然が根城としている城、藍凪。
この城は藍爛然を始めとする水鏡主要メンバーの活動拠点であると同時に、新たに誕生した生命の一時受け入れ場所でもある。
一時受け入れ場所だが、何故一時的なのか、具体的に何を指すのかについても見てみよう。
まず何故一時的なのかについて。
その理由は新たな生命が流れ着いた時点で藍爛然が國民に対して里親募集をかけ、引き取り手が見つかるまで必要最低限の教育を施して引き取ってもらうのが一連の流れとなる。
だが特例により里子に出されることのなかった露零にとってはこの城、藍凪が我が家と言っても過言ではない。
――――ただ一つ、忙しない日常だけが難点のように思えるが、それも今の露零にとっては良点となっていた。
部屋を出た露零は彼女に付いて歩いていると、ふとそこがいつもの出入り口じゃないことに気付き少女は思わず「いつものところから出ないの?」と疑問をそのまま口にする。
すると「これから行くのは城下町と正反対の場所にあるので使う城門も変わるんです」と、最もな回答が返ってくる。
「ねぇねぇ、お姉ちゃんの部屋の前に置物が飾ってあったんだけどあれって何かな~って。なんだか本物みたいでちょっと怖かったの」
道中の会話にしては突拍子もない話題の振りにも思えるが一応昨夜、伽耶の部屋を訪ねると、直前に部屋を訪ねた心紬に話していたことから案外そんなこともないのかもしれない。
するとまるでその話題に触れられるのを待っていたかのように、心紬は嬉しそうに話し始める。
「あれはですね、水鏡の先々代の砦の半身狐を模した木彫りです。私の憧れの人で名前の由来通り晴れ女みたいに笑顔の素敵な方だったんですよっ♪」
(うっ、何ですかこの焼蜀黍は!? ……一瞬ボヤのように思いましたがどうやら気のせいのようですね)
時同じくして、藍凪城内では瞬間的な異臭騒ぎが起こっていた。
しかしそれは隙間風だろうということで終わり、悪臭の発生源が前任砦に関する捻じれた会話だということにシエナは
気付いていなかった。
そして場面は戻り、軽快で弾みのある心紬の言葉に露零は「心紬お姉ちゃん、何だか嬉しそう。私も会ってみたいなぁ」と呟く。
すると「二世代前ですしもしかしたら次の人生を謳歌しているのかもしれませんね」と、今度は少し寂しそうな口調で彼女は呟く。
「そういえばこれからどこに行くの? 私、動物さんがいっぱい集まるところに行ってみたい!」
すると露零が行きたいと言って挙げた特徴に当てはまる場所に心当たりがある様子の心紬は「どこに行くにしても共通して通る道なので大丈夫ですよ。それでは行きましょうか」と言い、先輩従者は後輩従者の要望を聞き入れると複数用意した候補の中から要望に沿った目的地を決定する。
「そういえば昨日の話を伽耶様にもしたんですよね? どうだったんですか?」
「だめだったの…。私、これからどうすればいいんだろ」
露零が今ここにいることからある程度察してもいいものだが、相変わらずのポンコツ具合で彼女は無事、少女の地雷を踏んでしまう。
普通なら地雷を踏んだと分かった時点でその話題から話を逸らそうとするもので、当然彼女もそうしようと考える。
しかし縋るように潤んだ瞳で見つめられ、彼女はこの話題に触れたことを別の意味で後悔する。
「どうすればいいんだろう?」と意見を求められている以上、話を振った当人がアドバイスするのはごく自然な流れだが、それは解決の兆しが全く見えない最高難易度の問題であり、心紬はどうしたものかと内心頭を抱える。
そうして悩みに悩んだ末に彼女が出した結論、それは苦肉の策ではあるが案内役をシエナ直属の猫に任せるというものだった。
もともと露零が誕生するまでの空白期間、伽耶と心紬、そしてシエナの三人で役割をこなし、國を回していたのだからこの方法なら伽耶の了承を得ることは可能だろう。
「私が國に残ればきっと問題はないはずです。案内役はシエナ直属の和猫にお願いするのはどうですか?」
「でもそれじゃあ出娜さんとの約束が…」
まぁ、当然そうなるだろうことは取り決めを知るものであれば容易に想像がつく。
だが心紬目線、まさか伽耶以外の人物からも別条件を出されているなど想像できるはずもなかった。
故に少女の口から二重の制約をかけられているということを後出しで聞いた彼女はより困惑する。
口約束とはいっても一方とは連絡が取れず、もう一方は恐らく条件緩和や融通を利かせてもらうのは困難だろう。
今になって気付いた二重の制約に知らずのうちに縛られていた少女は知らないうちに行動を大幅に制限されていた。
不幸中の幸いなのは入國日時などの詳細を決めていなかったことだろうか。
それでも取りやめの連絡が取れない以上、一刻も早く行動に移らなくてはならないことに変わりないのだが。
「う~ん、しかしこうなると八方塞がりですね。私じゃ良い解決案が思い浮かびそうにありません。力及ばずで申し訳ありません」
しょんぼりと項垂れ、申し訳なさそうに伝える心紬に露零は「そっか……」とだけ、残念そうに呟く。
だが、声のトーンとは裏腹に露零はまだ諦めたわけじゃなく、仰の死を一番近くで看取った少女はその時の傷心を思い出すと(私一人でも何とかしなくちゃ)と揺るがぬ決意を改めて固め、力強い意志をその瞳に宿していく。




