第一章13話『除け者』
「あたし相手に近接戦か、バイブス上がるぜ。肝が据わった奴は嫌いじゃねェ」
大木に打ち付けられたダメージからか、よろめきながらもどこか楽しそうな表情を浮かべ、ゆっくりと立ち上がると燦は再び伽耶の前に戻り今度は燦が近接戦闘を仕掛ける。
拳技、足技、力を駆使した猛連撃を繰り出す彼女だが伽耶は一切動じることなく彼女の攻撃をあしらい、力を相殺することで露零が安全地に下がるまでの時間を稼ぎ、同時に自身に注意を引き付ける。
そんな伽耶の様子から攻撃の気配を一切感じない燦は痺れを切らしたのか、今度は言葉で彼女を挑発する。
「一ついいことを教えてやるよ伽耶、戦場での隙は死に直面するんだぜ。いくら相性のアドバンテージがあってもそんな余裕ねぇだろうになァ!!」
直前の二人のやり取りを聞いていたのだろうか。
別に意識を裂いている伽耶のぬるま湯のような腑抜けた気構えに腸が煮えくり返るような苛立ちを覚えた燦は皮肉めいた言葉を吐き捨てると力を発散させ、周辺の空気中に含まれる水分を一瞬のうちに蒸発させていく。
そんな彼女の粗削りなパワープレイに伽耶は自身の固有の力の特徴を思い返していた。
伽耶の固有の力《《水》》にはいくつか大きな特徴がある。
まず一つ目に、彼女の力は零を一にすることができない。
故に力に起因する有利不利は状況次第で覆り得る。
次に二つ目だが零を一にすることができないということを前提に、力を用いて増幅させた水にはベースとなったものによってある効果が付与される。
例を挙げるなら体内の水がベースなら、一度喉を通っているため呼吸ができる。
空気中の水分を増幅させたのならばいくら増幅しようと浮遊し続ける、といった具合だ。
次の瞬間、大人の余裕にも見える風格を感じさせる表情を浮かべた伽耶は心を鷲掴むような心眼を飛ばしてプレッシャーを与えると硬直した彼女の誤算を指摘し腰元に携えた刀にそっと優しく手をかける。
「あんたに一つだけ言うといたるわ。自分の得意で勝てるほどウチは甘くないで」
「好きに言ってな。臨機応変、順応性、即席の戦術こそあたしの強さたる所以だ」
「それにしてはずいぶん情報頼みやけどウチの戦術バリエーションを甘く見んことや。あんたの強みは後者でしかないんやで」
激化する攻撃と口撃はまるで交わらない水と油そのものだ。
片や全てを突っぱね、拳で語るスタイルがウリで腕っ節に定評のある朱珠燦。
片や巧みな話術で懐に飛び込むことに長けた交渉上手、生明伽耶。
そんな二人をバリバリの武闘派と穏健派だと一口に称すのは容易いが、穏健派の中でも彼女は怒らせてはいけないタイプの代表例と言える。
故に無意識のうちに深層部分で人知れず逆鱗に触れていた所有者の感情を代弁するように鞘に納められた眠れる龍は流水と化し、力を封じられた伽耶はそのまま腰に携えた刀を初めて抜刀する。
しかし鞘から抜かれ露になったその刀身に刃はなく、言うなれば鈍器と表現するのが自然だろう。
――――刃のない刀など。
生き死にが物を言う戦場で、刀としては鈍ら以下という下の下の武器を使うのは相手に対する侮辱とも取れる行為だ。
伽耶本人にそのつもりはないが、相手が必ずしも同様に捉えるとは限らない。
彼女の刀は戦いに重きを置いている燦の怒りを買うには十分すぎる代物であり、案の定、燦は自身に向けられた刃のない刀を見るや落胆し、活火山のように沸々と湧き上がってくる怒りの言葉をぶつける。
「模造刀だと? 自慢の慧眼も衰えたんじゃねぇのか。それじゃあたしをヤれねぇ、よッ!」
「…………」
だがしかし、そんな燦の怒りという名の熱の籠った言葉をよそに、伽耶は脱力した状態で刀身を地面に向けると一瞬で燦との間合いを詰め横一文字に刀を振り切る。
さっきまでとはまるで違う動きの洗練さに燦は瞬時に後方に飛び退くと間一髪でキレの増した攻撃を躱していく。
しかし直線状の間合いを瞬時に潰す伽耶に対し、今度は上空に飛び退くと彼女は自身が燃やした木々を飛び移りながら伽耶と刀を分析し始める。
「なんだありゃ? 刃がねぇのになぜ切れる……だけならまだしも身体機能が飛躍した。あの鈍ら、まさか!!」
その時、燦は全て躱したつもりでいたが攻撃が頬を僅かに掠めていることに流血で気付き、切り傷から微量の血が頬を伝って流れ落ちる。
血の一滴二滴、彼女にとってどうということはない。
まして鮮血が伽耶の力発動条件の対象になることなど以ての外だ。
――――しかし燦の表情からは明らかな焦りが見て取れた。
彼女が刃のない刀に切られたことに違和感を感じていると、今度は彼女が放つマナにも異変が生じる。
「なんだこりゃ?」
突如、彼女が放つオーラのような放熱の力は風に揺られる炎ように不安定になり、燦は切り傷から微量の水分が内部に侵入したのだと直感する。
すると彼女は発散している力を今度は体内に集約させ、体内に侵入した水分を自身の熱で飛ばしていく。
燦が生まれ持った固有の力炎、これにも大きな特徴があった。
細々《こまごま》した特徴を挙げれば切りがないが、最も有用性が高いのは何といっても放熱と帯熱、この二つを任意のタイミングで切り替えられることだろう。
それは自身の身体を起点としている分止める手立てがないに等しく、細かな制約のある伽耶の力より使い勝手がいいと言えるだろう。
「流動、あるいは循環か? 身体機能の上昇に加えて水流による打撃と斬撃の併用……ウザってぇ」
「そういうことや。生憎ウチはあんたと違うて短期決着を望んでる。悪いけど出し惜しみせえへんで」
伽耶の言葉は燦がまだ全力を出していないとわかってのことだろう。
燦はそんな伽耶の煽りとも取れる挑発に答えるように、懐からガーネットのついた指輪を取り出すと右手中指にはめていく。
一方でそんな二人の様子を安全地からただ静かに眺めていた露零は手に持っていた一枚のスカーフをギュッと握りしめながら、何やら覚悟を決めた表情をしていた。
「お姉ちゃんが任せてくれたんだもん。私だって――」




