何も知らない頃の自分
死ぬ前、確かに慟哭のような恋人の声を聞いた。そして私は首チョンパ!のはず。
カーテンなんてない家の窓から陽が差し込んでいた。手を翳して目を薄らと開けると眩しさに目が眩む。
そして、その手の小ささに驚いて透明度のない窓に映る幼い自分の顔にもう一度驚いた。
「え!?わたし、」
処刑されたはず、という言葉まで口に出すことは出来なかった。痛みは一瞬だったけれど、その瞬間を思い出して震える。
全身を確認できる限り見ると、鞭打ちの後も、毒物で爛れた顔や皮膚も、火傷の跡もなかった。生活の為に頑張っていた水仕事で手が少し荒れているくらいだろうか。
けれど、それら全てを夢だと思うには強すぎる記憶と痛みだった。
愛したことに後悔はない。
死んだことも構わない。
けれど、全てを私のせいにして、悲鳴を聞いて笑う人間の治める国なんて吐き気がする。
「いや、なんでこんな奇跡起こっちゃったんだろう」
胸に手をやると、何か温かい感じがした。
少しだけ、考えてその感覚が自分の魔力だと思い出してホッとした。私はまだ魔法が使える。
よかった。
「神よ、この奇跡に感謝致します…!」
初めて神に感謝した気がする。ぽろぽろと溢れる涙をグッと手で拭った。
泣いてちゃダメだ。私はここで、この国で死にたくない。
立ち上がって、お母さんの鏡の前に立つと小さな女の子の姿。大体5歳前後。この家にいるということはまだ国の魔力検査をする神官たちが来ていないということだ。
荷物を纏めて、少ないけれどお金になりそうなものは全部集める。それを、お母さんの使っていた隠し扉にしまった。
自分の感覚からみて、全盛期だった頃くらいの魔力はある。体力は身体が小さいのでないかもしれないが無理をしなければ十分ならず者に襲われずに旅ができるはずだ。
教会に引き取られてから、幼いうちから随分と戦場や病院に連れ回された。
あの時はキツかったけれど、野営のやり方や狩った生き物の捌き方なども知れたのは今考えるとラッキーだった。
「ま、聖女は清貧を尊ぶとかでお肉とかぜーんぶほかの人行きだったけど」
今がいつくらいかを知るために、洗濯物を持って外に出た。
その途端、飛んできた泥団子を避けるとドアにそれがぶち当たった。
「は?なんで避けるんだよ!」
目の前にいる人物が誰だったかを数秒悩んで、それからそれが村長の息子だったことを思い出した。それと同時に、両親が亡くなった直後から私を厄介者扱いして追い出すか売っ払おうとしていた大人たちがいたのも思い出した。
「どうせお前なんかが役に立つ魔法を持ってるはずないんだ。大人しく八つ当たりでもされてろよグズ!」
(あーあー。思い出した!翌日が魔力検査だわ!!)
前回は、ぶつけられた上でこれを聞いて大号泣したんだった。それを周囲の大人は面倒そうな目で見ていた。
……改めて思い出すとここも碌な場所じゃないな。
もうすぐ教会の人たちが来てしまうことを察した私は夜に村を出ることにした。幸い、数食分のパンならまだ置いてあった。これ今考えると結構ぼったくられてたな。知識がないって怖い。
私はもう聖女になんてならない。
私はあの、太陽のように明るく笑う愛しい人と今度こそ出会うわけにはいかない。
だって、あの人には幸せになって欲しいのだ。私さえいなければ、愛情…みたいなものを二人の間には感じなかったけれど。……けれどあのお嬢様とそれなりにはいい関係を築いて幸せになってくれるだろう。正直、あのお嬢様は嫌いだけれど。
そうと決まれば、逃げ一択だ。
魔力が高いのだから国を超えて冒険者にでもなれば良い。
殿下を愛しているから、私はもう王子様の夢を見ないのです。
いつか、成婚の日の折にでも、遠くからあなたの笑顔を見れれば十分。
私と出会わなければ、きっとジェリーは幸せになれる。
心はすごく痛いけれど、あなたのあんな姿をもう見たくないの。辛そうな顔なんて、もう二度と。
だからきっと、何も知らなかった頃の私に戻ったの。
そう自分に言い聞かせた。