第31話 『ママ』とマリナ
「あなたは……!」
「ここでは『ママ』、と呼ばれております」
にこやかな笑顔を浮かべてはいるが、漏れ出る気配はまるで剣呑としていた。
ネネが素早く察知したのは、優れた察知能力のためだけではないだろう。
この人、ちょっとママルさんに似てるような気がする。
「大変申し訳ありませんが。お引き取り下さい。これ以上、先に進まれますと邪魔になってしまいます」
「あんた、バカなの? 邪魔しに来たのよ!」
ややイラついた様子でジェミーが声を張り上げる。
「それでは仕方ありませんね。でしたら、ここで『祝祭』の贄となっていただく他ないようです」
冷えた殺気を言葉に乗せながら、ゆっくりと手を上げる『ママ』。
それを合図に、『第七教団』のローブをまとった信徒たちが、得物を手にして闇の中からぞろぞろと姿を現した。
なるほど。あいつらにとってもここが最終防衛ラインってわけだ。
きっと、目的地は近い。
「念のために勧告させてもらう。武器を捨てて降伏するなら、戦闘は避けられるが?」
「傲慢なことですね、〝勇者〟ユーク・フェルディオ。あなたのような人間が、一番嫌いです」
吐き捨てるようにそう告げた『ママ』が手を振り下ろす。
それを合図に信徒たちが、一斉に動き出した。
以前にエドライトの『旧王都』で戦った時より、ずっと速い。
「この子たちは、『アンケリアスの子供たち』の副産物を宿してるの。理想郷が近くに感じられるこの場所なら、すごく強くなれるのよ」
「人の道から外れたことを!」
襲い来る信徒たちに、じりじりと押されていく。
冒険者は魔物と戦う機会こそ多いが、こんな風に連携して攻めてくる人間を相手することは少ない。
特に、まるで軍隊のように練度の高い相手となればなおさらだ。
一人一人が高ランクの冒険者並みに手強い上に、こちらの不得手や隙を的確に攻めてくる。
「これが〝勇者〟とそのパーティ、ですか? ちょっと警戒し過ぎたのかもしれませんね」
余裕綽々といった様子で、自らは動かずに離れた場所に佇む『ママ』。
正直なところ、その侮りが今はありがたい。
おそらく、この女もかなりの手練れだ。でもないと、ママルさんに似てるだなんて思うわけがないしな。
「手強いっすねぇ……!」
「ちょっと、ヤな感じよね」
ネネとジェミーがそうボヤきながらも、見事な連携で一人を仕留める。
何も、連携はこいつらだけのものじゃない。
だが、このままでは押し切られる可能性が高い。
数の多さは、そのまま脅威になる。
それが手練れであれば、足し算ではなく掛け算の危険となるのは明白だ。
だから、俺も多少の無理を通さなくては。
……この異界の気配に適応しているのは、何もお前たちだけではないのだから。
「レイン、少し無茶をする」
「少しだけ、だよ?」
「わかってる」
左腕をまっすぐに伸ばして、意識を集中させる。
魔法の詠唱に『力』を乗せると出力が大きくなりすぎてしまうから、意識だけだ。
ちりりとした頬の痛みが、左腕から感じられる熱が……俺の人ならざる部分を刺激する。
「――〈呪縛〉」
俺の足元から濁流の如く影が伸び上がって迫る信徒たちを押し流し、圧し潰す。
レディ・ペルセポネにねじ込まれた、邪悪な暗黒魔法。
まともな人間が使えば生命を大きく削るはめになるが……今の俺であれば、使うこともできる。
そのくらい馴染んでしまったのだと思うと、些か複雑な気分ではあるが。
「くッ……」
「ユーク!」
身体にかかる負荷の大きさに、軽く眩暈を感じる。
よろついた俺を、レインが支えてくれた。
「大丈夫だ。さぁ、あとどのくらいいる? もう一回、やってみせようか?」
「無茶、し過ぎ。次は、ボクの……出番」
そう笑いながら、紅玉の長杖を揺らすレイン。
まるで空を攪拌するかのようにゆらり、ゆらりと杖が揺れるたび、肌で感じられるほどの魔力が、周囲を張り詰めさせていく。
「……ッ! あの娘を止めなさい。はやく」
何かに気が付いたらしい『ママ』が、焦った声で信徒たちに指示を飛ばす。
しかし、それを許すほど俺の仲間は甘くない。
「行かせるわけないっす」
「少しでもわたくしから目を離せば、撃ちます」
「〈麻痺〉、〈鈍遅〉、〈目眩まし〉、〈拘束〉、〈重圧〉! ……早撃ちはユークだけの専売特許ってわけじゃないわよ!」
ネネの忍術が、シルクの連射が、ジェミーの無詠唱が、迫る信徒たちを牽制し、足止めする。
「〝起動〟」
仲間に合わせて、俺も【聖域の巻物】を発動させる。
傍らで、まるで歌うように詠唱を続けるレインを守るために。
「いく、よ!」
レインが杖を床に突き立てる。
活性化した魔力が発光し、まるで光をまとったかのような姿で、レインが魔法を発動させる。
「汝ら、罪、ありき――〈断罪〉!」
瞬間、数十個の魔法式が周囲に展開され……天から光の柱が降り注いだ。
それはまるで、神話に語られる神の裁きのようだった。
いや、そのものなのかもしれない。
レインって女の子は、優れた魔法使いであると同時に優れた僧侶でもあるのだから。
「あなた達に、相応しい、終わりを、あげた。ボクの神様は、あなた達を、許さない」
「~~~~ッ」
焼け焦げた信徒たちの死体が転がる中、ただ一人生き残った『ママ』が剣呑な目をして、言葉にならない唸り声をあげる。
……さて、この女はどうして無事なんだろう。
他の者達と同じに、あの天光を浴びたはずだというのに。
「もういい、もういいでしょう。殺します。あなた方を一人残らず殺します」
ブツブツとそんなことを言いながら、毛に覆われながら膨れ上がっていく『ママ』。
「まさか、魔獣憑きか……!」
「私は『第七教団』の最高傑作。これから、あなた方を食い散らかします」
赤茶けた毛皮の狼人間となった『ママ』が牙をむき出しにして吠える。
危険な組織だとは思っていたが、『第七教団』は俺の予想をゆうに超えていたらしい。
まさか、呪われた存在にまで手を出していたとは。
「さぁ、死を受け入れ、『祝祭の』の贄となりなさい」
『ママ』から放たれた強烈な衝撃波が、闇の中を揺らして仲間達を跳ね飛ばす。
咄嗟にレインを庇った俺にしても、その余波で床に膝をついてしまった。
「く……ッ」
「潔さは美徳ですよ、ユーク・フェルディオ。それでは、さようなら」
レインを抱きこんで身構える。
俺なら、一撃もらったところで何とか耐えきってみせる、と。
……しかし、衝撃は来なかった。
代わりに悲鳴を上げて跳び退る『ママ』の気配があり、視界の端には揺れる赤い髪があった。
「ただいま、ユーク。帰って……きたよ!」





