第一章26話『模造世界』
≪荒寥の者は砦カシュアに従い、朱爛然の動向を静観しなさい≫
≪風月の者は砦ミストラに従い、碧爛然に真の世界、有為の現状を伝えなさい≫
≪紫翠の者は砦オヌに従い、藤爛然に会合結果を報告した上で今後の行動を一任しなさい≫
≪白夜の者は砦メリュウに従い、禁忌である幸滅の祈りの使用を制限しなさい≫
≪水鏡の者は砦シエナに従い、藍爛然の誘導、及び露零の拠り所を築きなさい≫
五人の砦は識爛然が飛ばし渡す際に紙切れに浮かび上がらせた文章をそれぞれ一読すると、中には若干の不満の声を漏らす者もいた。
しかし主催者と提案者による入念な下準備が功を奏し、識爛然の提案自体を否定する者は誰一人としていなかった。
「笑えるのう。とはいえ流石に燦の性格を熟知しておるようじゃ。今更わらわが何を言おうと最早止まることはなかろうて」
「ふむ、仰殿に関しても熟知されているようです。今を生きていない方に隠し事は不要というわけですか」
「へぇ、紫翠に関しちゃ地空坊ちゃんってより俺の性分をわかってのことらしい。上手く義理が通ってやがる」
「え~~。のめちゃんからアイアンディティを取っちゃうの? でも識君が言うんだしメリュ~ちゃんも早く帰りたいからそれでいーよっ♪」
「では全員異論もないようですし本日はこれにてお開きということで――」
肯定的な意見を総意と受け取ったシエナは長時間持ち場である藍凪離れるわけにもいかず、提案者としてあるまじき思考だがなるべく早くこの会合を済ませたいと気持ちが逸っていた。
不必要なやり取りを挟んだせいで想定より引き伸ばされた時間をどうやって取り戻そうか。
その回答として、シエナの脳内からは本来ならば真っ先に話すべきある本題が頭からすっぽりと抜け落ちていた。
だがいくら時間が押していようと、余裕がなくとも抜粋部分を見誤ったことに変わりはない。
そこを初っ端から目を付けられていたオヌに指摘され、呼び止められたことで抜け落ちた内容が再び彼女の脳裏に蘇る。
「ちょっと待ちな、おめえの國に関しては例外だろ。報告義務ってのがあるはずだ。それで? 実際のところどうなんだよ」
この時、シエナは城内で交わした心紬との会話を思い返していた。
私経由で共有したいことがあると心紬が私に言ったこと。
そしてその内容を全員に共有するタイミングは後にも先にも今しかないのだということを。
「伽耶様に関しては以前とお変わりありません。ですが…露零に関しては少し事情が異なるようです。この識変世界は伽耶様と露零、二人の記憶がベースになっていますがどうやら二人の認識には若干の齟齬が生じているようです」
現在に至るまで有為と思われていたこの世界、それは識爛然によってある二人の記憶をベースに構築された模造世界だった。
故にこの世界、識変世界の要とも言える二人の記憶に何らかの問題が発生すると、それはこの世界を根幹から揺るがす事態へと発展すると言っても過言ではない。
だがしかし、ここに集うは御爛然と同格の識爛然を始めとした各國の二番手たち。
死すら恐れぬ彼ら彼女らがその表情を崩すことは決して無く、意外にも知的な一面を併せ持つカシュアは長ったらしい会話を今すぐにでも終わらせようと本会合の核心を突く。
「まるで消えゆく階段じゃな。大方わらわ達を急かすために急遽この会合を開いたのであろう?」
「ええ、識爛然に無理を言ってこの会合を開いてもらったんですよ。さて、私の報告義務も終わりましたし改めてお開きにしましょうか」
オヌ以外で他に口を挟む物好きもこの場にいはしないが、その彼も自身の要求が通ったことで二度目のお開き宣言に口を挟むことはなかった。
改めてされたお開き宣言を聞いたミストラは暗い夜の空を眺めながら「……今宵が見納め」と、哀愁を帯びて空を見上げる彼はどこか名残惜しそうに小さく呟く。
するとなぜか誰に向けた言葉でもない彼の呟きが本当の意味で解散の合図となり、三人は各々自身の國へと帰っていく。
しかしメリュウとオヌの二人だけはこの場に留まり、少女は両の腕を夜の星空に向けて目一杯伸ばして一息ついた後、帰ろうとするオヌを呼び止めてあることを懇願する。
「ん~っ! やっとお開きだって~~。あっ、鬼角のおに~さんっ! ちー君に白夜まで送って欲しいって伝えてきてくれない?」
「あー、そういやおめぇ、羽無しだっけな。呼んでおいて帰さないのも不義理だし例の場所で先に待ってな」
「ありがとっ!」
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そして場面は現在に戻り、露零は藍凪、そして水鏡を出ると無我夢中で未開の地と呼ばれる深い森の中を現在地も分からないままとにかく必死で駆け回っていた。
そのまましばらくひた走っていると、少女は視界の先に見慣れたものを瞳に映す。
それは数日前に燦と死闘を繰り広げた地点で発見し、そこら一体の木々は焼け落ち、水に流され、まるでその周辺だけ山が禿げたようになっていた。
だがそのお陰で原生林のように生い茂った木々による視界の遮りは解消され、目的地付近に到着したことでさらに周囲への視界が開けると、視線の奥には伽耶が発生させたのだろう真新しい水球が小さく映る。
シャボン玉のような水球を遠視で捉えた露零はその地点こそが自身が探していた目的地、その中心だと確信すると、押し寄せる疲労感から逃げつつその方角を目指してスパートをかけて猛進する。
(お姉ちゃんが出て行ってからもう三日目だけどまだ間に合うよね? 早くしないと手遅れになっちゃう)
押し寄せる疲労感もそうだが、それ以前に逃げようにもこの虚弱体質という一生ついて回る体質も同じくらいには厄介だ。
疲労感を「押し寄せる波」に例えるなら、それは『進行方向上に生い茂る藻』のように隙あらば足を絡めようとしてくる障害物だ。
そんな障害物競争を何とか制して目的地へと到着するも、すでに限界を超えていた露零は手頃な木に手をつき前のめりな体制になると「はぁ…はぁ……」とその息は次第に弾み始める。
(目的地には何とかこられた……。でももう限界、お姉ちゃんを探さなきゃなのに動けそうにないよ)
到着時点ですでに満身創痍。
ここから戦力になるなんて以ての外。
木に手をついて、呼吸もだんだん落ち着いてきた少女は限界を迎えた身体に鞭打ち、歩いているとしばらくして伽耶のもとへと辿り着くも、無理を押しての行動に対する反動は喉元に生暖かいものがこみ上げてくるような不快感を伴い、次の発声とともに口から緋色の飛沫が本人の意思に反して望まぬ形で体外進出を果たしたのだった。
「お姉ちゃっ――――」
話の最中に誤って舌を咬み切ってしまったかのように見えなくもない露零の吐血のインパクト。
それはまるで血塗られた戦地に足を踏み入れたことを暗に示しているよかのように、吐血交じりに発せられたうら若き少女の魂の言葉は伽耶と相対者、二人の注意を同時に引き付けてしまい、伽耶は青ざめた表情で怒号にも似た声色で妹に叫ぶ。
「新手か?! ――ってあんた、何で来たんや!!」
彼女が怒るのも当然な話で、露零は事前に今回の争いには関与しないように言われ、その際の取り決めとして口約束ではあるが水鏡を出ないという約束も交わしていたのだ。
「お姉ちゃん、私たちだ――」
――――この時、堕天使を彷彿とさせる漆黒に染まりし天爛然はむき出しの刃物のようなギラついた、不敵な笑みを少女に向けていた。
その表情からは明確な殺意が読み取れ、標的が切り替わったのだと直感した伽耶は妹を守るため思考を放棄するとノータイムで叫び、反射的に二人の間に割って入ろうと飛び出す。
「ちょい待ち! あんたの相手はウチや!!」
しかし伽耶の動き出しは一足遅く、叫ぶ頃には天爛然が神速移動で距離を詰めていた。
そんな彼女を前に伽耶は間に合わないと悟るや対象を露零に切り替えると、刀を投擲して手の自由を得たと同時に指を弾くことで少女を中心に水球を発生させていく。
だが天爛然は伽耶が発生させる水球の弱点である高速移動を得意としている。
そのため人体の水分をベースに増幅する水が少女を中心に発生するより僅かに早く、さらに間合いを詰めると外広がりに膨張する水ごと切り裂く勢いで彼女は身の丈以上ある大鎌を少女めがけて振り下ろす。
「――ズシャッ」




