第56話 竜と穢れ者
灰色のそれはやせ細り、翼は朽ちたように破れていて、まるで死んだようにじっと横たわっていた。
しかし、そうではないという圧迫感がこちらに押し寄せて、呼び覚まされた恐怖が膝を震えさせる。
あれは、生きている。そして、俺達を害しようとしている。
「見ろ、諸君。あれが……『深淵の扉』のなれの果てだ」
「これが……ほんとに?」
「こんな事って……!」
マリナとシルクが、目を見開いてそれを見つめる。
想像と全く違った俺達の夢の到達点に、ショックを受けたのだろう。
俺としても衝撃的であったが、現物を見ればなんとなく理解できる気がした。
「そうか、超えて、来たんだね」
俺と同じ推測に辿り着いたレインが静かに呟く。
俺達を前にして、死骸のごとき竜から発せられる気配が変わった。
これまでは拒否感を濃くしたようなものだったが、いま俺達に向けられているのは明確な嫌悪感と憎悪、そして害意である。
「二十年前、最奥に到達した僕たち先遣隊は、これに対峙した。『深淵の扉』を触媒として、この世界を侵蝕せんとした〝魔王〟がこれだ」
「……〝魔王〟?」
「そう、〝淘汰〟と言い換えてもいい。全ての世界に伸びる『塔』を経由して、僕たちの世界に来た異界。その概念集合体がアレだ」
ゆっくりと、竜が首をもたげる。
瞳のなくなった眼窩で、俺達を睥睨するように。
「とにかく、あれは敵なのね?」
「少なくとも友好的には見えないっすね!」
ジェミーが杖を構え、ネネが小太刀を引き抜く。
「戦闘準備!」
そう叫びながら【多重強化付与の巻物】を広げる。
何をしてくるかわからない以上、この便利な巻物の防備は、最低限の保険になる。
「なんか、ヘン! ネネ、ストップ!」
牽制のために前に出ようとしたネネに、マリナが待ったをかける。
俺よりも反応と指示が早い。
「ルン、わたくし達の後ろに。ユークさん、指示を」
「全員、現在地点で戦術待機。アレは、よくないな……!」
ゆっくりと体を起こした竜の表皮から、腐った肉のようなものが崩れ落ち……それが、ゆっくりと形を成して立ち上がる。
それは、影の人に似た気配を放ちながらも、似て非なるものであった。
爛々と悪質に輝く目は影の人と同じだが、その頭部はつるりと丸く、半ばまでぱっくりと裂けた口には鋭い歯が並ぶ。
灰色の全身はどこか金属質で鈍い光沢があり、不揃いな棘が生えた長い手足、そして尾を無気力にぶらつかせていた。
「叔父さん、あれは!?」
「穢れ者。渡り歩く者の間ではそう呼ばれている。世界を食いつぶす、シロアリのような連中さ。なかなか手強いぞ」
腰の長剣を抜き構える叔父。
そうやって話してる間にも、肉塊から次々と穢れ者が発生していく。
その数、五体。
これ以上増える前に対処せねば、数で押し切られる……そう判断した俺は、指示を飛ばす。
「レイン、ジェミー! 広域魔法で先制を! シルク、牽制と足止めを頼む。ネネは遊撃! マリナはタイミングを見てつっこめ!」
「僕は?」
そう隣で問われて、思わず詰まってしまう。
叔父は少し愉快そうに笑って、加速する。
「冗談さ。僕は僕の好きにさせてもらうよ」
この状況にあって、この余裕。相変わらず俺の師は豪胆だ。
しかし、叔父に何か指示を出すということを想定していなかったのはミスだ。
まさか、こんなことになるとは思っていなかったし。
いや、俺が……俺達がそう思っていなかったことに意味があった可能性がある。
叔父が事前情報を伝えなかったのは、きっと何かしら理由があってのことだろう。
『塔』の深部は曖昧で不安定。
渡り歩く者の認知で姿を変えるような場所だ。
例えば、階段を利用した階層跳躍と同じように、叔父だけが扉の先を知ることで空間を確定させたのかもしれない。
とにかく今は、考え事をしている暇はない。
叔父が俺を必要としたのは、穢れ者の相手をさせるためではない。
この確信は、あの竜を見た瞬間わかった。
あれは、俺が何とかするべきもので──俺しか対処できない類いのものだ。
「──〈氷吹雪〉!」
「──〈岩の嵐〉!」
二種類の破壊を伴う風が、竜と穢れ者を巻き込んで吹き荒れる。
片方はレインの呼び起こした吹雪。そして、もう片方はジェミーが放った渦巻く土石流だ。
双方、コントロールが難しい第五階梯魔法を見事に発動させている。
ジェミーめ、いつの間にこんな難しい魔法を……と、思いつつも、俺は弱体魔法を連続していまだ動く穢れ者達に放つ。
穢れ者に弱体魔法が付与される感触は、ひどく不快で独特だ。
まるでアンデッドに無理やり肉体操作系の弱体をかけるような感触で気持ちが悪い。
指先に粘着質な汚水に触れたような感触が返ってきて、弱体を解除したいなんて気持ちになる。
だが、叔父が手強いというほどの相手だ。
四の五の言ってはいられない。
俺は赤魔道士なのだ。花形の前衛──マリナやネネが活躍できる機会を創り出すのが、仕事だ。
「硬……ッいっす!」
振るった小太刀を表皮に弾かれて、ネネが距離をとる。
傷こそついたが致命傷とはならず、穢れ者は不快な金属音のような声を上げてネネに襲い掛かった。
……が、その場でくるりと転倒する。
「──〈転倒〉を撒いた! トドメを!」
「っす! 鎧武者と思えば、やりようもあるっす」
小太刀を逆手に持ち替えたネネが、飛び込むように穢れ者の首を狙う。
狙いたがわず食い込んだ小太刀が、穢れ者の首を跳ね飛ばすのはすぐだった。
「はあぁぁッ!!」
マリナが黒刀を振るって、二体の穢れ者を切り裂く。
『魔剣士』であり、『侍』でもあるマリナにとっては、穢れ者の硬質な表皮も関係ないらしい。
「先生、あぶないッ!」
これなら押し切れるか、などと甘い考えを抱いた瞬間、俺はシルクに突然に抱きかかえられて、俺は床に転がった。
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