第3話 挙動不審なベンウッドと妙な気配
冒険者ギルドの三階。
応接室に通された俺とシルクは、やわらかなソファに座ってしばし待つ。
俺たちのような冒険者が忙しいということは、ギルドマスターであるベンウッドも同様に忙しいのだ。
だが、待ち合わせに時間に遅れるなんて、あいつらしくない……とも思う。
粗野な風ではあるが、仕事の筋は通す男だ。
何か、緊急のトラブルがあったのかもしれない。
「ギルドマスター、遅いですね」
「ああ、ママルさんも来ないし……」
ここまで口にして、嫌な予感が胸に湧き上がってくる。
あの二人が揃って動かねばならない事案となると、この冒険者ギルド地下に封印されている『無色の闇』絡みである可能性が高い。
異変の原因となった『深淵の扉』はルンのおかげもあって閉じることができたが、『透明な闇』の影響を最も強く受ける迷宮であることには変わりないのだ。
王国各地……いや、世界各地で不安定な状態が続いていることを考えれば、ここでも何か問題が発生していてもおかしくはない。
「すまん、待たせた」
思考が加速していく俺の背後で扉が開く音と思い足音、そして聞き慣れた声がした。
平静を装っているが、さっきまで厄介事に向き合っている時の声だぞ、ベンウッド。
「ご無沙汰しております、ギルドマスター」
「アンバーウッド、しばらくぶりだ。ユークとは仲良くやってるのか?」
世間話を切り出すベンウッドの顔に、あまりい余裕が見られない。
やれやれ、俺に輪をかけて隠し事ができないんだよな、ベンウッドは。
「えーっと、何だったか。そうだ、『ロクセン峡谷迷宮』の件だったか」
「それは後で報告をあげる。ベンウッド、何があったんだ?」
「ぬ、む……」
俺の言葉に、ベンウッドが目を逸らして言いよどむ。
あまりにわかりやすい。ギルドマスターとして、もうちょっと腹芸を覚えたほうがいいんじゃないだろうか。
そんなベンウッドに、シルクが切り込む。
「ずいぶんと騒がしいですね。ここも、下も、その下も」
「ああ、ちくしょう。エルフの耳の良さを忘れてたぜ」
がしがしと頭をかきながら、ベンウッドがため息を吐く。
そして、意を決したように口を開いた。
「ちっと、『無色の闇』が騒がしくてよ」
「騒がしい?」
「ああ。特別に何かあったってわけじゃねぇ。ただ、妙な気配がするんだ」
髭に手をやりながら、挙動不審に体を揺らすベンウッド。
どうにも落ち着かない様子で、言葉を慎重に選んでいる気がする。
なるほど、何かあったわけじゃないから余計に気になるわけか。
「シルクはどうだ? 何か感じるか?」
「はい、少しだけ。ギルドに来てからちょっとだけ違和感があったんですけど、気のせいかと思っていました」
「俺は何も感じないんだよな」
左頬にそっと触れて、首をかしげる。
おそらく、この中で異変に最も敏感なのは俺だと思うのだが。
「小さな振動というか、捻じれというか。静かな場所で聞こえるような、かすかな耳鳴りみたいな……本当に気のせいとしか思えない感じなんです」
「ベンウッドがそれを感じてるってのが、俺には信じられない」
「長らくここに座ってるからな。何かわかんねーけど、ケツがムズムズすんだよ」
普段、豪放磊落を地で行くようなベンウッドにしては繊細な話だ。
しかし、シルクがこう言っている以上は何かあるのかもしれない。
迷宮というのは、アンバランスで危険な代物だ。
大事になる前に対処する方が賢明だろう……と、そこまで考えてようやく得心がいった。
「もしかして、ママルさんがいないのって」
「ああ。あいつのほうが、ワシより勘がいいからな」
いつもはすぐに顔を見せてくれるママルさんが姿を現さないのは、そういうことか。
ギルドマスターであるベンウッドが下手に動き回るより、隠密に長けたママルさんの方が騒ぎになりにくいというのもあるのだろう。
なにせ、何が起こってのかすらもわかっていない状況なのだ。
「俺たちにできることは?」
「それをお前が言い出すから誤魔化そうとしてたんだ。ここのところ、ちょっとお前たちを働かせすぎだと釘を刺されているんだ」
「誰に?」
「ママルにだよ。おっかねぇのなんの。だから、ちょっと休んでてくれ。何かわかったらすぐに知らせっからよ」
特大のため息を吐き出して、肩を落とすベンウッド。
これは釘を刺されるどころか、相当絞られたに違いない。
こうなると、俺としても好き勝手首を突っ込むわけにはいかない。
隣に目配せすると、シルクも察したようで小さくうなずいて返事をしてくれた。
この話は、ここだけで止めておくのがいいだろう。
「話は変わりますが、ギルドマスター。ユークさんの左腕については何かわかりましたか?」
「ああ、研究の経過報告があがってきていたが、完治するにこぎつけるほどの結果じゃなかった。水晶病の一種だろうというのは予想だがな、本来は石化の一種なんで動かないはずなんだよ」
「日常生活にも冒険にも全く支障ないんだけどな……」
「研究者の一人が、置換現象の一種じゃないかってレポートを寄越している。これだ」
ベンウッドが報告書の束から、付箋がついた一枚を引っ張り出して俺の前に差し出す。
ごく簡潔にまとめられた一枚の報告書には、俺の肉体概念の構成要素――理力と呼ばれるものが、特殊な魔法を使った際に出力により崩壊し、その事実関係を概念が補完するために外部から取り込んだ別の理力で再現したのではないか、と推察が書かれている。
これはなかなか興味深い推測とアプローチだ。
つまり、俺の左腕は〝淘汰〟を揮う際に実は失われいて、〝淘汰〟が揮われたという事実を虚としないように……現実が、無理やりにウソをつかせたという事か。
「それでは、もう元に戻らないという事ですか……?」
シルクの顔が、小さく強張る。
もしかすると、自分の責任だと思っているのかもしれない。
まあ、左腕の変容一つでシルクを取り戻せたのだから、安い物だと思っているが。
「その研究者によると……放っておけば、勝手に馴染むんじゃないかとメモが添えられてたな」
「なら、今まで通り経過観察だな。なに、別に不自由はしてないんだ。気長に結果を待つさ」
軽く笑って、シルクの肩に自分の肩を触れさせる。
心配することなど、何もない。
「話はこのくらいかな。忙しい時に邪魔して悪かったな、ベンウッド」
「こっちこそ悪ィな。しばらくはそっちに依頼が飛ばねぇようにしとくからよ、嬢ちゃんたちとしっかり休んでくれ」
余計な含みを持たせてくれるなよ、ベンウッド。
見ろ、シルクが赤くなってる。
「報告書はできるだけ早く提出するよ。それと、本当に何か困ったことになったら、すぐに呼んでくれ。遠慮はいらない」
「おう、頼りにさせてもらうぜ」
サムズアップしてにかりと笑うベンウッド。
それにうなずいて、俺たちは席を立つ。
「それでは、失礼いたします」
「近いうちにまた顔を出す。無理するなよ、ベンウッド」
「おう。気を付けて帰れよ!」
手を振るベンウッドに軽く手を振り返して、俺たちは応接室を後にした。





