第19話 『アンケリアスの子供たち』と『パパ』
ネネの言った通り、この階層はこれまでと様相が違っていた。
入り組んでもいないし、罠もない。魔物もいない。
それどころか、信徒たちもいなかった。
こう言っては妙だが……まるで何かを祀る神殿のような静謐さすらあるように思えた。
異界の気配はこれまでと比べ物にならないほど濃いが。
「こんな所にまで入り込んで。些か不躾なのではないかね?」
広い空間を少し進んだところで、そんな声が俺達にかけられた。
配信で聞いた声だ。
声がした方向から、男が一人歩いてくる。
信徒たちと同じ白いローブではあるが、金糸を使った特別仕様。
配信で見る、あの男だ。
「――……あなたが『第七教団』の代表者か」
「『パパ』と呼ばれている。以後、お見知りおきを……と言いたいが、早々にお引き取り願いたい」
痩せぎすな顔に柔和な笑みを浮かべて、そんな事をのたまう『第七教団』代表。
当然、それに応じるわけにはいかない。
「マリナを返してもらう」
「これは異なことを。あれはもともと我々のモノだ」
小さく首を振って薄ら笑いを浮かべる『パパ』。
カルト教団の頭領らしい尊大な態度だが、些か鼻につく。
「あなたがマリナにとっての何者かはこの際、どうでもいい。だが、マリナは俺達の仲間で……俺の恋人だ。彼女の選択であるなら尊重もするが、まずは話をさせてもらいたい」
「なるほど。君はあれとずいぶん仲良くしてくれたようだ」
マリナを『あれ』呼ばわりしている時点で、語るるに落ちたというべきか。
腰の小剣に手を添えて、一歩踏み出す。
「おっと、冒険者は野蛮でいけないな。なるほど、あれの聞き分けが悪くなるわけだ」
「マリナをそんな風に呼ぶのはやめろ」
「自らの所有物をどのように呼ぶかなど自由だろう? それとも君にそれを決める権利があるのかね?」
芝居がかった大仰な溜息をつきながら、『パパ』が軽く手をあげる。
何か仕掛けてくるかと身構えたが、部屋の奥……緞帳のようなもので仕切られた場所から、二つの人影が現れてこちらに歩いてくるのが見えた。
一人は教団服を着た女性。
そしてもう一人……女性に手を引かれているのは、奇妙な衣装をまとったマリナだった。
身体のラインが透けるような薄い純白ローブに、複雑な文様が描かれた目隠し。
緩く巻きつけられた細い金色の鎖の装飾は美しく見えるものの、まるで拘束されているかのような印象を受ける。
「仮にも私は『パパ』だからね。慈悲深き教主として、娘との面会を許そう」
「マリナ!」
「マリナさん!」
シルクとネネの呼びかけに、マリナは全く反応しない。
そんな様子に、レインが表情を険しくして問う。
「マリナに、何を、したの……!」
「何、と言われてもね。マリナは『アンケリアスの子供たち』最後の生き残り。やるべきことはたくさんある」
まるで答えになっていない。
しかし、この男がマリナをろくでもないことに利用しようとしていることはわかった。
「ほら、マリナ。お友達が来てくれたわよ」
「……」
女性信徒にそう促されても、まるで反応がない。
まるで幕間の操り人形のように、ただ立っているだけだ。
「では、そろそろお引き取り願おう。約束の日は、すぐそこなのだから」
俺が何か言葉をかける前に、『パパ』が遮るようにして言葉を発する。
「何だってこんなことをする!」
「こんなこと、とは?」
憐れむような目でこちらを睥睨する『パパ』。
「〝塔〟を活性化させ、魔物を都市に放った。これ以上続ければ、世界の均衡が崩れて、大きな〝淘汰〟になってしまうぞ!」
「それは違う」
俺の問いに『パパ』が大きく首を横に振る。
「我々は世界を正しくして、幸せになるために活動している。今の世界は、間違ってるんだよ」
「何を言ってる……! 〝淘汰〟が何をもたらすのか知らないのか?」
「だからこそだよ、ユーク・フェルディオ。今世の〝勇者〟殿」
『パパ』の言葉に、俺は再認識する。
やはり、というべきか。この男は、色々とものを知っているようだ。
少なくとも、この事態を狙って起こしているのは間違いない。
「〝淘汰〟が蔓延する今こそが、変革の刻なのだ。混沌があふれ、次元境界があいまいになった今こそ……『アンケリアス神』を迎え入れることができる」
「『アンケリアス神』……?」
「そうだ。この世界の真なる神。隠されし創造主。このマリナを通じて御身を招き、世界の全てを変えるのだ」
どこか興奮気味に、そして恍惚とした表情の『パパ』がマリナの腰を抱きよせる。
その仕草に強い嫌悪感を覚えたが、そんな俺にはお構いなしに『パパ』は言葉を続けた。
「何言ってるのよ、アンタ……!」
「凡俗には理解できない話をしているのは、自覚している。君達に理解を求めるつもりもない」
小馬鹿にしたようにため息を吐く『パパ』。
「そう焦らずとも、『祝祭』はじきに始まる。我らが真なる『アンケリアス神』が降臨し、この世界を正しく創生し直す。皆が心安らかに過ごせる世界が到来すれば、おのずと理解もできよう」
『パパ』が、信用できそうにない薄ら笑いをこちらに向ける。
ああ、やっぱりこいつは良くない。
まるで人の気配と言うか、この世界に生きる者としての生気のようなものを感じない。
悪意か、害意、あるいは別の何かで以て――この世界を俯瞰して見ている者達だ。
「……あなた方の話は、わかった。だが、マリナは返してもらう」
「最初から君のものではないと伝えたはずだが?」
「あなたのものでも、ないだろうに!」
「いいや、我々のものさ。この娘は、我々が、我々のために作ったのだから」
異常性を感じさせる目をこちらに向けて、薄気味の悪い笑顔を浮かべる『パパ』に、少しばかり気押される。
これまで多くの危機に対してきたはずだが、人間がこうも邪悪な気配を発することができるものなのだろうか?
「マリナが作られた、だって?」
「そうとも。このマリナは……『アンケリアスの子供たち』は作られたんだ。我々『第七教団』によってね」
戯言に耳を貸すべきではないと理解していながらも、身体が強張る。
「一万人に一人という特別な職能を得たも、我々の成果だよ。これはね、人間ではない。人を模した魔法道具の一種なんだよ」
「なんだ、って……?」
そんなことはありえない。マリナは、人間だ。
温かくて、柔らかくて、太陽みたいに明るい女の子。
人間以外であるはずなど、ない。
「冷静になって、ユーク」
「……ああ」
隣に立ったジェミーに言葉に、気を持ち直す。
むざむざ相手の言葉に呑まれるなんて、俺もまだまだ甘い。
「全ては『祝祭』のために準備された。マリナについては、些かイレギュラーではあったが……結果的に機能している。運命が我らに味方したという事だろう」
「なんであれ、マリナを返してもらうことに変わりはない」
この男の言葉の真偽など、どうでもいい。
俺達はマリナを救うためにここへ来たのだ。目的は変わらない。
「『祝祭』とやらが何かは知らないが、お前の企みはここで止める。マリナも返してもらうぞ!」
俺が小剣を抜くと同時に、仲間達も得物を構える。
「『ママ』、彼等はやる気の様だ」
「ええ、『パパ』。ここで始末してしまいましょうか?」
「いいや、時間だ。次へ行こう」
マリナを挟むようにして、立った『パパ』と『ママ』が、こちらににこりと笑って恭しく礼のポーズをとる。
身構える俺達の前で、一枚の魔法の巻物を『パパ』が広げた。
「それでは、ごきげんよう『クローバー』の諸君。我らは行く」
「待て!」
「転移、〝起動〟」
駆け出そうとする俺達の前で、『パパ』がにやりと笑った。
その瞬間、魔力の凝縮に空間が歪み、『パパ』と『ママ』、そしてマリナを飲み込み……小さな燐光と共に姿を消した。





