第一章35話『心療緑化』
「ねぇ、私と識爛然さんは幸滅の祈りで生まれたんだよね? どっちが代償なの?」
出娜の話を一通り聞いた露零がそれとは別に、絶対に聞いておかなければならない最重要事項について尋ねる。
その内容は「自身」と『識爛然』のどちらが希望でどちらが代償なのかということだ。
識爛然がこの場にいるにもかかわらず、露零は最も慎重にならなければならない話題に不用意にも素手で触れてしまっていた。
こういう場合は発言者より回答者の方が困惑するもので案の定、出娜は少女の問い掛けに困惑した表情を浮かべていた。
しかし出娜を見る目は次第に増え、やがて全員の注目を一身に集めた彼女は話さざるを得ない状況だと観念し、一瞬暗い表情を落とすとゆっくりとその口を開き、そして話をし始める。
「――――私が願ったのは魔獣に対抗できる力よ。識変世界は臨死体験ができるの。おかげで伽耶の中に眠っていた深の力を目覚めさせることに成功したわ」
濁してこそいるが識変世界というワードがいい意味で出た以上、露零が代償として誕生したいうことはこの場にいる誰もが理解した。
そしてそれは本人も例外ではなく、しかしそれはそれとして頭の片隅へと押しのけた少女は次に伽耶に向かって「大切な人って?」と、感情が一切乗っていない口調で純粋に尋ねる。
一方的な思いになるが、それでも伽耶のことを姉だと思っていたのだ。
いや、話を聞いた少女は今も尚、彼女のことを姉だと認識している。
姉じゃないと分かった今でもそれをすんなり受け入れられるはずもなく、少女はその人物に対して嫉妬にも似た感情を抱いていた。
正真正銘の姉であれば姉妹を取られたくないという妹の可愛い我儘となるだろう。
しかし正しくは姉妹ではなく、よって同じ行動でもその意味は百八十度真逆となり、あわよくば自分が一番になりたいと考えていた少女は衝撃的な事実を知り、人生のスタートラインにすら立てていなかったことに(今からじゃ一番にはなれない)と、この時は内心かなり落ち込み悲観的になっていた。
「そんなんあんた一択に決まってるやん。ウチは何があってもあんたのことを守るって心に決めてるんやで」
しかし少女のありとあらゆる心の不安はいい意味で裏切られることとなる。
文字通り涙を分けた姉妹である伽耶もまた、露零のことをかけがえのない身内として認識していたのだ。
向けられた感情に気付いた少女は先の世界、識変世界で考えていた家族みたいな関係になりたいという願望が叶ったと感じるとここ数日で一番の笑顔を浮かべて思わず姉に抱き着く。
「お姉ちゃん♡」
「今日はえらい甘えたやなぁ」
だが二人がそんな微笑ましいやり取りをしている一方で、地空は少し離れた場所に連れ出した出娜に声を掛けるとさっきのやり取りで個人的に感じた疑問点を三つ四つ突き付ける。
「精神科医の立場から言わせてもらうとこの場には風月の住人が一人もいないけどそのことはどうするつもりなのかな? それに僕と燦はまだ協力するとは言ってない。ついでにもう一つ言えば國を持ってない識爛然はこれからどうするつもり?」
心の底から分かり合うことについて視覚的な例を一つ挙げるなら、心は身体の中にある。
身体は心と心の繋がりにおいて障壁となり得る。
だけならまだしも見えてこそいないがそこにはパーソナルスペースがあり、対向には同様の心と身体が同じくある。
その障壁を取り除くため、心療緑化という名の精神科を営んでいた過去が長寿の地空にはある。
少年の容姿からはとても想像できない、嗜虐さすら垣間見える本質を突いた鋭利な物言いに出娜は返す言葉が見当たらず、思わず黙り込んでしまう。
義姉のそんな反応は義弟の嗜虐心を大いに満たし、稀に見る義姉の醜態を余すことなく目で見て楽しんだ地空は次にその矛先を燦へと向け話を振る。
「僕は上姉さんに協力するつもりだけど燦はどうかな? まぁ僕的には君が対立組になっても勝てる見込みありだけど」
あからさまな挑発をする地空。
少年にとってはほんの悪戯感覚なのだろうが、反論の余地を残さない辛辣な言い回しはまさに負け知らずと言っていいほどに洗練されていた。
当然それが挑発だと分かっている燦だが、たかが口喧嘩と言えど彼女の対抗心に火を付けるには十分な口撃だった。
しかし咄嗟の機転で予想外から出し抜く勝機を見出した燦は柄にもない言葉を返す。
「お前、あたしの性格をわかって言ってるだろ。……だがお前の思惑通りに動くのは癪だし何より見極め期間は必要だからな。今のところは協力してやるよ」
一見、バラバラに見えて心では通じている御爛然。
その会話を途中からだが聞いていた露零は順調に話がまとまってきていると感じ、内心喜んでいた。
しかしまだ解決していない問題が多数存在することもまた事実だ。
そこで少女は地空たち三人の会話に遅れて混ざると、さっき話題に出ていた今は亡き仰が生前に治めていた國、風月には自分が向かうと伝えていく。
「さっきの話なんだけど私ね、仰さんに言われたの。「鳴揺って人を助けて欲しい」って。だから私が風月に行って伝えるのはだめかな?」
露零の申し出を聞いた三人は意外そうな反応を示していた。
それは彼ら三人が考えもしない提案だったからではない。
むしろ最も理に適った方法であると早い段階で考えはしたものの、それぞれ異なる理由により早々に脳内シュレッダーにかけ破棄していた。
しかしそれはあくまで露零と仰、この二者間の会話を考慮していない彼らの個人的判断だ。
そんな中、他二人とは別の意味で否定的な私見を持つ地空はなぜか殺意を押し殺しており、行き場を失った殺意は少年の足元に小さな亀裂を生じさせた。
だが少女は地面に走った亀裂に気付くことなく、三人はアイコンタクトで意思疎通するとその方向で話を進めるにあたって出娜が代表してさらなる条件を伝えていく。
「それなら私たちからも二つだけ条件があるわ。一つは水鏡から一人護衛を付けること。二つ目は前もって訪問する旨、それからあなた自身のことも伝えておくこと」
「どうして?」
「それは……姉に聞くといいわ」
「うん、わかった。それじゃあそういうことだから」
どこか含みのある言い方だった。
実際にはよく分かっていないまま、考え無しに快諾した露零は後にこの約束によって手足を縛られることになるのだが、今の少女には全く関係のないことだ。
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その後、露零の申し出を皮切りに五爛然は解散し、露零と伽耶も水鏡に帰國する。
その道中、特に何を話すでもなく二人が根城とする藍凪付近まで戻って来た二人を従者である心紬とシエナが出迎える。
「二人ともお怪我はないですか?! 識変世界に囚われて以降、シエナも動向を追えていなかったみたいでずっと心配してたんですよ!」
「ごめんごめん、でもあれの原理はようわからへんなぁ。向こうの記憶はあんのに身体はなんでか切り離されてるみたいやし」
心紬の第一声は大仕事を終えた主に対する労いの言葉でも無事を喜ぶ歓喜の言葉でもなかった。
五体満足で戻ってきたことに胸を撫で下ろした彼女はホッとしていたが、次の瞬間には「二人を労おうって話してたんです」と言って二人を城の中へと迎え入れる。
「出て行くときよりお庭が綺麗になってたよ! 心紬お姉ちゃんがお手入れしてくれたの? えへへ、なんだか嬉しい♪」
すると自身の名を口にしない露零の返答に、シエナはすかさず「私も、ですよ」とご機嫌ななめな表情、口調で答える。




