第一章27話『二魂一身』
鋭利な鎌先による刺傷音が終戦符を打ち、心臓を貫かれた露零は致死量を遥かに超える血が噴き出すとドサッとその場に倒れ込む。
一瞬の出来事に思考が全く追い付いていない少女は心臓を貫かれたことで力の込めどころを失い、重力に逆らうことままならず固い地面に頭部を強く打ち付ける。
(――――ここはどこ? 真っ暗でなんだか怖い。そっか…私、お姉ちゃんに何も伝えられずに死んじゃったんだ……)
文字通りの口封じによりこれまでの奔走が水の泡と化す無情。
物理的に生命活動終了を知らされた少女は貫かれて以降、初めて意識を取り戻すと仰向けのまま、トンネルのように暗い記憶の一本道をただ流れていた。
するとその時、露零は身に覚えのない記憶が自身の中で花開く感覚を覚える。
(なにこれ? 私、こんなの知らない。でも何でだろう、初めてのはずなのにすごく懐かしい感じ。まるでお姉ちゃんとの――)
押し込められていた記憶が外圧によって弾け飛んだような、にわかには信じ難い不可思議な感覚に戸惑っていると前方では出口から光が差し込み始めたことが仰向け状態でも分かり、光の差す方向に流れ進むに連れて露零の意識は再び遠のいていく。
薄れゆく記憶の中、不安と期待が入り混じった少女は夢物語のような第二の人生を夢想する。
(私、どうなっちゃうんだろう。もし、もう一度お姉ちゃんに会えたら今度はちゃんと私のこと覚えていて欲しいな)
その一方で、露零のもういない識変世界では鎌に貫かれ、力なく横たわるの少女のもとに無言で駆け寄った伽耶。
彼女はまだ体温が微かに残る、変わり果てた妹を片手で抱きかかえながら小さく呟く。
「あんたのこと全部思い出したわ。あんたは紛れもなくウチの片割れやで。あったこと全部話したいとこやけどその前にウチにはまだせなあかんことがあるみたいやわ。ウチが戻るまでにおらんくなったら許さへんよ」
その語り口調は正しく生者を相手にしたものだった。
識変世界を構築する上でその根幹となった二人のうち、一人が現実世界へ引き戻されたことで隔絶された記憶の光が差し込むと彼女は全てを理解する。
伽耶は一足先に現実世界に戻った妹の記憶が形作った身体に語り終わると怒りと悲しみの入り混じった表情で天爛然を睨みつけた後、指を弾き天爛然を中心に球体の水を発生させていく。
すると水球に囚われた天爛然は突如、羽を捥がれた鳥のように地面に急落下し、伽耶は怒りに全身を震わせながら次第に深海色へと染まり始める。
そして再び場面は露零へと移り、目を覚ました少女の眼前にはとても現実とは思えない、悪夢のような見るに堪えない光景が辺り一面に広がっていた。
「――なに、これ。燦、さん…? これじゃあまるで地獄みたいだよ……」
現実に引き戻された露零は目の前の現実離れした凄惨な光景に啞然とするが、それもそのはずだった。
少女に地獄のような光景と言わしめている一番の要因は目前の靄を纏った巨大な獣と、その前に横たわる成す術もなく敗れた三人の人物の見るも無残なその姿だろうか。
だが視線の先で倒れている内の一人には見覚えがあり、その人物は先の世界で一戦交えた燦と呼ばれていた女性に間違いない。
彼女以外は初めて見る顔だが、二人目の特徴を挙げるなら緑色の頭髪に白い狐面を身に付けた、名も知らぬ壮年男性。
三人目は黒が基調で紫のメッシュが入った髪を持つ小柄な青少年。
そんな彼ら彼女らがズタボロの状態で流血しながら倒れている。
さらに付け加えるならば、その奥にいる禍々しい靄を纏った巨大な四足獣がいつ三人を踏み殺しても不思議はない。
だがその四足獣はすでに狩り終えた獲物にそれ以上の興味を示すことなく、新たにテリトリーに足を踏み入れた活きのいい怯える露零を次の標的としてロックオンすると、まるで狩りで機を伺うように睨みつける。
恐らく、この四足獣が三人を瀕死にまで追い込んだのだろうことは想像に難くない。
そのうち一人と相対した露零は彼女を基準とした力関係を瞬時に脳内で思い描くことで絶望的な窮地に立っていることを理解すると、知るはずのない単語を無意識のうちに呟いていた。
「――魔獣……」
(ガチャン)
零した言葉は人知れず置き忘れられた開錠用語。
図らずもこじ開けられた扉の奥から現れたのは「希望」かはたまた『絶望』か。
しかしそんな余談さえも許さない魔獣はその名を呼ばれたことで反応を示すと、けたたましい咆哮を上げながら少女目掛けて猛突進で迫り来る。
すると開錠音と共に露零は肉体の主導権を一時的に失い、次に少女が魔獣に目を向けた時には巨躯な体に無数の剣が突き刺さっていた。
(さっきから不思議なことばっかり続いてる。燦さんも死んじゃったはずだしここって本当に地獄なんじゃ……)
ふとそんな考えが脳裏に過るも(二回死んじゃうとどうなるんだろう)と、一度味わった決して消えることのない痛みを思い出した露零はすぐさま戦闘意思を固める。
するとその時、少女はこれまで心の奥深くで眠っていたある人物の声を聞く。
(――――私の名はシャンテ・レーヴェ。魔なる獣を滅する者)
「えっ、今の声どこから?」
驚いた少女は言葉を発して辺りを見渡すも、周囲に声の主らしき人物は見当たらない。
しかしそれでも脳内に聞こえる声の主はさらに話を続けていく。
(その身を私に差し出すのならこの戦いに終止符を打ってやる)
「あなたなら魔獣を倒せるの? それなら――」
天使、あるいは悪魔の囁きとしか思えない究極の二択がうら若き少女に付きつけられる。
それは人間の二面性を如実に表しており、己が身から生じた幻聴に耳を傾けたことで精神世界の二人の手が触れ合うと、レーヴェは「あとは任せてくれていい」と言い残し、少女の優し気な垂れた瞳は緩やかに吊り上がっていく。
独心房から解き放たれた古の女傑。
この有為を基準に考えるならば彼女の存在は間違いなくイレギュラーなわけだが、久方ぶりの外界の空気を指先で吸い、五感の全てで堪能するレーヴェは自身の「召喚術」と『剣技』の合わせ技によって突き刺した無数の剣の痛みからか、悶え苦しむような咆哮を上げる魔獣の姿にほんの僅かに溜飲が下がる感覚を覚える。
しかしその数秒後にはブルっと大きく身震いし、魔獣に突き刺さった無数の剣は靄に変化した肉体と共にほろほろと抜け落ちる。
「久しいな、貴様を倒す算段ならすでに用意している。そのためにまずは動きを封じさせてもらう!」
入れ替わるや否や、声高らかに宣戦布告をするレーヴェ。
その因縁は今を生きる者の理解が到底及ぶことなく、彼女は召喚した剣の一本を手に取ると靄に覆われた魔獣の足元目掛けて閃光の如く剣技を披露する。
「再び相見えることができたのはまさに天命だ。必ずここで仕留めきる!」
感情をむき出しにした魂の叫びで己を鼓舞したレーヴェは次に長き時間で培われた怒りや憎しみ、そして散って逝った同胞の思いといった負の感情を一本の刀身に乗せると魔獣の四足の靄をいとも容易く削ぎ落とす。
しかし彼女の攻撃は魔獣本体には届いておらず、削がれた靄もまるで初めから何もなかったかのように霧散する。
地力や実力は申し分ない。
だが封印明けの彼女の一撃は本調子とは対極にあった。
そのことを踏まえても持てる力の全てを乗せた渾身の一撃であることには変わりなく、全く手応えを感じられない中でレーヴェは二度の攻撃を冷静に「分析」、『比較』すると再び広範囲攻撃を試みる。
「やはり私の剣技だけでは不十分か。ならばもう一度貫いてくれる!」




