第一章9話『交錯する思惑』
「私たちには本来、固有のマナと呼ばれる力が生まれながらに内在していますがあなたはどうやらそれが微量のようです。もし、引き受けて下さるのならこの弓を受け取ってください。この弓はマナの増幅。そしてマナを変換し、矢を具現化させることができます」
と、シエナは説明するが言われた側からしてみれば寒色イメージで自他ともに認めるクールビューティな彼女の方がイメージにピッタリであり、カラーリング的にも適人だと感じるだろう。
しかし武器に限らず物事には向き不向きがあり、手のひらに肉球が常時浮き出ている彼女は弓が内包する力の詳細を伝えると露零の目の前に手を伸ばし、丁寧に両の掌に乗せた弓を静かに差し出す。
だが戦線に立ったことも無ければ弓なるものを一度も目にしたことのない少女は弓を手に取ると、不思議そうにそのまま持ち上げて照明にかざすとそのまま、まじまじと見つめ始める。
そう、少女は小難しい説明より目の前の未知なる物体に興味を示したのだった。
手に取った弓ごとその手を照明にかざし、再びその手を下ろすと今度は弦を軽く引っ張っては手を離し、びよ~んと揺れさせてみたり、彼女の説明にあった矢を具現化させるという抽象的な現象を自身なりに試みようと手を握っては開いたりを交互に数回繰り返す。
――結局、数回試してみても矢の具現化が今この場で成功することは一度たりともなかったのだが。
すると横から心紬がひょこっと顔を覗かせながら弓と少女の間に割って現れ、物珍しそうに弓を見つめるとシエナの方へ振り向くとそのまま彼女に話を振る。
「二つも力を内包した武器なんて初ですよ初! これってつい先日、シエナが猫の目を借りて発見したものですよね?」
「心紬お姉ちゃん近いよ、ちょっと離れて」
そうは言うも、押しのけようとする仕草も含めて全く嫌そうじゃない露零。
心紬は嬉しそうにそんな少女の頬を軽く小突くと優しさの乗った小悪魔的な笑みを向けながらゆっくりと立ち上がり、少女のそばから離れていく。
一方の露零はというと不意に小突かれた頬に手を当てながら、(何だったんだろう?)と彼女の行動の意味がわかっておらず、そんな初心な反応が却って彼女の悪戯心をくすぐっているということに全く気付いていなかった。
「ええ、ですが弓矢なんてここにいる誰も扱えませんでしたね」
「でも露零が水鏡に来てくれたおかげで貴重な弓を持て余さずに済んだじゃないですか」
そんな他愛ない女子トークで三人が盛り上がっている中、一人離れた位置で従者三人の談笑を静かに聞いていた伽耶はどこか浮かない顔をしていた。
会話に参加していた露零は全くと言っていいほど何も感じていなかったが同居人として、何か違和感でも感じたのだろうか。
――――だがしかし、抱いた疑問を伽耶がこの場で言及することはなく、従者三人による女子トークが自然に終了するのを待つと彼女はシエナを呼びそのまま部屋の外へと彼女を連れ出す。
「ちょっとええ? あんた、これとは別でウチに用があったんとちゃう? だいたいの見当ついてるけど詳細聞くわ」
二人が部屋を出ると今さっきまでしていた女子トークで華やんだ表情が一変して急転直下の絶対零度。
再び表情筋がお亡くなりになると、重たくなったその口をゆっくりと開いていく。
シエナが話すその内容こそ伽耶が藍凪に戻ってきた理由であり、本題だった。
――――しかし彼女が話すその内容は、伽耶の想像を遥かに大きく上回るものだった。
「実は先日、ある方の訃報が耳に入ったものですから直接会ってご報告をと。その御方は伽耶様もよく知る御爛然最強と名高い風月の仰様です。相対者は同じく御爛然、荒寥の朱珠様で、仰様は面を付けることなく敗れたとか」
伽耶は同じく御爛然に名を連ねる自身を差し置いて三つ巴の均衡が崩れたことに何か思うことがあるのか、何とも言えない表情を浮かべながら浅く考え込んでいた。
ただの潰し合いならいざ知らず、陣取り合戦が如く敗戦國が自陣として吸収される可能性が大いにある以上、そのことを考慮すれば彼女が焦るのも当然だろう。
故に出遅れは致命的であり、常に最新の情報を仕入れる必要があった。
しかし今、この瞬間まで訳あって根城を空けていたがために一切情報を得ていなかった伽耶はシエナとの会話に出てきたある言葉に着目し、そこから一つの推測を立てていく。
「面は風月において戦闘意思の現れや。小さい物なら手元に寄せることができんのにそれをせんかったんは仰に戦う気ぃはなかったってことやな」
「――と、いうことになりますね」
シエナの話を聞いた伽耶は三つ巴によって保たれていた均衡が崩れたことにある懸念を抱いていたが、同時に露零を試すいい機会だとも考えていた。
地上には伽耶の治める國、水鏡を始め、風月、荒寥と三國が互いに睨み合い、この三つの國によって地上の均衡は保たれていた。
しかしその均衡が崩れたということは、水鏡が荒寥と衝突するのは時間の問題であり、必然である。
この時の伽耶は既に敗戦國が取り込まれ、正確には違うのだろうが二対一となったこの盤面を打開するある秘策を考えついていた。
そんな彼女はどちらが敵か分からないような、妖しくも不敵な笑みを浮かべると呆れた様子のシエナに「相変わらず隠そうともしませんね」とため息交じりに言われてしまう。
考えまではわらないにしろ、長年の付き合いとその表情から何やら悪知恵を働かせているだろうことを察したシエナの鋭い指摘に伽耶は「朱爛然も望んでるはずやで、ウチとの一対一を」と伝えていく。
そうして忘れかけていた本題について、話し合う時間を別枠で急遽設けた主従関係にある二人の報告会話は終了し、伽耶は再び応接間に戻ると隣同士に座って仲良さげに楽しく会話を弾ませていた帰城組二人に声を掛ける。
「心紬、その娘ちょっと借りてもええ?」
「ええ、いいですよ」
露零は自身の記憶とは程遠い存在となってしまった伽耶にまだ慣れておらず警戒心が残っていたが、姉が席を外していた際に交わした心紬との会話が脳裏に蘇ると「ふふっ」と思い出し笑いをしてしまう。
そんな少女の姿に伽耶は「はぁ……なんやえらい風評被害受けてる気ぃするわ」と溜息をつくように呟くと、嫌でも話題に上がったのだろう内容が想像できてしまったことで少女に向けていた視線を今度は心紬へと移す。




