第25話 シルクとイルウェン
「空間そのものが置き換わっているような感じっすね」
「スキップが横方向にある感じか……」
「っす」
偵察の報告をネネから聞きながら、俺は広がる空間を見る。
『無色の闇』は階段を起点に、上下することで階層スキップを引き起こす迷宮だった。
しかし、この『世界樹』の内部は全く別の法則が支配しているらしい。
もし、階層スキップと同じ性質のまま横に広がっているのであれば……ここは無限の広がりがあるフィールド型迷宮と言っても過言ではない。
「いや、でも……そうか」
「一人で納得しないで共有する」
ジェミーにつつかれて、俺は頷いて口を開く。
「少し歩けば、はっきりわかるかもしれない」
「じゃ、引き返したところまで、案内するっす」
「魔物は?」
「少数あり、っすね。回避可能なルートでいくっす」
歩きだすネネの後に、全員で続く。
足音こそしないが、一歩踏み出すごとに返ってくる感触は土とは程遠い。
王城の磨かれた大理石の床を踏んでいるかのような錯覚すら覚える。
そんな歪な森の中を、進んでいくことで俺は「やはり」と一定の確信を得た。
立ち止まって、仲間たちに向き直る。
「おそらく、『森』って概念は共通しているんだ。『無色の闇』ほど、ごった返してないというか、ある程度は一定の意味を持たせて、簡略化してる……ように思う」
立ち並ぶ木のようなオブジェクトの形は、ある一定の距離で突然その形を変化させていた。
雑木林、常緑樹の森林、蔦が這う密林。
まるで無機質で、命豊かな森とは雰囲気を異にするが……やはり、ここは森なのだ。
森の情報を端的、簡易的に再現している仮初の住処。
「向こう、だな」
仮説に従って、俺はある方向を見据える。
「どうして、そっちだってわかるんすか?」
「『琥珀の森』があるからさ」
ここ数日で見慣れたヴィルムレン島に広がる『琥珀の森』。
それと酷似した森が広がるエリアを進めば、きっとたどり着ける。
シルクの元──【深淵の扉】がある場所に。
「なるほどっす……! レイン、方向をくださいっす。進行ルートを先行警戒してくるっす」
俺の意を理解したネネが、【探索者の羅針盤】の指す方向を確認して、簡略化された無機質な『琥珀の森』へと踏み入ってゆく。
それを見送った俺は、ゆっくりと息を吸い込んで気配を探った。
どうにも、おかしい。
いや、世界樹の【深淵の扉】には〝淘汰〟が封印されているわけではないので、差異はあるだろうが……いったい、なぜこの迷宮は、突然稼働した?
まるで静かで、驚くほど安定しているように思う。
独特の拒否感、捻じれ、揺らぎはあるものの……世界を冒そうという敵意のような感触がまるで感じられない。
そんな世界樹が、なぜ突然にヴィルムレン島に『透明な闇』を吐き出したのか、見当がつかないのだ。
それに、イルウェンが口にしていた『真なる森の王』という言葉、そして新世界とやらについても全く分からない。
推測するにもまるで情報が足りないのは、少し困った。
だが、イルウェンの様子から見るにロクでもないことに思える。
そもそも、【深淵の扉】の力でもって何かをするということは、世界の摂理を捻じ曲げることに違いないのだ。
シルクの持つ『琥珀の瞳』でもってそれを制御する段取りなのだろうが、本当にあんなものを制御しきれるのか?
シルクにしたって、真意がわからない。
様子は少しおかしいと思えたが、無理強いされていたり操られているたりという風には、あまり見えなかった。
……追いつくことができれば、問うこともできるか。
「お待たせしたっす。進行ルート、確保っす。それと、目標も」
俺の思考を、ネネの言葉が現実に引き戻す。
報告を聞いたマリナが、表情を明るくした。
「シルクが見つかったの?」
「っす。それと、あったっすよ、【深淵の扉】」
少し苦々しい表情のネネ。
俺とて、アレには苦い記憶があるので気持ちはわかる。
あれのために故郷は消え、叔父は死に、ニーベルンを喪った。
だからこそ、あれを安易に利用させるわけにはいかない。
何が起こるかわからない、危険な魔法道具なのだから。
「行こ、ユーク」
「ああ」
手を引くレインに頷いて、無機質な『琥珀の森』へとつま先を向けた。
◆
森を抜けた先には、広場があった。
円形の広場は、これまでの無機質で簡略化されたそれではなく……生垣のような木々とそれを彩る花々に満ちていて、雰囲気が少しだけエルラン長老邸の庭に似ている。
そんな円形庭園の中央に、〝それ〟はあった。
なめらかな曲線を描くアーチ状をした扉を持つ魔法道具。
枠には樹木と花々を模した繊細なレリーフが彫り込まれていて、価値ある工芸品にも見える。
しかし、ほんの少し開かれたその扉の隙間からは、ぞっとするような異界の風が静かに吹き込んできていた。
そんな世界の端の際、扉の正面に……二人は居た。
純白の布巻服を纏うダークエルフの少女──シルクと、イルウェンが。
扉の前に跪くようにして佇むイルウェンに、シルクが祝詞のような何かを上げている。
二人の足元では草花が咲いては枯れるサイクルを絶えず繰り返していて、まるであの周辺だけ季節が巡っているような幻想的な雰囲気を醸し出していた。
俺達が一歩踏み込むと、シルクの祝詞が止まった。
ゆっくりと振り向いて、そしてイルウェンの肩を小さく叩く。
「……僕らの閨にまで入り込むなんて、無粋が過ぎるぞ? ユーク・フェルディオ」
いけ好かないライトエルフの言葉を無視して、俺はシルクに呼びかける。
「シルク、教えてくれ。何をしようとしている? どうして、俺達を遠ざけるんだ?」」
「ユークさん……これは、わたくしの成すべきことなんです。邪魔をなさらないでください」
「君らしくないな。曖昧が過ぎる」
目を伏せたシルクが口を開こうとしたその時、無粋なエルフ男が進み出た。
「勝手なふるまいをするのはやめていただこう。シルクは僕の片葉だ。いつまでも君のものじゃあない」
「そうなのか? シルク」
イルウェンの肩越しに、シルクに問う。
表情の見えない彼女の声だけが、静謐な庭園に響く。
「そう、なります。そうでなくては……ならないんです」
その言葉に、少なからずショックを受ける。
しかし、義務感じみた言葉には葛藤があるように思えた。
「わたくしは責任を果たそうと思います。わたくしにしか、できないことなんです」
「よく言った、さすがは僕のシルクだ」
後ろ手にシルクの頬を撫でるイルウェン。
その馴れ馴れしさに、うっかりと怒りに火が付きそうになるが、俺の冷静さは何とかそれを抑え込んでくれた。
「で、何するつもり? 具体的に言いなさいよ」
俺が押されて黙ったと感じたのか、ジェミーが口を開いた。
「シルクが自分で決めたことなら、それでいい。でも、アタシたちはそれを見過ごすわけにはいかないの」
指さす先にあるのは、半開きとなっている【深淵の扉】。
世界の端にして、〝淘汰〟の橋。
それが解放状態にあるのは、いずれにせよ『マズい事態』しか引き起こさない。
「……王を、『真なる森の王』を選定します。全てのエルフが納得できる、新たな秩序を敷く王を」
「そして、僕こそがその『真なる森の王』に相応しいってことさ」
王に相応しいとはとても思えない、下衆な笑みを浮かべるイルウェン。
「この扉はね、その為に必要なんだ。この世界樹の力をまっとうに使うには、まだ不十分だけどね」
「そんな事をすれば、〝淘汰〟が始まってしまうぞ!?」
「だからこその『琥珀の瞳』、だからこその『真なる森の王』さ。僕は愚かで考えなしの君達とは違う。利用できるものは何でも利用しないとね」
王ならぬ道化のごとき仕草で、イルウェンがステップを踏む。
「さぁ、準備は万端。新たな王の誕生を始めようか、シルク」
イルウェンの言葉に頷いたシルクが、その瞳を琥珀に輝かせて静かに祝詞を再開した。





