第59話 涙と退去の巻物
淡くきらめく『深淵の扉』。
両開きの扉は押し開かれた状態で、向こう側には万華鏡のように様々な世界が姿を変えながら映し出されている。
これこそが『無色の闇』──『塔』の最たる秘宝。
別の次元へと渡るための門。
『錬金術師』の能力を使って、『深淵の扉』を鑑定する。
どのような魔法道具であれ、確認は必要だ。
起動するにせよ、停止するにせよ。
「どう? 閉じられ、そう?」
「ああ。今調べた。閉じることはできそうだ」
残念ながら、予想通りの方法で。
「よかった。これで各地の『反転迷宮』はなくなるのですね」
「ああ、もうなくなってるはずだ。この世界の領域を圧迫していたのはさっきの竜だからな」
「あの魔物がっすか?」
あれは竜の形をとった、〝淘汰〟だ。
おそらく、どこかの次元、あるいは世界の先端。もしくは、その残滓。
何であれ、二十年前に『深淵の扉』を通じて現れたそれは、サーガおじさんやベンウッドたちの手によって一時的にここへ封じられた。
しかし、それも限界を迎えたことで世界に異変が起きたのだ。
各地で頻発を始めた“溢れ出し”。
あの日、落ち目だった『サンダーパイク』に調査の国選依頼がああも簡単に下りたのは、この事態を王国と冒険者ギルドが憂慮したからだ。
結果として、俺達は『深淵の扉』に辿り着きはしなかったが、『無色の闇』に異変が起きていることは確認できた。
そして『グラッド=シィ・イム』の出現。
これよって均衡は完全に崩れ去り……封印されていた『深淵の扉』はその活動を再開した。
「……おそらく、これが今回の顛末だと思う。叔父さんから聞いた断片的な話からの推測だけどね」
そう言いつつも、これが正解だろうという確信はある。
「じゃあ、世界はもう安心ってことだね!」
「そういうことだ。これを、ちゃんと閉じておけばね」
「それで? それどうやって閉じるわけ?」
はしゃぐマリナの横で、ジェミーがやや厳しい目つきで俺を見る。
長い付き合いだ。俺のやろうとしていることに薄々勘付いているのかもしれない。
「──向こう側に行って、閉じるんだ」
そう告げて、腰に挿してあった魔法の巻物……【退去の巻物】を手に取る。
「ユークさん?」
「? どういうことっすか?」
「これから君たちを地上に送る。『深淵の扉』は俺が閉じるよ」
【退去の巻物】の性質上、周辺にいる仲間は全員迷宮の外に退去することになる。
これは本人の意思確認を必要としない。強制だ。
しかし、使用者本人に関してはその限りではない。
これは、前回【退去の巻物】を使用した時に得た知見で、おそらく『錬金術師』にしかわからない微妙な感覚である。
思うに、この高度な性能の巻物は、本来はもっと緻密な使い方ができるもので、うまく使えば特定の誰かだけを迷宮の外へ退去させることも可能な魔法道具なのだと思う。
……数が少なすぎて、研究は進んでいないけれど。
とはいえ、俺だけがここに残れるということだけわかっていればそれでいい。
「やっぱそういうこと? 却下よ、ユーク」
「悪いな、ジェミー。決めていたことなんだ」
「え? えぇ!? ダメだよ、ユーク! せっかくここまで来たんだよ? 帰るまでが冒険だって言ってたじゃない!」
マリナが混乱したように取り乱して、痛いところをついてくる。
まったくもっていう通りだが、今回はそうもいかない。
「『深淵の扉』を閉じるには、それしかない。それでもってこの魔法道具は……向こう側からしか閉じられないみたいなんだ」
扉は向こう側に向かって開いている。
閉じるには、向こう側から押し閉じるしかない。
そして、それはそれを行う人間のこの世界からの断絶を意味していた。
「先生。全員で行けばいいのでは?」
「ダメだ」
いかなる世界に向かうのか、生きていられるのか、そもそも人間としての概念を保てるのかすらわからない。
いずれにせよ、あの竜の様子を見るにまともではいられまいと予測される。
そんな場所に向かうのは、俺一人でいい。
「ボクらを、置いて、いくの?」
「……そうなる。すまない」
言い訳はするまい。事実としてそうなる。
「じゃ、じゃあ。このまま開けておいて……対策を練ってから戻ればいいんじゃない?」
「マリナの言う通りです。きっと解決法はありますよ」
「その解決方法を二十年、サーガおじさんは探し続けて……悩んで、悩み抜いて、俺を使う決断をしたんだ。そして、俺もそれをよしとした。次に訪れる〝淘汰〟に必ず打ち勝てるとは限らないんだ──わかってくれ」
わかってくれ、というのは叔父に言われた言葉だ。
こんな事の為に助けたわけではないと苦悩しながら、それでも保険は必要だと俺に冒険者を勧めた。
そして、いよいよ世界がだめになろうというその時まで、決断できなかったのだ。
あの、何でもできる叔父が。
だから、俺も決断した。
これがエゴだなんてわかっている。
彼女たちはついて来ようとするだろう。
だからこそ、この【退去の巻物】がいる。
不意打ちで使わなかったのは、俺の心が弱いから。
彼女たちにお別れを言って、快く送り出してほしいなんて自分勝手がこの手を鈍らせたのだ。
「……ボクは、ついていく。いいよね?」
強い瞳で、レインが俺を見て裾を掴む。
それを手でゆるく押しやって俺は首を横に振った。
「レイン、ダメだ。連れて行けない。きっと死んでしまう。俺のわがままで……世界を救いたいなんて世迷言で君を失わせたくない」
「そんなこと言って、泣きそうな顔、してる。ユークを、一人にはしない。これは、ボクの生き方、だから」
震える俺の手を取って、頬を寄せるレイン。
それを見た仲間たちが、駆け寄ってくる。
「あたしだって、同じだもん。ユークと一緒なら、きっとどこにでも行ける!」
「わたくしもお供します。たとえ死ぬとして、あなた一人で行かせはしません」
「もちろん、私も行くっすよ? 居場所をくれたのはユークさんなんすから」
「あんたって、ほんとバカね。誑し込むなら責任取りなさいよ」
涙を溜めながら、そう言ってくれる彼女たちに俺は笑う。
「ありがとう、みんな。俺は幸せ者だよ」
……だからさ、連れて行けない。
世界でなにより君たちが大事だから。
「退去──〝起動〟」
【退去の巻物】から溢れる魔力が、周囲に燐光を帯びた風を巻き起こした。
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