3 退院後のこと
病院から家に戻れば、事故った原付バイクが玄関前で出迎えてくれた。
バイクは雨でスリップしたもののどこにもぶつけていなかったようで、事故現場から回収されて家に戻ってきていたのだ。
――よかった、買ってもらったばかりで大破とかだったら、申し訳なさ過ぎるし。
原付バイクが無事で、郁也も無傷となれば、郁也とていつまでも学校を休んでいるわけにはいかない。
なので念のために退院翌日を一日休み、その明くる日から登校することになった。
というわけで登校を再開する日の朝。
「行ってきます」
「気を付けなよ」
郁也は祖父母に見送られ、原付バイクで山道を走らせた。
事故を起こした原因であるバイクが、怖くないと言えば嘘になる。
けれどだからといってこの山道を自転車で往復するのは、もうしたくない。
誕生日を迎えて原付バイク免許を取るまでの自転車通学は辛かった。
幸いに誕生日が五月と早かったので、その期間も一か月程度で済んだ。
もっと早くで四月に生まれても、入学前に教習所に通うのは学校の許可という点では不都合が出てくるので、五月がベストだったのだろう。
もしこれが三月生まれだったならば、丸一年自転車で山を登って下ってをしなければならなかったのだ。
――想像するだけで、気が遠くなるな……。
郁也は自転車競技者を目指す気もないので、通学時間がなにかに生きることもないだろうから、五月に生まれた自分に感謝したい。
郁也は体格がいいので誤解されがちだが、なにかの運動や競技に打ち込んでいるということはなかった。
体格の良さは遺伝であり、それを見込んで中学時代には運動部から勧誘を受けていたものだが、運動部での体育会系な先輩方の圧が怖くて、どの運動部にも入れなかったりする。
かといって文科系の部活は、郁也の厳つさに怖がられて「ウチはちょっと……」と断られる始末。
部活とは、郁也に優しくできていないらしい。
そんな悲しい思い出が過って悲しくなっていると、例の事故現場に差し掛かった。
そこには事故があったと知らせる看板が立っていて、郁也はそこで一旦止まると、現場を改めて眺める。
看板には花束とお茶のペットボトルが備えられてあった。
――これを持って来た人は、死亡事故だと思ったのか?
生憎、郁也はこうして無傷でピンピンしているのだが。
そもそもの話が、この道は祖父母が住まう集落の人たちしか使わず、故に通る人も滅多にいないのだという。
そのせいで道の整備が進まず、ガードレールもない状態のまま放置されていたし、ガードレールがあれば郁也は崖から落ちなかっただろうが。
そんな人通りが滅多にない道であるにも関わらず、二軒隣のおじいさんが軽トラで通りかかったらしく。
放置してあるバイクを見て、「これ、橘さんところの坊に買ってやったものじゃねぇか?」とすぐにわかったとかで、幸運にも郁也が崖下にいることにも比較的早く気付いてもらえたという話である。
祖父セレクトの珍しいデザインが、ここで役に立ったようだ。
その原付バイクを低い目線から眺めた記憶が、ふと郁也の脳裏を過ぎる。
――そうだ、あのタヌキ。
郁也は夢で見たタヌキのことを思い出す。
あれが真実だったとしたら、タヌキはどうなっただろうか?
崖の下までわざわざ様子を見に行ったのに、無傷な郁也を見て「なんだよ、紛らわしい!?」と悪態でもついて、旅に戻ったのかもしれない。
事故現場から走り去ると、やがて眼下に学校が見えてきた。