第一章23話『吐露』
それから特段、変わり映えのない一日を過ごして訪れた翌日の夜。
前もって話に聞いていた通り、伽耶が藍凪を出るのを従者三人は玄関先まで出てきて見送る。
だが先輩従者が心配や送り出しの言葉を贈る中、従者の中で唯一、露零だけは彼女がどこへ行くのか分かっておらず、「伽耶お姉ちゃん、次はどこに行くの?」と他三人に比べて一歩も二歩も劣る半人前具合が露呈していた。
「ん? 場所は同じところやで。ただ今回は相手がちゃう。天爛然はあんたを抱えて勝てる保証はないんや。てなわけやからその子のことは任せるで」
「任せてください」
「任せてください」
まるで小動物を思わせる小柄なその容姿然り、発言から挙動と何から何まで思わず愛でたくなるような、そんな愛らしい後輩の面倒見役を主君直々に任命された二人は同時に返事をする。
すると伽耶は凛々しい佇まいのまま軽やかな足取りで颯爽と藍凪を後にする。
その後、伽耶を玄関先で見送った三人は別々にそれぞれ戻っていき、露零は自室に戻るやすぐに戦闘における書物を読み漁りながら矢を具現化させて呟く。
「お姉ちゃんみたいに戦うには矢を直接撃ち込めるようにならなきゃ」
初陣で彼我の実力差を痛烈した露零は今回置いて行かれたことを根に持っているのか、書物に記された基礎的な弓矢技法を熟読した上で、未だかつて前例のない召喚術や武器ありきではあるが古代樹の恩恵である力など、唯一絶対の強みを我流で活かそうと脳内で戦闘趣味レーションを行い始める。
そんな露零はイメージトレーニングでまず最初に「近接戦闘」について考えていた。
しかし書物にも記載されている弓矢の最大利点、離れた場所から攻撃できるという事実も無視はできず、少女が結論を出すにはおそらくまだ月日を要することになるだろう。
その時、少女が思い出したのは以前口頭で手解きを受けた物に対象を絞るということだった。
「近くで凍らせられればあとはそっと触れるだけで、でも……」
たった一度の戦闘経験を元に思考を巡らせるも、経験値が全くと言っていいほどにない更地に方向性が全く見えず、考えれば考えるほど深みに嵌まる泥沼。
堂々巡りに露零は開いた書物をそっと閉じるとそのまま何事もなかったかのような顔で召喚した矢も一緒に消し、部屋を出ると気分転換に城内をぶらぶらと散策する。
そんな少女は気を紛らわすように鼻歌交じりで散策していると、「ご機嫌ですね、何かいいことでもあったんですか」と背後から背中を刺すような、聞き慣れたどこか棘のある口調で声を掛けられる。
声を掛けられるまで気配が感じられなかったことに驚いた少女はビクッとした後、バッと勢いよく背後に振り返るとそこにはシエナがいた。
彼女は相変わらず張り付けたお面のような不愛想な表情を崩すことなく、いつもの調子で淡々と刺々しさのある言葉を続けて投げ掛ける。
「私はてっきり伽耶様に連れて行ってもらえないことに落ち込んでいるのかと思っていましたが……どうやら杞憂だったようですね」
この時、シエナが手に持っていたお盆の上にはフルーツデザートが置かれていたが、何を思ったのか彼女は拗ねたようにそっぽを向くと来た道を戻るそぶりをして見せる。
この時の露零は目を引くデザート以前に別件で彼女に用事があった。
いや、本音を言えばシエナに限らずとも伽耶でも心紬でも誰でもよかったのだが。
だが行き詰っていた少女は偶然通りかかった、今にも立ち去りそうな先輩従者を慌てて呼び止めると彼女はきょとんとした様子で少女を見る。
「待って! シエナさんに相談があるの…。私の部屋に来てくれない?」
シャープな目つきといい、猫身の特徴を受け継いでいる彼女の感情表現は人間と比較して乏しいが、それも個性の範疇に留まるものであり種族の垣根とは言い難い。
そんな彼女を部屋へと招き、露零はさっき自室で考えていた自身のあり方について、先輩でもある同僚に相談しようと考えていた。
「私に、ですか?」
思ったようにスムーズにはいかず、唐突なお願いに若干の困惑を引き起こしてしまったがなんとかシエナの許可を得ることに成功すると、少女は早速彼女を自室に案内する。
そうして部屋につくなり思い悩んでいること全てを彼女に打ち明け、露零はシエナに意見を求める。
「それで話っていうのはね、私もお姉ちゃんみたいになりたくてあれから色々考えてたの。でもどうすればいいのか全然わからなくて……。もうこれ以上お姉ちゃんに傷ついて欲しくないよ。シエナさんはどうすればいいと思う?」
後輩従者の切実な思いから来る深刻な悩みを聞いたシエナは元々あげるつもりで持ってきていたデザートを足の短い小さな机に置くと、少し考え悩んだ後に自身の経験を踏まえた体験談を言葉を選びながら少女に伝えていく。
「なるほど、それで砦である私に相談してきたわけですか。言ってしまえば私は成り損ないなので生き方を選ぶ選択肢自体ありませんでした。ですがそれでも共通して言えることはあります。これは全てに共通することなのですが、基本的に何か一つできるようになればあとは応用や掛け合わせでどうにでもなるものです。ですので今は下積みを重ねていくのが最善だと思いますよ」
「う~ん。でもそれだとすごく時間がかかっちゃいそう」
自分からアドバイスを求めていながら失礼なことに、露零は真っ先に否定的な言葉を返してしまう。
もちろん、露零自身に意地悪しようだとか悪気があるわけじゃなければ彼女と険悪な関係になりたいわけでもない。
特別口が達者なわけではない少女だが、露零の場合は発言が前者、思考が後者と、年相応に歯に衣着せない発言先行型特有の失言をすることがこれまでも多々あった。
今回もそのケースで、発言直後に自身の失言に気付いた少女は恐る恐るシエナの顔色を伺う。
しかしシエナは全く気にしていない様子で、彼女は次に少女に課された使命とも言える後継者の本質について説明する。
「なるほど、その懸念は盲点でした。これは極論ですが伽耶様が御存命の限り、あなたに後継者であることの負担がかかることは一切ないのでその点ならご心配なく」
(お姉ちゃんは絶対に死なせないよ!)
反射的につい思わずそんな言葉が口をついて出てしまいそうになるが、僅かに芽生え始めた防潮林で少女はグッと言葉を飲んだ。
しかしその僅かに芽生えた「防潮林」も気の持ちようによっては『悩みの種』へと変化すると、(まだ私のこと覚えていないのかな?)と、ふとそんな思いが少女の心に影を落とす。
まだ記憶が戻っていない場合を恐れ、少女は何度も脳裏に過ったそのたった一言を口にすることができなかった。
(私ってば、ずっと同じこと考えて何してるんだろ……)
これが物欲の類なら潮の満ち引きが如く不定期に頭に過ることもあるだろう。
しかしこれは人間の本質を突いた最も起こり得る典型事例とも言え、この手の一見些細なすれ違いによって今後の関係性が大きく左右される場合はままあることだ。
露零はそんな自分の考えと行動が矛盾していることに嫌気が差し、気を紛らわせるように机に置かれたデザートに手を伸ばすと誰の許可を取ることもなく勝手に食べ始める。
フルーツをふんだんに使ったアイスデザートは少し溶けていたが、少女は気にせず頬を膨らませながら美味しそうに頬張っていく。
「はむっ、おいし~~~~! このひんやりしたお菓子もシエナさんが作ったの?」




