1-4.考えにゃならんことが山積みだ
自動運転のタクシーぐらいの感覚で、運転手と客の関係性の気分でいた俺は、その時、俺を運んでくれていたナマケモノが、ひどく親切な老人のように感じられた。
庇護されているし、気を使われている。
『君が無事に逃げられていてよかったよ』
『ああ……』
木々を操る魔法に乗せられ、すぐに遠ざかっていく惨劇の跡地を尻目に、俺は素直に同意する。
あの時、地平線の彼方に見えていたにじみ。あれに追いつかれていたら、俺もきっとこうなっていたに違いない。
あるいは、別のコースをたどって俺と同じようにこの森にたどりついた何者かが、あの赤黒い染みを塗りたくった当事者かもしれない。
そう考えると……。
身震いがした。
『今、他の生き残りがいないか、私たちが見て回っているところだ。安心しなさい』
『奴らは?』
あえて知った風な口で尋ねてみた。
すると、ナマケモノは、こともなげに、
『もういないよ』
とだけ、穏やかに教えてくれた。
(倒した。逃げた。食った。まあ……どれにしたところで、このナマケとその仲間たちの方がそいつらよりも強い、っていうのは、変わらん線だろう)
ナマケモノには警戒心がない。
ナマケモノの生態的な意味ではもちろんない。
このナマケモノには、捕食者といきなり遭遇したらどうしようという緊張感が伺えないのだ。
それに、どのような種族関係なのだろうか。
人間がどういう立ち位置なのか、掴めない。
問題も生じた。
生き残りにいられては困る。噓がバレる。
さっきの村落に次いで、最初に隠れていた場所から近い村へ行くとしても同じだ。
逃げているうちに迷って距離感が狂ったという、言い訳が使えない。
どうも、女の声よりも細かい思考を読み取る力がナマケモノにはないようなので、俺は感情だけ表面的に整えつつ、思考を組み立てることにした。
びゅん、びゅん、がさ、みしし。ばささあっ。枝葉の魔法で動く規則的なリズムが、そのための集中を加速する。
(人間は弱い。つまり俺も弱い)
(ここには魔法がある。にも関わらず、魔力を感知出来ない。そういうことだ)
(文明レベルは低い。科学のかの字も見当たる気がせん)
(だとしたら、俺のいた世界は相当進んでたってことだ。これは武器だ)
(意思の疎通も魔法でしているとしたら、人間同士はどうやって会話している?
俺は初めての他人と出くわしちまった時にも、生き延びる心配をしなくちゃならんのか)
『色々考えているね』
『邪魔すんなよ』
沈思黙考に割り込んできたのは女の声の方だった。そろそろこいつにも名前が欲しい。
『それは君も同じじゃないか?』
『俺は俺だ。名前があろうとなかろうと、そこは変わらん。あんたもそうじゃないのか』
『そういう考え方は、僕にはちょっとないなあ』
でも、と声は続ける。
『勝手に名付けられるのも問題だからね。名前は明かすよ。名前だけ。──イロハ、だ』
『イロハね。イロハ。歌か?』
『さあ、交換だ。君も名前を差し出すといい』
『そんな約束、した覚えはないがな』
『いいのかい? このまま他の人間と出会った時、名乗る名前を持たないなんて不自然だよ』
『…………』
舌打ちしかかって、顔を歪めるだけに留める。
肉声を使わず、目の前にもいない相手と話すのは多少のコツがいる。
ごもっとも、だ。
(────……)
思い出す。
最古の記憶。遮るもののない赤茶けた大地を。
あれが世界だ。そしてそこにいるのが、俺だ。
そう感じた。
そういうものが、俺なのだ。
そこに名をつけるとすれば────。
『君が村の仲間と、また会えるといいんだが』
はっ、とした時には、枝が地面へと降ろされるところだった。
しまった、深く集中しすぎた。
『それじゃあ僕はそろそろこの辺で』
よりにもよって、このタイミングでイロハが告げてくる。
寸秒も惜しい思考のための余力が、聞くだけで削られた。
前方には誰かが立っている。