第20話 崩壊する塔と緊急避難配信
マリナと『第七教団』が消えてほどなく。
呆然としていた俺達を現実に引き戻したのは、細かな床の振動だった。
「……嫌な予感っす!」
耳をぴんと立てたネネがこちらに向き直る。
同意見だ。思うに、『第七教団』の教祖がここを撤退したということは、この〝塔〟に用がなくなったということだ。
これは悪い予想だが、おそらくこの〝塔〟は崩壊しながら正常になる。
つまり、地下に沈むか崩落するかする可能性が高い。
「脱出するぞ! 集まってくれ!」
緊急脱出用の【退出の巻物】を魔法の鞄から引っ張り出して、声を張り上げる。
そうこうする内にも、揺れは徐々に大きくなり床や壁に細かなひびが入り始めた。
あの『パパ』という男……この〝塔〟の処分と俺達の始末をまとめてやるつもりだったのかもしれない。
「退出、〝起動〟!」
【退出の巻物】を起動すると同時に、大きな揺れが俺達を襲う……が、間一髪、光と共に視界が切り替わった。
どうやら、俺の判断は正しかったらしい。
かなりギリギリだった。
「間に合った、みたいね」
ジェミーが小さく息を吐きだして、草原に座り込む。
そう、草原だ。町の中ではない。
同じく不思議に思ったのか、周囲を確認したシルクが俺に向き直る。
「町の外まで出てしまったようですね。何故でしょうか?」
「裏付けのない推論になるけど、『旧王都』自体が迷宮扱いになっていたのかもしれない」
「〝塔〟の影響はそれほどまでに大きいのですか……?」
「不思議じゃないさ。君の故郷にある『世界樹』だって、暴走して周囲を迷宮化させていたしな」
俺の言葉に、シルクがハッとした様子で目を見開く。
そして、俺も口に出してから事の重大さに気が付いた。
あってはならないことなのだ。
人の生存圏である都市が、迷宮にとって代わられるなどということは。
「マリナは、どこに、行ったの、かな?」
崩れゆく象牙色の〝塔〟を街の外から見やりながら、レインが俺の袖を引く。
「わからない。あの『パパ』とかいう男が使った魔法の巻物だが、俺の知らないものだった」
「ユーク、でも?」
「ああ。錬金術師の端くれとして、それなりに知見を深めていたつもりだったんだが、あれは見たことがない」
「転移って言ってた、ね?」
起きた現象から推測するに、【退出の巻物】と同類の強力な魔法の巻物だと思われる。
それでいて、俺が見たこともないとなると……相当希少なものか、あるいは禁制品かどちらかだ。
『第七教団』が違法な魔法道具に関わる集団だという仮定すると、後者の可能性が高いが。
「おそらく、空間跳躍の魔法を発動する魔法の巻物だと思う」
「そんなの、アリなワケ?」
「信じられないが、目の前で使われちゃな……。それより、マリナ達がどこへ行ったかだ」
『あの魔法の巻物が何か』よりも、『あの魔法の巻物でどうなったか』の方が、今は大事だ。
【退出の巻物】が迷宮の外へ向かわせる魔法の巻物であれば、あれもきっと何かしらの指向性を持っているはず。
好きな場所に好きなように転移できる可能性を排除はしないが、そこまで大きく現実を改変しようものなら逆に何かしらの痕跡が残る。
そうでないなら、あらかじめ決められた場所への転移か……同一エリア内への転移くらいが現実的だろう。
「ユーク!」
考えあぐねる俺の手を、レインが焦った様子で引いた。
手には、いつも持っている特別製の【タブレット】。
そいつが、警告音を鳴らして「緊急配信! 緊急配信!」と画面を明滅させた。
◆
『こちらは王立配信局。フィニス市民に緊急避難配信を行っています!』
普段は冒険配信でパーソナリティをしているショウさんが、少しばかり強い語調で呼びかけを行っている。
『フィニスに魔物が多数出現。住民は直ちに避難を!』
『現在、フィニスは大変危険な状況です! 警邏、冒険者の誘導に従って速やかに街の外へ急いでください! これは訓練ではありません! 繰り返します! 直ちに避難を!』
フィニスの各街区に配置された『定点ゴプロ君』の配信映像をバックに、ショウさんが警告を繰り返す。
その配信映像には逃げ惑う人々とそれを追う奇怪な魔物、そしてそれに応戦する冒険者たちが映し出されていた。
「何が起こってるんだ!?」
「わかん、ない。けど、ここ、見て……!」
画面を覗き込んだ俺に、レインがある一点を指さす。
幾度となく切り替わる配信映像のいくつかに、見覚えのあるものが映し出されていた。
『フィニス中央区の冒険者ギルド直情に、異常な構造物が……塔のような、ものです! 中央街区、キュー!』
ショウさんの指示に、画面がフィニス中央街区を映す複数の配信へと切り替わる。
そこには、先ほどまで俺達がいた〝塔〟に酷似した構造物がせり上がってくる様子が映し出されていた。
「フィニスにも、〝塔〟が? まさか……!」
「あいつらの向かった先、もしかしてフィニスなんじゃないっすか?」
ネネの言葉にハッとする。
【退出の巻物】が迷宮と迷宮外を繋ぐ魔法の巻物ならば、あの魔法の巻物は〝塔〟内を繋ぐ魔法の巻物だったのではないだろうか。
広義で言えば全ての迷宮は『無色の闇』――〝塔〟へつながっている。
かつて俺達がサルムタリアの『王廟』から『無色の闇』へと踏み込んだように、空間という概念においてそれらは同一の存在なのだ。
「ねえ、テックは? ルンは無事なの?」
【タブレット】を悲壮な表情で見ていたジェミーが、俺の肩を揺さぶる。
その言葉が、俺を一気に現実へと引き戻した。
俺はウェルメリアのAランク冒険者で、〝淘汰〟に相対するべき〝勇者〟で、『クローバー』のリーダーだ。
呆然自失となっている場合ではない。
「フィニスへ戻ろう! いま、すぐに」
「はい、先生。しかし、馬が……」
馬車を引く二頭の馬のうち、一頭は俺が『旧王都』に踏み込んだ際にだめにしてしまった。
〝塔〟が活性化した際、俺と一緒に地割れの中に飲み込まれたのを確認している。
それに馬車があったとして、エドライト中央部のここからからウェルメリア王国を横断してフィニスに向かうには、どんなに急いだとしても少なくとも三週間はかかる計算だ。
これから何が起こるにせよ、手遅れになる可能性が高い。
「ユーク、ダメ、だよ」
俺の袖を引いて、小さく首を振るレイン。
どうやら、俺がやろうとしている無茶に気が付かれてしまったらしい。
さりとて、他の方法も思いつかない。
「大丈夫だ。今の俺なら、おそらくできるはずだから」
「……わかった。ボクも、フォロー、する。でも、無理は、しないで」
俺の腕をぎゅっと抱きこむレイン。
そんな彼女の頭をそっと撫でて、仲間達に向き直る。
「『旧王都』へ戻ろう。少しばかり、試してみたいことがあるんだ。上手くすれば帰還時間を短縮できる」
俺の言葉に、仲間達が小さく頷いた。





