第30話 フィニスの〝塔〟と闇の中
見覚えの入り口から入ったものの、内部は見慣れない……いや、見覚えはあるか。
なにせ、塔の内部はまるで『無色の闇』の深層にあるような、透き通った闇に満たされていたから。
「……これは、アタシ達だけで突入して正解だったわね」
「ああ。『反転迷宮』ではないとはいえ、あまりに俺達の世界と性質が違い過ぎる。『存在証痕』がないと、危ないかもしれない」
「先行警戒、行ってくるっす」
耳をぴくぴくと動かしながら、前方を見据えるネネ。
「何があるかわからない。慎重にな」
「了解っす」
【隠形の外套】を羽織ったネネが、静かに闇の中へと駆け出していく。
彼女の腕を疑ってはいないので、そこまで心配はしていないが……この〝塔〟の内部を見てしまえば、安心もしていられない。
「〈魔力感知〉で、周辺を確認、してみたけど、やっぱり、ちょっと、ヘン」
「はい。周囲にいる精霊も偏って、歪んでいます」
レインとシルクの報告を聞きながら、無意識に頬に手をやる。
どうしたことか、いつもの不快な疼きがない。
ここまで異界の気配が濃くなれば、もっと反応してもよさそうなものなのに。
むしろ、少し調子がいいくらいだ。
「どうしたの? ユーク。何かあるなら。我慢しないで言ってよね」
俺の様子を不審に思ったのか、ジェミーが怒ったような心配したような顔でこちらを覗き込む。
こういうときは素直に答えたほうが、身のためだ。
ジェミーは怒るとちょっと怖いからな。
「いや、いつもとちょっと違うなって思っただけだ」
「ならいいけど……無理だけはしないでちょうだい。そういうの、なしだからね?」
「わかってるさ。ただ、俺は少しばかり馴染みすぎてるらしい」
そう、俺の身体はこの透き通った闇が満ちる異界の空気に違和感を感じなくなってしまっていた。
もしかすると、いよいよ俺ってヤツは〝淘汰〟としての自覚が備わってしまったのかもしれない。
「そりゃ、あんたくらい色々背負っちゃったら『そういうこと』もあるわよ。不調じゃないならそれでいいわ」
ジェミーのあっけらかんとした様子に、少しばかり拍子抜けする。
人間を離れゆく俺に、嫌悪感はないのだろうか。
「ユークは、ボクらを、ちょっと、侮り過ぎ」
「ですよね。今更と言うか、今ですか? みたいな気がします」
おっと。これは責められてるのか呆れられてるのか、どっちだ?
いや、どっちもか?
「舐められたもんよね。ユーク、一つ言っておくけど……アタシたちは、もうそのくらいじゃ揺らがないわよ? ていうか、あんたが何であれ、一緒にいるってもう決めてるんだから」
ジェミーの言葉に、レインとシルクがうんうんと深く頷く。
どうも俺は何かを失敗して、説教されているらしい。
「ああ、でも巨大化するとかはしないでよね。一緒にベッドに入れなくなるから」
「その時は、大きなベッドを作ってもらいましょう」
「ん。みんな、いっぺんに、寝れる、やつ」
「あら、いいアイデアね。帰ったら真剣に考えてみましょ」
俺を置いてけぼりにして、何やら相談し始める三人。
巨大化する予定は、今のところないんだけど。
「戻ったっす! ルート取り、問題ないっす」
首を傾げたまま困惑する俺の傍で、ネネが【隠形の外套】のフードをめくる。
「何してるんすか?」
「わからない。今は、巨大ベッドのデザインについて相談中らしい」
「なんすか、それ? 夢のある話っすね!」
「まぁ、それは確かに」
なんとなく納得いかない気持ちはあるものの、この先の未来についてあんな風に話せるのはいいことだ。
でも、少しばかりピースが足りない。
「じゃあ、そろそろ行こう。……ベッドを買うならさ、マリナの意見も聞かないと」
「そうね。あの子ったら、ちょっと寝相が悪いし」
「仲間外れは、よくありませんものね。では、続きはマリナが帰って来てからということで」
「ん。賛成」
「次は、ウチも混ぜてもらうっす」
頷き合った仲間たちが、闇の先を見据えて気合を入れ直す。
そう、まずはマリナを助け出さねば、始まらない。
『第七教団』の野望を砕き、〝大暴走〟を終わらせ、フィニスを復興させる。
……『クローバー』全員で。
だから、未来の話はここまでにしよう。
全員が揃っていなくては、話もできない。
「よし、『クローバー』進行。先へ進もう……!」
決意を込めた俺の言葉に、全員が同じ方向へと視線を向けた。
◆
『無色の闇』深層に酷似した〝塔〟の内部を、注意深く進んでいく。
不幸中の幸いと言えるのは、以前に入ったときのような環境変化が見られないことだ。
とはいえ、この風景もあまり落ち着かない。
月や星のない夜空のような天井、うっすらとした半透明の床。
そして、今にも崩れ落ちそうな柱がぽつぽつとあるだけ。
そんな中でも、魔物は現れる。
影の人や反転した獣、いずこかの世界から流れ着いたらしい見覚えのない魔物もいた。
ここが『無色の闇』なのだと思い知らされる。
「かなり進んだはずなんすけど、あとどのくらいなんすかね……?」
「階層スキップが起きてるかどうかすらもわからない。こうも風景が変わらないとな」
崩れかけた東屋のような建造物の残骸で休憩を取りつつ、状況をチェックする。
マリナの事も『祝祭』のことも気になるが、リーダーの俺が逸りすぎるのもまずい。
そう考えて、休息を指示した。
「よし、おっけーっす! こっち向いていいっすよ」
清拭を終えたらしいネネが、そう声をかけてくれたので仲間へと向き直る。
「消耗チェックも完了しました。疲労は少しありますが、武装類の消耗はそれほどではありません」
「魔力も、問題、なし。ユークの〈魔力継続回復〉の、おかげ」
「あんたはどう? 無理してない?」
シルクとレインの報告に混じって投げかけられたジェミーの言葉に、軽くうなずいて応じる。
「大丈夫だ。特に不調らしい不調はない。それより、外のみんなが無事か心配だ」
「確かめようと、思ったけど、【タブレット】は映らない、みたい。迷宮の中、だから、かな。ルンがいたら、映ったかも、しれない、けど」
「ここは半分世界の外だからな。『ゴプロ君』は動いちゃいるが……配信が届いてるか、ちょっとわからないな」
配信を一時停止して俺の手におさまっている『ゴプロ君』は、ニーベルンの力が込められた特別製の配信用魔法道具である『ゴプロ君G』だ。
ニーベルンの持つ『黄金』の力によって配信を外部にバイパスできる仕様になっているのだが、あの娘がここにいない現状では、『生配信』が外部に届いてるかどうかは不明だ。
「何か、フィニスの緊急配信が、あるかも、だから。鞄から、出しておく、ね」
「ああ。受信を状態にしておいてくれ。上手くすれば、ニーベルンの気配を拾うかもしれないし。
【タブレット】をそのまま画面を見ることもできる専用の肩掛けケースに収めて、レインが頷く。
この【タブレット】もまた、ニーベルンの『黄金』を察知する特別製だ。
迷宮の中であっても、場合によっては外部の配信を拾うかもしれない。
「……みなさん、警戒を」
ネネが猫耳をぴくりと動かして、俺達に警告を発する。
獲物を手に立ち上がって身構える俺達の前に現れたのは、見覚えのある『第七教団』の女幹部――『ママ』だった。





