第一章37話『八方塞がり』
「あのね、私風月に行こうと思ってるんだ。仰さんのこと謝りたいの、それに鳴揺さんのことも聞きたいし」
「その話はどこまで通ってるん?」
「へっ? 通ってるって?」
如何に涙を分けた姉妹とは言え今、この場に限っては心を鬼にし一言完封型となった伽耶。
その彼女の表情はというと、さっきまでとは打って変わり真剣な顔つきに変わっていた。
それは一重にいつものような軽い空気で話す内容でないことを意味しているのだろう。
――――いや、単に彼女の立場がそうさせているかもしれないが。
真剣な顔つきの姉に倣った露零も真っ向から面と向かい合い、等身大の嘘偽りない思いの丈を胸を借りるつもりでぶつける。
「せや。少なくともウチの他にも関係者には話を通しとくんが礼儀ってもんやで」
「えっとね、出娜さん達に話したら付き添いの人がいたらいいよって。心紬お姉ちゃんにはさっき話してきたよ」
「それやったらええわ。はっきり言うけどウチは基本的に水鏡に居らんのや」
「えっ、それってどういうこと? ううん、それより私が風月に行くのはだめなの?」
約束を交わした手前、このままではすっぽかすことになりかねない不穏な空気に露零の心は逸っていた。
逸る心は過程を省き、結果を一早く聞きたいと考えているだろうことが見て取れる妹の浅い発言に、伽耶は自身の頭に手を当て髪を手でわしゃわしゃした後、せっかちだと言わんばかりにあからさまに一息置くと、簡潔に理由のみを伝えていく。
「引っ張ってもしゃあないし一言でいうたらそうやな。簡単な話、ウチの國からこれ以上人員を割かれへんのやわ」
――――もっと早くに話していれば何か変わったのだろうか。
いや、例え順序が違ってもこればかりはどうすることもできないと感じた露零だったが、そうなると心紬が言っていた≪全て話せばきっと分かってくれる≫とは一体どういうことなのか。
少女は答えの出ないことを考えるのをやめ、ならば次はどうすれば許可が下りるのかを考え始める。
しかしまだこの世界のほとんどを知らない少女は早々に自身で考えることを諦めると、「どうしたら許してくれるの?」と単刀直入に姉に尋ねる。
すると伽耶はしばらく顎に手を当てたあと、「そうは言うても國を回す人数は取り決めで五人って決まってるからなぁ」と言い、まるで方法がない様子だった。
そんな姉の様子に少女は「そっか…。お姉ちゃんありがとう。でも私、諦めないよ」と言い残すと力強い言葉とは裏腹に、もの寂しい小さな背を向け少女は伽耶の部屋を後にする。
「ウチかて好きでアンタを縛ってるわけやないんやで。ホンマやったらウチとシエナが國に留まるんが一番ええんやろうけど……」
少なくともこの時、伽耶は伽耶で葛藤があったのだ。
生まれて初めて妹が口にした人生最初の我儘。
ようやく芽生え始めた自我を尊重したいと考えていた彼女はその第一歩こそが重要であり、出鼻を挫くことは教育の上で最もタブー視されているということを誰よりも理解している。
それだけに立場がその妨げとなる現状に、彼女は無力感にも似たもどかしさを感じていた。
「お姉ちゃんの前では強がってああ言っちゃったけど、これからどうしよう…」
心配をかけまいと強がっては見せたものの、思わぬところで最初の難関に直面した露零はとぼとぼ歩きで自室に戻るとわかりやすく肩を落とし、そのまま倒れるように布団に勢いよくダイブする。
そのあとすぐに仰向きとなり寝る体制になったはいいものの、なかなか眠りに就くことができない少女は「心紬お姉ちゃんとお出かけしたいなぁ」と脱力気味に本音を漏らすと半ば無理やりふて寝する。
そして日付は変わり、翌朝になると露零は寝起き早々水鏡を案内してもらおうと心紬の部屋を訪ねようと考えていた。
その心紬からしてみれば、約束無しでいきなり訪ねてこられても迷惑以外の何物でもないだろうが少女はそんなのお構い無しに心紬の自室へと押しかける。
「心紬おねーちゃん! 一緒にお出かけしたいな~って思ったんだけどだめー?」
「ふぁ~? きょう、ですか…? いいですけどもう少し寝させてくださ――」
今日はノック無しの呼び掛けだったからだろうか。
昨日の対応と違って心紬は部屋の前に立つ少女の前に顔を出さず、障子越しから眠たげな声のみが返ってくる。
まだ寝ぼけているのかこんにゃくのようにふにゃふにゃした言葉遣いだったが、少女はいつにも増して(かわいい)と感じていた。
障子を挟んでの会話だったため、表情を含め彼女の様子は分からないが会話が変なところで途絶えたことを考えると、おそらく彼女は返事の途中で二度寝したのだろう。
それでも一応は約束を取り付けることに成功した少女は再び自室に戻ると、姉の部屋と比較した自室の殺風景具合を改めて実感し始める。
そして何を思ったのか、露零がふと朝日が差し込む窓から外を覗くとそこから見えたのは見慣れた城下町ではなく、裏手の自然溢れる景色だった。
遠くに見えるのは荒々しく流れ落ちる大滝。
そして白変動物が集まる緑地広場ような場所が露零の両の目に留まり、少女はそのうちの一つ、緑地広場に強く興味を惹かれる。
本来ならこの二つのスポットは肉眼では見えるはずのない距離にあるのだが、対燦戦で伽耶がスカーフに施した体質の変化を解釈するなら、弓を扱うのに必要な視力が飛躍的に向上したのだろう。
緑地広場を眺める露零は、そこでのびのびとくつろぐ白い小動物に完全に心を奪われていた。
しかし次の瞬間、確かに横切った黒い人形に視線が引き寄せられるとそのまま今度は大滝の方に目を向ける。
――――そして少女は移した視線の先、滝つぼ周辺に複数の人影を見る。
最初は視線を移す原因となった人影一つが目に留まり、その人影は次の瞬間、滝の中へと消えていく。
その後も複数の人影を滝つぼ周辺で確認すると、目を凝らした少女は次に彼らが着用している服装に注目する。
その服装は皆統一で、男女ともに白装束、そして手には数珠を持っていた。
見慣れない光景を不思議そうに眺めていると不意に障子をノックする音が聞こえ、少し遅れて心紬の声が部屋の外から聞こえてくる。
「もしかしてさっき部屋に来ましたか? 寝ぼけてたみたいでなんだか記憶が曖昧なんですよね」
「覚えてないの? 水鏡を案内してほしいって言ったらいいって言ってたよ?」
「本当ですか? 全然覚えてません…。でも今日でよかったです」
「どうして?」
目が覚め切っていないときの記憶、特に会話は曖昧なものだ。
露零が彼女の部屋を訪ねたのは午前十時頃、いつもなら起きているだろう時間なだけに少女は彼女のことを(お寝坊さん)だと内心思っていた。
「それは秘密ですっ♪ あっ、言い忘れるところでしたが出掛けるときは不思議な模様の羽織りを持ってきてくださいね」




