ハロウィンの魔女
ハロウィンはもともと収穫祭を祝う行事なのに、なんで仮装して街中をねり歩くのか僕にはさっぱり分からなかった。
高校二学期の期末テストを二週間後に控えていた僕はクラスメイト数人と下校し、途中でファミリーレストランに立ち寄ってテスト対策の勉強をしていた。二時間そこらで終わり、帰り道であるアーケード街へ出たとたん、ゾンビだのドラキュラだの、ハロウィンご用達のキャラクターの仮装集団がそこかしこに行きかっていた。アーケード街に並ぶお店の売り子もそれぞれ仮装していて、すこし不気味な雰囲気をかもし出していた。
「こう見ると変だよな、日本ってさ」
隣を歩いている智也が言う。
「自分の国のイベントでもないくせに、ころころ季節に合わせてさ……これ過ぎたらクリスマス、で数日後は正月だろ?」
「まあ、なにかと理由をつけて楽しみたいんじゃない?」
ぶっきらぼうに僕は言った。期末テストを控えている僕らにとっては、こんなイベントは何の意味もない。騒ぎに参加すれば学校からの補導は確実に受けるだろうし、第一この歳になって「お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ」なんてセリフ、言えるはずがない。ハロウィンは秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す宗教的なニュアンスを含んでいるのだけれど、街中の人は「仮装してバカ騒ぎするイベント」という回答を返してくるに違いない。
異国交流のイベント?
バカバカしい。
まだバイト先で皿洗いしてた方がマシだ。
どこが楽しいのか、さっぱりわからない。
血まみれになった魔女の仮装をしている売り子の女性が声をかけてきたが、丁寧に断わった。断わった瞬間、女性が不服そうな視線を僕らに浴びせた。
なんだよそれは。
負けじと僕も視線を返す。根負けしたのか、女性は次の通行人に笑顔で声をかけ始めた。
なんなんだよ。
深くため息をつく。
そんなに客を呼びたかったら、魔法の一つでも使ってみろよ。
無言で悪態をつぶやいて、上を見上げる。アーケード街の天井はアーチ状のガラス張りになっており、そこからわずかに夜空がのぞいていた。しかし視界に入っている天井からぶら下がっている垂れ幕もハロウィン一色、アーケード内にこだましている喧騒もハロウィン一色。
なんだか本当に、いやになる。
少し早足で通りを抜ける。智也も僕に続いた。しばらく通りを行くと大きなスクランブル交差点に差し掛かった。歩行者用の信号は赤。早くこの騒ぎが抜け出したかった僕はさらにイライラをつのらせた。
「そうイライラすんなよ広樹」
「わかってるよ」つとめて、僕は冷静を装った。
ちらりと、隣で信号を待っている親子を見やる。厚いコートを羽織っている三十半ばに見える母親はスマホをいじっている。父親の姿はない。そばにいる三歳児くらいの男の子は本人が希望したのか否か、恐竜をモチーフにした緑の着ぐるみをすっぽり頭から足にかけて着ていた。イベントで手渡されたのか、派手なピンクの風船を手にしている。
世も末だ。
信号を見る。まだ青に変わるには時間がある。
ふと、視界に男の子の持っていた風船が入ってきた。ふわふわと宙に浮き、交差点の上空へと消えていこうとしていた。
嫌な、予感がした。
反射的に男の子の方を見る。
男の子はすでに交差点へと侵入していた。
母親はスマホに夢中。
ウソだろ。
甲高い車の急ブレーキ音。
クラクション音がけたたましく鳴る。
続いて母親の絹を裂いたような悲鳴。
僕らは一歩も、動けなかった。
男の子は泣き叫びながらこちらへと走ってくる。
距離はまだある。
直後、後続車が激突した。
勢いよく前方の車が押し出される。
男の子に車が直撃した、はずだった。
男の子の姿が、視界から消えていた。
混雑する音、煙がかる視野。辺りを見渡す。男の子はいない。しだいに野次馬が集まり、ぽつぽつとギャラリーが形成されていく。母親は錯乱気味に車に駆け寄り、我が子を探している。しかし見つかっていないようだ。
「おいおいマジかよ」焦りながら智也が言う。「これ下敷きに……」
智也が言いかけたその言葉が、どよめきにかき消された。
周囲を見渡すと、みんな指を宙に向かって指していた。
僕もつられて宙を見る。
交差点の空。暗闇だけがあるはずのそこに、何かが浮いていた。
思わず目を見開いた。
黒のロングクロークに紺色に近い厚手のワンピース。それらがゆったりと風にゆられ、ゆらゆらとはためいている。外国人だろうか、白い肌にセミロングの金髪をなびかせている。真上にはほうきが水平に浮いていて、それを右手でつかんでいた。そして左腕で、さきほどの男の子を抱えていた。表情は読めないけれど、静かにその女性はこちらを上空から見下ろしていた。
そんなに客を呼びたかったら、魔法の一つでも使ってみろよ。
数分前の自分の言葉を思い出す。
いやでも、これは。
スマホのフラッシュがいくつもたかれる中、徐々に宙に浮いていた女性が高度を落とし、母親の下まで降りてきた。
ざわめきが一瞬、静まり返った。
黒いクロークを羽織った女性はそのまま母親に男の子を差し出した。母親はあっけにとられたのか、無言で男の子を受け取った。対する男の子も何が起こったのかわからず、ぼんやりとしていた。
母親が礼か何かを述べようとした時、その女性が口を開いた。
「あんた、それでも母親なの?」
聞き取りにくかったけれど、確かにそう僕には聞こえた。
冷たく、どこか怒りを覚えている声色。
言い終えるなり、女性は重力に逆らうかのように宙に浮き、ほうきにまたがるとものすごい勢いでアーケード内を突っ切っていった。垂れ幕が弾かれるように大きく揺れる。
歓声を上げる 人。
後を追いかける人。
電話をかける人。
僕はどれもできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。でも、一つだけ確かなことがあった。
あれは間違いなく、魔女だ。