第24話 思い出の場所とネネタイム
「ユークさん」
いくつかの報告作業や準備を終えて、夜。
少し足を延ばして、オルダン湖畔森林の秘密の場所へ来ていた俺に、背後から声が掛かった。
「ネネ? どうしてここに」
「そりゃ、追いかけてきたんすよ」
にこりとしたネネが俺の隣へ腰を下ろす。
一声かけておいたし、特に気配や足跡に気を使ったわけでもない。
ネネなら、容易に俺を追いかけてこれただろう。
「いい場所っすね」
「ああ。ここは思い出の場所なんだ」
「そうなんすか?」
小さく首をかしげるネネに、軽く笑って見せる。
まだ、ネネが加入する前だものな、ここに来たのは。
「結成したての『クローバー』って駆け出しパーティの駆け出しリーダーが、初めて受けた依頼の目的地がこの『オルダン湖畔森林』だったんだ」
「聞いたっす。確か悪名付きの魔獣を仕留めたって」
「成り行き上の事だったんだ。俺はリーダーとしてちょっとばかり頼りなかったし、備えや考えが足りなかった。本当に危なかったよ」
苦笑する俺の手を、ネネがそっと握る。
きっと、俺がこれから弱音を吐くことがわかってしまったんだろう。
「この泉のほとりで、たくさん説教をして、たくさん説教をされた。あの日、『クローバー』は本当の意味でパーティになったんだと思う」
月明かりの下、泉に目をやるとあの日の光景が浮かぶようだった。
俺の判断をちくちくと責めながらスープをよそうシルク。
どこか納得いかない様子で「次はもっと強いので殺る」と宣言するレイン。
素っ裸で泉にダイブして、俺を手招きするマリナ。
……まるで、昨日のことのようにすら思える。
「ウチも一緒だったらよかったんすけどねー」
「あっと、悪い。君のいないときの昔話なんて」
「にゃはは、気にしてないっすよ。でも、もっと早くに出会えていたらっていうのは、本音っす」
「確かに。ネネがいれば不意を打たれることもなかっただろうし、もっと危なげなく勝ってたんだろうな」
俺の言葉に、ネネが照れた様子で顔を隠す。
意外に初心なところがネネの可愛いところだ。
「マリナは、どうして俺に相談してくれなかったんだろうか? 俺は、あの頃のままの頼りないリーダーだったのかな?」
「そんなっことはないっす! それはウチが断言するっす!」
俺の手をぎゅっと握って、ネネが俺をじっと見る。
真剣で、少しだけ涙がにじんでいる。
「ユークさんのすごさはみんな知ってるっす。ウチも、一杯頼りにさせてもらってるっす」
「ありがとう、ネネ」
「マリナさんは、きっと罠にかかったんすよ。ちょっとお人好しなところがあるっすから……」
眉尻を下げたネネが、小さく息を吐きだす。
「ユークさん。ウチは、犯罪の多い街のさらに掃きだめみたいなところで育ったっす」
「うん、聞いたよ」
「悪くて頭のいい連中は、ユークさんが思ってる以上に卑怯で卑劣で周到なんすよ。マリナさんの過去についてはわかんないっすけど、そういう連中はいろんな方法で逃げ道を奪うっす」
俺も幼馴染をフォローする中で多くの詐欺や恐喝を見てきた。
だが、犯罪都市とも呼ばれるネネの故郷では、俺が経験したことがないようなことも多くあったのだろう。
「だから、ユークさんが悪いわけじゃないっす。もちろん、マリナさんも」
そう言って、ネネが俺をふわりと抱擁する。
ネネにとってもつらい過去の話を語らせてしまったというのに、こうまで気を使わせて少しばかり情けない。
だが、心が軽くなるのも感じた。
実のところ、ずっと心を苛まれていたのだ。
マリナが、俺に何も言わずに行ってしまったこと。
そして、俺がマリナの悩みに気が付けなかったことを。
俺なら、何であってもみんなを――マリナを守れると思っていた。
愛しているから、なんでも解決できると思い込んでしまっていた。
そうではないという事実は、思ったよりもずっと重く……俺の心を深く削りとっていたらしい。
「少しだけ、ユークタイムっす」
「ユークタイム……?」
「ユークさんの好きなことをウチがなんでも許す時間っす」
聞きなれない言葉に、思わず小さく噴き出してしまった。
「なんでも、か」
「なんでもっす。でも、あんまり長くキャンプを離れてると皆さん心配するっすから、手短にお願いするっす」
「なかなか無理難題を仰る」
そう笑いつつも、もう十分だと心の中で感謝する。
こうやって抱きしめられているだけで、心が温かくなって悩みが溶けていく。
きっと俺は、ただ悩みを口にして……それを受け止めて欲しかっただけなのだ。
我ながら子供のようだと自嘲もするが、大人になると素直になるのも難しい。
「さあさあ、何かしてほしいことはないっすか?」
「そうだなぁ」
考えるふりをして、しばしネネの抱擁を楽しむ。
恥ずかしがり屋のネネは、普段は一歩離れたところにいたりするのでこんな機会はそうそうない。
今のうちにたくさん甘やかしてもらうとしよう。
「は……! もしかして、ウチじゃ力不足っすか?」
「まさか。そんなわけない」
「ユークさんの力になりたいんす。その、アレっす……ちょっとくらい、えっちなカンジでも、いいっすよ?」
少し赤くなりながら、目を逸らしてそんな事を口走るネネ。
「ほら、男の子はそういうので元気になることもあるって聞いたっす」
「やれやれ、誰が言ったんだ? そんなこと」
「ママルさんがヴィルムレン島に行く前に、そっと教えてくれたっす」
……まったく、あの人もどうかしてる。
自分の娘をそんな風に煽ってどうするんだ。
いや、暗に俺に対する圧のつもりかもしれない。
そういうところ、あるもんな。
「にゃはは、ジョーク、ジョークっす! ユークさんはそういう感じじゃないっすもんね」
誤魔化し笑いをするネネの額にそっと口づける。
「にゃ……」
きっと、俺はここまでの間にも、少しばかりしくじっていたのだ。
俺だけが不安を抱えているわけではないなんて、少し考えればわかるというのに。
「おでこっだけすか?」
「ここからは、『ネネタイム』といこう。何でも言うことを聞くよ」
軽口のような俺の言葉に小さく笑ったネネが、頬を染めて「……はいっす」と小さく返事をした。





