第一章10話『思曰く付き』
精神年齢的には幼子、故に感情抑制ができないのか、あるいは歯止めが利かないレベルでツボに入ったのか抱腹絶倒する露零。
そんな少女の反応から話題に上がったであろう内容を推察し、伽耶がジト目でスライドさせるように心紬に視線を向けると心紬は反発する磁石のように、無言のまま逆方向に目をそらす。
そしてその様子を見てまた露零はさっきよりも声高らかに笑い出す。
その一連に無限ループに入ったことを直感し、このままでは話が一向に進まないと判断した伽耶は心紬に無言の圧をかけるのをやめると今度は簡潔に用件だけを二人に伝えていく。
「早速で悪いんやけどちょっと事情が変わってん。明日國を出ることになりそうなんや」
「それって私も?」
「察しがようて助かるわ。けどあんたにはウチが付いてるから安心しい」
「それなら私は明日までに露零の軽装を新調しておきますね」
時折凛とした、張り付いた空気感に包まれることはあるがあくまでそれは戯れの範疇。
伽耶の独特な口調からもわかるように、例え主君と従者の関係性であろうと軽口を叩くくらいが丁度いいという持論を持つ、大雑把な性格の彼女の元で育てられた心紬はその思想を色濃く受け継ぎ、さっきまでのやり取りがまるで嘘のように彼女はそう言うとスッと立ち上がり応接室を後にする。
その彼女と入れ違いで応接室に入ってきたシエナもお茶菓子の後片付けをするとすぐに部屋を出て行ってしまい、二人っきりになるよう主君が図ったのかは定かではないが、入れ替わりで入ってきた二人が退出したのを確認した伽耶は指を弾き『パチン』と音を鳴らす。
すると突如、露零の身体に変化が現れ、全身から湯気のようなものが立ち上る。
「わわっ、なにこれ??!」
理解し難い不可解な現象に、露零は何が起こっているのかわからないと驚きの表情を浮かべるも自身の素肌にゆっくりと触れ、少女は身体の状態を確かめる。
触れ合う皮膚どちらもが少女そのものだが、一方からはほのかに熱が伝わってくるのが少女にはわかった。
その部位は少女が今、指で触れている部位頬で、温度は湯舟に張ったお湯と同程度、数字で表すと四十度前後といったところだろうか。
不本意にも茹ダコのような状態となってしまった露零はまるで自身が燃えているように錯覚し、薪として暖炉にでも放り込まれ、最後には取って喰われてしまうのではないかと内心、恐怖に震えていた。
抱いた恐怖心はやがて錯覚へと変貌し、まるで火の粉を払うかのようにして着用している衣服をはたく少女だが、第三者にはその行動がまるで理解できない幼子特有の奇怪な行動としてその目に映る。
「……今、あんたから湯気立ってるやろ? 湯浴みしたんと同じ状態にしたからあとは部屋でよう休み。一つ上の階に寝室用意させたから今日はそこ使ってええよ」
「熱っ! ――くない? ……ここにいてもいいの?」
「もちろんや、階段やったら玄関のすぐ真横にあるからそれ使って上がり。部屋ん中に寝間着用意してるから早めに着替るんやで」
「うんっ!」
さっきまでの怯えた様子とは一変し、嬉しそうに言葉を返す露零。
湯気と共に不安が身体から立ち上り排出されると、少女は誰が見ても百点満点な満面の笑みで彼女の言葉に従い応接室を後にする。
そして説明の通り、玄関の近くまで戻ってくるとそこから木造の階段を上りゆっくりと二階に上がっていく。
すると待っていたかのようなタイミングでシエナが前方から現れ、まるで高級旅館のような待遇で城内の構造や勝手のわからないであろう、少女をある一室へと案内する。
「事前に準備はしておいたので今日はこちらでお休みください。あ、今日はと言いましたが伽耶様が伝えていないだけで近々、あなた専用の自室を用意するつもりなので期待していてください」
「ほんとっ?! ありがとうシエナさん!」
シエナは応接室でのやりとりを経て苦手意識が薄れ、対する露零も彼女の容姿に免疫がついたようでお互い普通に会話ができるようになっていた。
知り合ってからさほど時間が経過したというわけではなく、それほど話し込んだわけでもない。
しかし比較的長時間同じ空間にいたこと、そして他二人が満遍なく話を振ってくれたことも相まって、時間以上に濃密なひとときを同じ空間で過ごした二人が距離を一歩、二歩と縮めるには十分すぎる内容だった。
いや、なぜか初対面の時からすでに亀裂が生じていた二人が互いの距離を縮めるため、どちらかの計らいで奥手な二人の背中を話を振ることで後押ししたのかもしれない。
「着きました。それでは私はこれにて失礼しますので後はどうぞごゆっくり」
今はまだ客人扱いの露零を空き部屋へと案内し、入室するまでを見届けたシエナはそのまま同一階の最奥に移動し、そこから三階へ上がると先に待っていたある人物に言葉を掛ける。
「――――待たせてしまいましたね。露零について、私経由で皆に共有したいことがあるとか?」
「ええ、ですが内容が内容なだけにどうかご内密にお願いします」
会話の相手は軽装を新調しに一足早く応接室を後にしたはずの心紬だった。
彼女は手に持っていた、予め自身が刺繍を施した白いスカーフを一枚シエナに手渡すと多くは語らず静かに階下へ降りていく。
言葉にすることさえ憚られるような内容なのだろうか。
彼女の意図を汲み取ったシエナは手渡されたスカーフを広げるとまずは全体像を視界に入れる。
そして今度はそれを読む前提で焦点を合わせ、施された刺繍を確認したシエナは表情を変えず、しかし動揺した口調で「まさか…破滅の一途を辿るにしても想定より遥かに早い……」と小さく呟く。
しかし次の瞬間には平常心を取り戻し、情報を整理しながら優先順位を明確にしていく。
「――いえ、それよりも今危惧すべきなのは彼女が身の内に抱える不確定要素ですね。状況が好転すればそれに越したことはないですがあなたが危惧するのも最もですし、微力な猫の手ですがお貸します」
一方その頃、二人の密談など知る由もない伽耶は地下の大浴場にて湯浴み中だった。
湯舟に浸かっている彼女は神妙な面持ちではあったものの、その胸中を知る術はない。
手ですくったお湯を顔にかけ、浴槽から上がるとそのまま浴室を後にし、彼女は自身に巻いているものとは別に準備しておいた白いタオルを一枚手に取ると片手で髪を拭きながら不満げに呟く。
「信頼関係言うてもなぁ、一方の信用だけで成り立つもんちゃうやろ実際……」
近しい間柄の人間ほど接する距離感は難しいとはまさにこのことだろう。
第三者が相手ならばこんなに思い悩むこともなく、即座に真偽を確かめていたであろう彼女だが身内となれば状況は一転し、自身の行動一つが自國を内部崩壊させる可能性を孕んでいることを彼女はよく理解していた。
そのため深く追求することができず、従者に感じた違和感を拭えないもどかしさに頭を悩ませていた。
「ほんま自由を謳うてるウチが縛られてんの、ええ笑い者やわ」




