第3話 淡い希望とアンバーレの朝
すっかり日の落ちた時間。
月明かりの下、俺とレインは宿近くに拵えられた東屋で隣り合って座っていた。
「これ、見て」
レインが魔法の鞄から小型の【タブレット】を取り出す。
以前『ラ=ジョ』周辺の配信用魔法道具が正常に機能するかテストするために『クローバー』に配られた特別製の【タブレット】で、そのまま王から下賜されたものだ。
「ちょっと不安定、だけど」
「えっ……?」
レインが側面の起動スイッチを押すと、やや乱れているものの映像が画面に映し出された。
この小型【タブレット】は、一般的に流通している【タブレット】よりも配信の魔力波を拾いやすく調整されてはいる。
しかし、こんな遠く離れた場所にまで配信が届くなんて、とても信じられない。
「ヴィルムレン島に配信設備があるなんて話、聞いてないんだけどな……」
「ん。ボクも偶然、気が付いた」
レインが言わんとすることはわかる。
仲間に黙っていて、こうして俺にだけ伝えた理由も。
この【タブレット】は、ニーベルンの『黄金の力』に対応した魔法道具でもあるのだ。
こうして、あり得ないことが起きているのなら、その理由に希望を見出しても仕方がないのかもしれない。
あの時、俺の代わりに【深淵の扉】に消えたニーベルンが、この島のどこかにいるかもしれない──そんな希望が、俺の心をざわつかせる。
「【探索者の羅針盤】は?」
「前と一緒、だけど……少しだけ回転が、ゆっくりかも」
レインがそっと取り出した魔法道具を、俺は食い入るように見つめた。
この世のあらゆるものを指し示す伝説級の魔法道具の針は、指すモノを探すようにくるりくるりと盤面を回っている。
少し前に見た時と変わらない。変わらないはずなのに、針の先がどこかを指しているような気になってしまう。
「もしかして──【深淵の扉】が近くにあるのかな?」
「そうかも、しれない。でも、わからない、から……ユークに相談、したの」
「それも含めて、明日、エルラン長老に話をしてみるよ」
「ん。わかった」
俺の返答に、レインはがっかりしなかっただろうか。
何を差し置いても行くというべきだったかもしれない。
そうしたいという気持ちはあった。
だが、不確かな希望がより深い絶望のきっかけになってしまうのが怖い。
「はぁ、意気地がないな。俺は……」
「ごめん。困らせるつもりじゃ、なかった」
「いや、いいんだ。まだ吹っ切れそうにないし、吹っ切っちゃダメな気もする」
とにかく。まずは事実を事実として、整理しなくては。
ただでさえ、異国の地でみんな慣れないというのに、リーダーの俺が浮ついていては、みんなに迷惑が掛かってしまう。
ニーベルンの事はあまりにも不確定が過ぎるので、どうすることもできないが……このヴィルムレン島が配信可能区域になっていることと、それに関連するいくつかの情報については、ここを発つ前にエルラン長老に説明しておかなくてはならない。
かの御仁に対しての個人的な感情はともかく、報告義務はあるだろう。
「……そういえば」
「ん?」
俺が明日のことについて考えをまとめようとしていると、レインが正面に回って俺の顔を覗き込んできた。
「シルクのこと、どう、説明したの?」
「公私にわたるパートナーだと、言ったかな」
「ふーん。ちょっと、妬けちゃう、かも?」
上目遣いで、俺を見上げるレイン。
本当に妬ましく思っているわけではないだろうが、思うところもあるのかもしれない。
何と言ってもエルラン長老は、シルクの育て親でもある。
「あいにくの結果だったけどね」
「ボクの時と、同じ。決めるのはシルク」
「ああ、俺もそう思う。シルクが俺に──『クローバー』についてきてくれるなら、全力でサポートするだけだ」
俺の言葉に、レインがくすくすと笑う。
月明かりに静かに照らされたその笑顔がどこか妖精のようで、思わずどきりとさせられてしまったが……俺は何か変なことでも言っただろうか?
「ユークは、変わらない、ね」
「そう、かな? いや、ずいぶんと変わったような気がするんだけどな……」
軽く頭をかきながら、体を寄せて預けてくるレインの肩を抱く。
ほら。こんな風に彼女に触れることなんて、以前はできなかったはずだ。
「ここでの調査が許されなかったとしても、フィニスの『無色の闇』にはもう一度下りてみよう。ベンウッドを強請って、許可を取りつけるよ」
「ん、わかった」
俺の言葉に、小さく返事するレイン。
後はただ黙りこくって肩を寄せ合い、異国の星空を見上げた。
小さな希望をと不安を分け合うように、二人で手を繋いで。
◆
──翌朝。
撤収準備をしっかりと終えて、いつでも出立できることを確認した俺達は、朝食がてらに王国客船を指揮するジュール・スティン船長と共にスケジュールに関して詰めていた。
到着した翌日に帰還するとは思っていなかった彼だが、そう長い停泊になるとも考えていなかったようだ。
「食料や水を本日中に積み込んで、各所のチェックを急がせます。そうすれば、明日の朝には出港できますよ」
「急かして申し訳ありません」
「なんのなんの。しかし、皆さんはよかったんですかい?」
今回の旅は、俺達の休暇のような側面もあるため、そのことを言っているのだろう。
俺達は暴走した迷宮──『反転迷宮』による〝淘汰〟を解決し、世界を救った英雄パーティなどと持ち上げられて、王国内では少しばかり億劫な環境にあったのだ。
貴族でもなんでもなければ、ごく最近まで結成したてのDランクパーティだった俺達にとって、各国要人との挨拶や会食、歓待したいという申し出は、それなりにストレスだった。
ニーベルンの犠牲の上に成り立った結果だったということもあって素直に喜ぶこともできず、見かねたビンセント王が密命がてらの暇を出してくれた……というのが、今回の旅の顛末である。
「ここも心穏やかというわけにはいきませんし、王に報告せねばならないこともできましたから」
『クローバー』のみんなにも話をしなくてはならないのだが、配信エリアの異常については王や『王立学術院』、そして『王立配信局』にも共有せねばならない。
現在、配信用魔法道具による技術はウェルメリア王国が独占している状況で、世界各国が協議の上で導入を検討している段階だ。
このヴィルムレン島の配信異常が外部でも起こっているとすれば、その足並みを乱しかねない。
……なにより、聡明なビンセント王とベディボア侯爵のことだ。
これが何を意味するかは、すぐに察してくれるはず。
うまくすれば、このヴィルムレン島を含む各国にある【深淵の扉】についての調査を正式にに打診してくれるかもしれない。
「難しい顔をしておられますな、フェルディオ卿」
「すみません、顔に出やすい性質らしくて」
「とにかく、出港準備に関しては明日の朝には必ず。今日は観光でもして待っていてください」
「ありがとうございます」
ジュール船長の心遣いに感謝して、俺は頭を下げる。
「じゃ、ユーク。あたしとデートしよ!」
船長との話が待っていたらしいマリナが、ココアの入ったカップを一気に空にして俺に向き直る。
「お待ちなさい、マリナ」
「そうっす!」
そんなマリナを両脇から押し留めて、シルクとネネがちらりとこちらを見る。
一体、俺にどうしろと言うのか……と少し困っていると、ジェミーが小さくため息を吐きながら口を開いた。
「アンタたち、ユークを困らせないの。そんなの、行きたい人で行けばいいでしょ」
「そうだね! みんなで一緒に行こ!」
そんな俺達を見て、ジュール船長が豪快に笑った。
「やはりあなた方は不思議ですな! 最難関迷宮を越えて〝淘汰〟なる世界の危機を退けたかと思えば、こうしていると年頃の若者にも見える」
船長の評にジェミーが再び小さくため息を漏らす。
「アタシとしてはもうちょっと落ち着いてほしいんですケド」
「じゃあ、ジェミーは行かないの? みんなでデート」
「行くわよ!」
少しだけ顔を赤くしたジェミーがそんな風に答えるものだから、俺と船長は思わず一緒に吹きだしてしまった。





