第32話 『魔獣憑き』と殺撃
「マリナ?」
「はい、マリナです!」
少し照れたように、それでもいつも通り快活な顔で笑うマリナ。
なんだか、すごく懐かしい気がする。
「あんた、囚われてたんじゃないわけ?」
「えっと、よくわかないけど……ぼんやりしてたというか、操られてたというか……うーん」
困った様子のマリナを見て、『ママ』が声を上げる。
「マリナ? あなた、どうやって暗示を……? いいえ、いいわ。こっちにいらっしゃい。また、思い出させてあげる」
「ごめんね、『ママ』。暗示はもう効かないよ。だって、全部思い出しちゃってるんだ」
小さく笑ったマリナが、俺を守るようにして黒い大太刀を構える。
「ごめんね、みんな。あたし、人間じゃなかったみたい。ええと、【人造人間】とかって、生きてる魔法道具なの」
まるで、軽く……いつもの様子で話すマリナ。
「騙してたわけじゃなくって、最近まで知らなかったんだ。この人たちが、あたしを迎えに来るまで」
「そうよ、マリナ。あなたは人間じゃない。私達が作り出した『アンケリアスの子供たち』なの。さぁ、こちらにいらっしゃい」
「ううん。『祝祭』はもうおしまい。アンケリアスは、この世界に来ないってさ」
あっさりとしたマリナの言葉に、『ママ』がたじろぐ。
「『|過ぎ去りしいつかのあの日』まで行って、直接確かめてきたの」
「そ、そんなはずないわ。だって、『アンケリアス神』はこの世界に訪れて、何もかもを変えるって『パパ』が言ってたのよ?」
「アンケリアスは来ないよ。あの人は、ただそこにいるだけ。願って何かしてくれる神様じゃないよ」
首を振るマリナに、『ママ』が震える。
ぶつぶつと何かを呟きながら、息を荒くしていく『ママ』。
「……やっぱりあなたは失敗作だわ。聞き分けがないし、役に立たない。いいわ、ここで一緒に殺してしまいましょう」
「やらせないよ! みんなはあたしの大事な家族なんだから!」
叫びながら、マリナが殺気を漲らせる。
その言葉に、胸が熱くなった。マリナが、戻ってきたと。
「マリナ、気をつけろ。彼女は魔獣憑きだ。なんの魔獣が宿っているのかはわからないが、レインの魔法を受けて無傷だった」
「そうなんだ?」
俺の言葉に、小さく首をかしげるマリナ。
緊張感があるのかないのか。
「私は『第七教団』の最高傑作。この闇の世界において、一切の傷を負わぬ祝福を受けた者です。あなた方の敗北は、すでに決している」
長い鼻を鳴らす『ママ』に、軽く舌打ちする。
おそらく彼女も『第七教団』による実験の対象者なのだろう。
いくつもの魔獣因子を取り込んだ気配がする。
きっと、『透明な闇』への適応を進めていくうちに生まれた、イレギュラー的存在に違いない。
「さぁ、大人しく喰われなさい」
「バカなの?」
マリナが、憐れみを込めた目で『ママ』を見る。
本当に心の底から可哀想なものを見る目をして、小さくため息を吐き出すマリナ。
「……ううん。ごめんなさい。『ママ』はあたしに興味がないんだよね。あたしが、失敗作だから」
「何を、言ってるのかしら?」
「本当に、頭に来るなぁ……! こんな人にいいように操られてた自分も情けない!」
怒ったようにそう吐き捨てるマリナ。
「あたしは、マリナ! 『第七教団』によってつくられたレアタイプ個体の【人造人間】! あんた達があたしに宿した職能、忘れちゃったの?」
「だから、何だというのかしら」
余裕綽々に笑う『ママ』。
だが、次のマリナの言葉でその顔が凍り付いた。
「さっき痛くて悲鳴を上げたことも、忘れちゃったの?」
「……!」
巨躯の魔獣憑きが、恐怖に顔を引きつらせて一歩下がる。
代わりに、マリナが一歩踏み込んだ。
「マリナ、あなたの本当の家族は私達でしょう?」
「違う。あたしの家族は『クローバー』のみんなだけ。あなた達は、『敵』だよ」
「私達があなたを生み出したの! 大いなる目的のために! 子が親に尽くすのは、義務よ!」
『ママ』の言葉に首を振って、さらに一歩踏み込むマリナ。
「あたしは、『モノ』だった。それを『人間』にしてくれたのはフィニスのみんなで、家族にしてくれたのは『クローバー』なの。あたしはもう、あんた達の道具じゃないッ!」
漲る殺気と共に、マリナの大太刀が黒く輝く。
鋭く、それでいて燃える様な殺気が、魔力と一緒くたになって陽炎のように揺らめいている。
「あたしはマリナ……『クローバー』の『魔剣士』マリナ!」
「贄風情が……!」
どこか怯えた風に吠える『ママ』を見据えて、マリナが「うん、いける」と小さく頷いて、刀を鞘に納める。
「――“徒花と散れ”」
ゾクリ、と背筋が凍りつくような感覚。
聞きなれない言葉だが、どこか魔法の詠唱にも似た響き。
「“我、全ての戦場で駆け、全ての戦場で斬り、全ての戦場の悉くを絶つモノなり”――」
マリナの殺気と魔力とそれ以外の何かが渦巻き、一つの結果に向かって収束していく。
これは、俺の〝淘汰〟と同質の力だ。人の手に余る、埒外の力だ。
マリナは、どこでこんなものを手にしてしまったんだ?
「死になさい、マリナ! 詫びて死ね!」
やぶれかぶれになって爪を振り下ろす『ママ』に対して、マリナが太刀を抜く。
静かに、滑らかに、軽やかに、早く、速く、疾く――それは、行われた。
マリナが大太刀を鞘に納める鍔鳴りの音だけが小さく響き、その時にはすべてが終わっていた。
「――秘剣……『九禍断』」
まるで手向けのように、その絶技の名を口にしたマリナの足元には、傷負わぬはずの『ママ』が物言わぬ骸となって転がっていた。





