1 事故りました
彼の名前は橘郁也、県立O高校の一年生だ。
身長は180センチを越えて筋肉質という恵まれた体格、顔つきは凛々しいというよりも厳つい方に寄っており、実に男らしい男であった。
言い換えると、ぶっちゃけ怖がられる。
子供には昔から懐かれた記憶がなく、自身が幼稚園児であった頃でさえ、同じ年の子らから「郁也くんが怖い!」とギャン泣きされる始末。
それが橘郁也という男である。
そんな男であるので、実家はヤクザだとか、逆らうと海に沈められるのだとか、都会で事件を起こして、身を隠すために田舎へ来たのだとか、色々と噂になってたりする。
――そんなことは、全くないのにな……。
郁也は学校が終わっての帰り道、雨が降って来た中を雨カッパを来て原付バイクを走らせながら、ため息を吐く。
噂は全て事実皆無なことばかりで、両親はどちらもヤクザとつながりはないし、都会で事件を起こした記憶もない。
……いや、ある意味都会で「事件」があったから、今郁也はここにいるのだとも言えるかもしれないが。
それにしても、この高校に入って未だ友達らしい友達ができていないことが、実に悲しい。
だがそれも仕方ない。郁也は高校入学からこの地に引っ越してきたのだが。
ここは結構な田舎で、高校には地元中学から入学している生徒がほとんどなのだ。
なにかしらの部活の強豪校でもないので、部活留学で他所からわざわざ入学する生徒もいない。
すなわち、郁也は地元のコミュニティから弾かれているのだ。
それでも、郁也に普通にコミュ力があったら地元の生徒と交流できて、溶け込めたのかもしれない。
けれど、郁也はそういう性格ではなかった。
体格が良いために、昔から性格も体格に見合った積極性があると思われがちだが、郁也はどちらかというと小心者なビビリで人見知りだ。
初対面の相手と会話をするなんてとんでもないことで、距離を縮めるのにも人一倍慎重で、「おはよう」の挨拶を交わす仲になるのに、本人の努力にだけ任せていると年単位の時間がかかる。
それが橘郁也という人物であった。
それでも「これではいけない」と一念発起し、言葉としては無理でも気持ちをどうにか伝えたくて、目で語ろうと目力が強まった挙句、「メンチを切られた」と言われてしまうのだ。
そしてヤクザ疑惑が深まってしまうという悪循環に陥る。
――これだとじいちゃんとばあちゃんに、心配させてしまう。
とある事情で両親と離れて祖父母と暮らす郁也は、自分の身柄を引き受けてくれた恩のある祖父母に楽しい話題を未だに提供できないことに、申し訳なく思う。
五月に十六歳の誕生日を迎えて、通学のため原付バイクの免許を取った郁也に、祖父母は原付バイクを買ってくれた。
本当に良くしてくれる二人なのだ。
祖父母の家から最寄りの県立高校を選んだとはいえ、祖父母の家は山奥にあるため、徒歩や自転車で通うには適さない距離で、路線バスも通っていない。
なので郁也が十六歳の誕生日を迎えてから、こうして原付バイクでの通学が許可されたのだが。
祖父母の買ってくれた原付バイクが若干厳つくて、それがヤクザ疑惑に一役買っている感がなくもないが、これだって選んでくれた祖父の「郁也に似合うと思って」という好意によるものだ。
確かにいわゆる一般的なスクーターは、郁也にはちょっと小さかったのだから、これはこれでいい。
けれど、この原付バイクに見えない原付バイクは、一体どこから買ってきたのか?
そんなこんなをつらつらと考えていたせいで、注意散漫になっていたのは否めない。
ガサガサッ!
雨の中で視界が悪い中、道の横の茂みから突然小さな影が飛び出してきた。
「うわっ……!?」
郁也はその小さな影を避けようと、ハンドルを切る。
キキキィーッ!
けれどそれで運悪く、雨に濡れた地面で原付バイクのタイヤがスリップしてしまった。
「うわっ!?」
そのせいでバイクから振り落とされた郁也は、道の横へと転がる。
そしてさらに運が悪いことに、その先が崖になっていてガードレールもない。
止めるものがないため、郁也は落ちてしまう羽目になり。
――俺、死んだかも……。
郁也はこれまでの人生が走馬灯のように脳内を駆け巡り、やがて強い衝撃と共に頭にヌルっとした感触がして、意識を失う。
「キューン!?」
その郁也の落ちた崖の上で、郁也が避けた小さな影が慌てたようにオロオロして、意を決して飛び降りたなんて、気付きもしなかった。