第一章11話『鮭定食』
やり場のない不満をひとしきり吐露した伽耶はそのまま服を着終えると三階にある自室へと戻り、そこで一夜を明かす。
現在の時刻は深夜二時を大きく回っていて、城内はもちろん、水鏡全域寝静まっている。
――――そんな中、同系色の上塗りでカモフラージュするかのように、突如として夜天の下に不穏な影が舞い降りる。
その女性はケモ耳を生やした、誰もがよく知るあの人物。
影と比喩した彼女は黒衣に身を包み、一人藍凪に背を向け歩いていく。
伽耶の自室には、特徴的な金魚の描かれたの三面屏風がドンっ!と部屋の中心から少し奥に置かれていた。
他にも応接室にあったものと同様の足の短い机があり、その上には数冊の書物が積まれている。
彼女はその中から一番上の古びた書物を手に取ると、ペラペラとページをめくりながら露零を加えた際の戦闘シュミレーションを脳内で行う。
「武器で言うたらウチが前衛、マナのことを踏まえてもあの娘は後方支援やな。射貫いたもんを氷結させる、なかなか難しいもんがあるけど知識も並行させたらそれなりに上昇期待はあるやろ」
一定の周期で訪れる変則的な状況に、ようやっと変化が付いたと嬉々としてシュミレーションに没頭しているとあっという間に時間が経過していた。
現在はまだ日が昇る前、一日の中で最も暗いとされる午前四時頃で、伽耶は読みふけていた書物を机に戻すと部屋を出て二階の露零のもとへと向かっていく。
露零の部屋の前に着くと障子の前にぽつんと置かれた一つの紙袋が彼女の視界に入る。
その光景だけで様々なことが想像できた伽耶はその紙袋を物音が立たないようにそっと壁際に寄せるとそのまま障子を静かに開けて部屋の中に入り、一枚の布切れを熟睡している露零の枕元に置く。
すると少女は「ふぁ~~」とまだ眠たげな声を上げながら目を覚ます。
「あれ…お姉ちゃん……?」
「何遍も言うけどウチはあんたの姉ちゃんちゃうで。どうや、清涼感のあるええ目覚めやろ? キャットミントは汎用性高うてよう助かるわ」
「う~ん、だってまだ夜だよ?」
「昨日も言うたけど水鏡を出るで」
露零がまだ窓から日が差し込んでいないことに起こされる理由がわからないでいると、表情からその思考を読み取った伽耶は軽く説明する。
しかし続く言葉に伽耶は露零の疑問を知識不足によるものと考え、自室での考えと結びつけると眠たそうに片手を伸ばし、口元を押さえながらあくびをすると言葉を待っている少女に夜ではないことを伝えていく。
「夜ちゃうよ、時間で言うたらもう朝やで。それとや、前線に立つんやったら最低限の知識は身に着けてもらうで」
確かに彼女の言う通り、露零の経験不足は否めないだろう。
伽耶は前線に立つにあたって致命的とも言える知識と経験不足を指摘する。
しかし同時にその二つを解消する対策案も少女に伝授すると、これからの後継者候補、兼従者として少女が取るべき行動を明確に伝えていく。
「まずあんたの部屋に簡単な内容の書物用意させるわ。あとは日常生活と実践で数こなしながら徐々に吸収していき」
布切れからほのかに香る、鼻腔をくすぐる癖の強い匂いも少女の未知のその一つだった。
それは目覚めには最適ではあったが、覚醒状態となり、意識が強まるに比例して少女の表情は次第に引きつり気味になっていく。
露零は目をこすりながらゆっくりと起き上がるとその独特な香りを放つ布切れに対して、露骨な嫌悪感を示して伽耶へと返し、自身は布団を畳み始める。
露零から布切れを受け取った伽耶は一度部屋を出て行き――。
いや、彼女は部屋の前に置かれた紙袋を取りに行ったのだ。
そのまま取ってきた紙袋を少女に手渡すと、彼女は今度こそ本当に部屋を出る。
「これに軽装入ってるから着替え」
「これって――」
「ウチは部屋の前で待っとくから用意終わったら出てき」
この時、露零は過去に話したある会話を思い出していた。
そしてこれがそうなのだろうと直感した少女は受け取った紙袋をワクワクしながら開封すると、中には白と水色を基調とした軽装が上下セットで入っていた。
この二色は露零のイメージカラーとしてピッタリなものだった。
そしてこの二色は露零本人が好きな色でもあり、配色、生地、デザインとその全て気に入った少女は紙袋をひっくり返し、雑に中身を取り出していく。
すると形状記憶素材なのか見る見るうちにしわは消え去り、新品同様のすぐに人前に着て出られる状態へと戻っていく。
(わぁ~~~~~~!! 着てみたかった服だ! もしかして心紬お姉ちゃんが用意してくれたのかな)
(後でありがとうって言わなきゃ)と考えながら身支度を済ませて部屋を出ると少女は気を利かせて部屋の前で待機していた伽耶と合流し、二人は仲良く階下へ降りていく。
「似合ってるやん。やっぱええ感性してるわ」
「えへへ」
そんな会話を交わしながら一階に降りると前方からシエナが現れ、彼女は二人をある部屋へと案内する。
彼女に案内された部屋に入るとそこには鮭定食のような、城で出されるにはやや質素に感じられる朝食が二人分用意されていた。
「うわぁ~~~~!! おいしそう!」
露零がほくほくと湯気が立つ、脂の乗った作り立ての手料理に目をキラキラ輝かせていると、伽耶はすでに席に着いていた。
そして「はよ食べな冷めるで?」と言い、自身の向かい側に露零を座らせると彼女は黙々とご飯を頬張っていく。
そんな彼女に促された少女も席に着いて鮭に手を付けると、美味しそうにパクッと一口、また一口と食べ始める。
(暖かくておいし~~!)
露零は生まれて初めて口にした食事に感動した少女の感情の針はこれまでで一番振れていた。
その朝食は焼き鮭をメインに惣菜、味噌汁、ご飯と和食と言えば真っ先に想像するだろう献立だ。
厳格な家庭なのか、あるいは育ちがいいのか一切の会話無しに黙々と箸を進める伽耶とは対照的に、まるで雨蛙のように頬を膨らませては小さくしながら美味しそうに食べる露零は(ほっぺが落ちそう)と瞳を潤ませ、今にも感涙しそうな雰囲気だった。
露零の記憶では彼女は姉。
どこの誰とも知らない第三者の優しさに触れたわけじゃないのだからこれしきの事で感涙するのも変な話だが、少女には彼女が姉であること以外、過去の記憶の一切がないこともまた事実だ。
そして二人は朝食を食べ終えると伽耶は後片付けをシエナに任せ、露零と共に藍凪、そして水鏡を後にすると未開の地へと向かって歩いていく。
(あれ、昨日と何か違う?)




