第一章31話『他者作用』
満を持して打ち放たれた一撃必勝の破魔矢は一直線に魔獣に迫ると魔獣は逃げようとその巨躯を真横に方向転換させ、地面を二度三度蹴り始める。
その様子を遠目に見ていた三人は魔獣が次に取る行動をいち早く察知すると力による遠距離攻撃で拘束する。
「往生際悪いで、ウチらの努力を水の泡にはさせへんよ!」
「私は償わなくちゃいけないの。こんなところで躓いてられない!!」
「……」
しかしそんな決意も空しく終わり、魔獣は地面を激しく踏み鳴らして三人を吹き飛ばすとそのまま一目散に逃げていき、矢の軌道上から大きく逸れていく。
魔獣の激しい踏み鳴らしですでに満身創痍だった識爛然は再び瀕死になってしまい、出娜は手が付けられない魔獣の姿にこの世の終わりのような絶望の表情を浮かべる。
「そんな…破魔矢が外れるだなんて……」
「私のせいだ…。お姉ちゃん、ごめんなさい」
最後の希望ともいえる破魔矢が外れたことにこの場にいる誰もの脳裏に敗色濃厚の四文字が過る。
だがこの絶望的な状況でもまだ諦めていない人物がたった一人だけ存在した。
その人物は魔獣に対して言い放った言葉が己にも当てはまっていると告げるとまだ軍配はどちらにも上がってないということを行動で示す。
伽耶は破魔矢の軌道上に存在する空気中の水分を増幅させると矢の勢いはそのままに、滞空時間を少しでも稼ぐことに全力を注いでいく。
「生憎ウチも往生際の悪さは負けてへん。何個か条件あるけど天爛然は魔獣をなるだけ破魔矢の近くまで連れてき」
これが恐らく一つ目の必須条件なのだろう。
出娜に伝えた条件が全てとは限らないが、限りない絶望の中で伽耶が僅かに見出した光明を無下にする理由はない。
しかしその無下にする理由がないというのはあくまで正常な判断ができる場合の話であり、出娜は彼我の実力差に打ちひしがれると虚脱感に包まれた声で言葉を返す。
「嘘、よね…? 私一人じゃとてもじゃないけど足止めすらできないわよ」
出娜がそう思うのも無理はないだろう。
さっきまでの戦いからもわかるように、爛然三人がかりでも全く太刀打ちできなかった魔獣を彼女一人で足止め、ひいては特定の場所まで誘導しろというのだ。
そんな無茶ぶりが追い打ちとなって現実を直視し、戦意喪失した彼女は脱力すると膝から一気に崩れ落ちる。
「識爛然の代償だってまだ存在するのよ? それに魔獣を倒したからって全てが終わるわけじゃないわ」
(代償って何? ううん、それより魔獣を倒しても終わらないってどういうことなの)
絶望を増長、波及させる出娜の言葉に今度こそ誰もが絶望的な状況だと諦めた。
しかしある者の意識回復により、戦況は大きく一変する。
その人物は露零の後方から「――その役目、私が担おう」と魔獣の相手を引き受ける意思を三者に告げる。
得体の知れない新たな介入者に露零が驚いている一方で、爛然はこの声に聞き覚えがあるのか二人は次第に戦意を取り戻していく。
「仰さん?! でも…そうね、あなたなら私よりよっぽど可能性があるわ」
聞き覚えのない声が聞こえたことで少女が振り返って確認すると、声の主はふさふさとした扇子のようなものを手に持ち、白い狐の面を付けた緑髪の壮年男性だった。
なぜ、最後尾にいる彼の声が最前線に立つ者にまで届いたのか。
その理由は彼を最強たらしめる他者作用にあり、彼は「鼓舞」と『言霊』を乗せた追い風を吹かせていたのだ。
仰と呼ばれた壮年男性は御爛然の中でも頭一つ抜き出た取りまとめ役であり、その思考回路は「未来」と『過去』、この二つから成り立っている。
それは彼の「左」『右』の目に映る光景であり今を見る目は持ち合わせていない。
(なんだか不思議な感じ)
少女が抱いた第一印象は案外的を射ていると言えるだろう。
今を見ていない彼は顔に付けた白い狐面越しからでもわかるほどに哀愁にも似た独特な雰囲気を漂わせていた。
「起きたとこ悪いけど話してる余裕ないんや。そっちは任せるで」
伽耶が言い切るよりも先に、魔獣は突如発生した横向きの竜巻に飲まれ、まるでトンネルのようなその竜巻に魔獣は完全に進路を制限されていた。
その竜巻は破魔矢の軌道上で途切れていて、恐らく魔獣が竜巻の中を走り抜けたところを狙い穿つという算段なのだろう。
狙い通り魔獣は竜巻の中を猛進し、その様子を目視にて確認した狐面の壮年男性は自身も竜巻の中に飛び込むと、追い風を背に受け背後から目前の魔獣に急接近するとそのまま魔獣の背に掴まる。
「……っ」
背後の出来事には目もくれず、猪突猛進する魔獣が誘導された竜巻の中を走り抜けるとすぐ横には破魔矢が迫っていた。
しかしほんの僅かにタイミングに誤算が生じ、またしても魔獣は破魔矢を回避する。
二度も回避されたことに(これも避けちゃうの?!)と驚きを隠せない少女露零。
その光景にどうやっても自分が矢を当てることはできなかったと悟り、思わず自暴自棄に陥ってしまう。
(やっぱり私じゃ足手まといになっちゃう。レーヴェさんならきっと外さなかったのに……)
その一方で、魔獣の背中に掴まっていた狐面の壮年男性は「……止むを得ない、どうやら約束は果たせそうにないな」と決死の覚悟を呟くと魔獣を掴む手を片方離し、その手で破魔矢を引き寄せる。
「あれは面を寄せるときと同じや! あんた、最初からそのつもりで…」
御爛然の中で最も高い実力を誇る者。
それは間違いなく仰であることは同じ御爛然の反応からも疑いようがない。
彼が相手ならば説明しなくとも最善手を取ってくれるという絶対の信頼を寄せている伽耶はその思いが一方的に終わらぬよう、自身が最も得意とする「水は方円の器に随う」を独自解釈して昇華させた共感力をフルに働かせる。
しかし無情にも未来を見通す目に及ぶことはなく、伽耶が仰の思考。
その浅瀬を理解した時にはすでに破魔矢はこれまでの直線の軌道からはありえない曲がり方をし、魔獣を貫いていた。
曲射を思わせる急カーブした破魔矢は標的を死角から襲い、貫かれた魔獣はこの世の生物とは思えない悍ましい断末魔を上げながらその場に倒れると、その際に発生した風圧に伽耶は巻き込まれてしまう。
思わぬもらい事故を受けた伽耶以外、その場にいた他の者は皆魔獣が倒れたことに脅威を退けたのだと安堵の表情を浮かべていた。
そんな中、何か得体の知れないものに突き動かされるかのように、魔獣の死を確認しようと露零は恐る恐る歩き近付いていく。
「死んでる、よね?」
「弓波さん、その辺りに仰さんがいるはずなの。近くにいないかしら?」
「今探すね」
魔獣の相手を引き受けた適任が戦線復帰して以降、天界在住の出娜は自身が最も得意とする「俯瞰的視野」と『空間認識能力』による惨状把握に素早くシフトしていた。
よって仰の動向も把握していた彼女は最も近くにいる露零に声を掛けると少女は魔獣の倒れている地点を中心に、仰の捜索を開始する。
すると探し始めて割と早い段階で露零は彼の姿を発見する。
だがその姿をよく見てみると腹部にはなぜか小さな穴が空いていて、魔獣の傷口の延長線上にいた彼は見るも無残な姿となっていた。




