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種無しブドウの秘密


 水無月(みなつき)――。


 梅雨入りした空はどんよりとしています。


 せっかく衣替えをしたというのに、雨が降ったり曇天だったり。天気がいまいちの日が続いています。

 夏服は軽やかな白いブラウスで、袖には青いライン入り。チェク柄のちいさなリボンタイも可愛いのに、温く湿った空気がまとわりつくような感じです。


水無月(みなつき)ってさ、乾燥しているみたいに書いてるのに。これ何かの間違いだよね」

「水無月は『水の月』が変じたものなんだって」

 部活へ向かう途中、私が胸元をパフパフさせながら呟くと、晶ちゃんがすぐに反応してくれました。

「水の月?」

「田んぼで使う水が沢山あるよ、っていう意味らしいよ」

 ぴこ、とトレードマークのバードテールが動きました。

 フルーツ同好会とオカルト研究会と掛け持ちの晶さんですが、今日は私と一緒です。

「おぉ……そうなんだ。晶ちゃん物知りだね」

「マンガでキャラの名前で使われていたので、調べました」

「なるほど」

「水無月さんがかっこいいので」

「どこの水無月さん……?」

「それはですね」

 疑問に思うまもなく、晶ちゃんがすごい勢いで説明してくれました。相手の体内の水分を操る技を使うキャラだったようです。


 部活で出会ってからはや一ヶ月。晶ちゃんのバードテールの尻尾(・・)が、少し伸びて時の流れを感じます。


「……そういえば、夏香さんは?」

「今日はエアギター同好会に参加するって」

 夏香ちゃんはジャージに着替えて今頃エアギターの練習中でしょう。


「今日の部活、何かありますかね」

「行ってみよう、行けばわかるさ」

「ですね」

 忙しい人工受粉の季節は終わり、そのあとは皆で果樹園の草刈りもがんばりました。梅雨を迎えたフルーツ研究会はすこしだけ閑散期(かんさんき)。部活と言えばカマを片手に草刈りで、雑草と虫との戦いです。


 私と晶ちゃんとは新校舎と旧校舎の間を結ぶ渡り廊下に差し掛かりました。


 ここから見える中庭の果樹園は、すっかり緑の葉に覆われています。裏山から吹く風が通り抜けて気持ちいい。

 渡り廊下の軒下には屋根が寄りかかるように増設されています。半透明のポリカーボネイト製の後付けの屋根は、単なる雨よけかと思っていました。けれど今は柱に絡まった蔓から、猛烈な勢いで黄緑色の蔓が伸び、緑の葉も勢いよく茂っています。半透明の屋根の下を覆い尽くすほどに成長し、まるで緑のカーテンのようになっています。


 蔓が広げている葉っぱは、カナダの国旗に描かれた(カエデ)に似ています。でも蔓が絡まっているので該当する植物といえば、ブドウというわけです。


 やがて中庭へ出て部室へと向かうと、ちょうどプレハブの部室から稲穂先輩が出てきたところでした。相変わらずの美人さんで今日は黒髪を一つに結っています。


「稲穂せんぱい」

「こんにちは」


「あ、ハルカさんにアキラさん。こんにちは、よく来てくれたわね」

 稲穂先輩は手にコップを持っていました。プラスチックの使い捨てのコップです。

「ちょうど良かった……手伝ってくれる? 二人の分も準備するから」

 私達に差し出したコップの中身は、半透明のジュースみたいなものでした。見た目はイチゴシロップを溶かしたような色合いです。


「これでお手伝いですか?」

「ジュース……?」

「あっ、飲んじゃダメよ。これはジベレリンだから。植物の薬だからね」


 思わず私が飲みたそうな顔をしたので、慌てて稲穂先輩は手を引っ込めました。


「ジベレリン?」

「なんか格好いいキャラみたいな……」

 ジベレリン。何処かで聞いたような……。でも晶さんの知るキャラの中にはいないみたいですが。


「簡単に言えば植物を成長させるホルモン剤なの。今からブドウの花を処理するところだったのよ」


「ホルモンでブドウを処理……あ」

 思い出しました。先日、雪姉ぇが庭のブドウに何かを吹きかけていました。それのことかもしれません。


「ジベレリンは成長を促す働きがあるけれど、ブドウの花が咲いた時にこれで花穂を処理すると、『種無しブドウ』になるのよ」


「……えっ!? 種無しのブドウって、最初からそういう品種なのかと思ってました」

 晶さんが驚いたようにコップを眺めます。


「売らているブドウは大抵ジベレリンで処理して種無しにしているの。種無しブドウの代表的な品種といえばデラウエアね」


「デラウエア、食べやすくて大好き」

「元々は種ありだったんですね……」


 デラウエアは紫色のつぶつぶしたブドウですね。店先では一番多く売られています。


 ブドウといえば他にも巨峰やキャンベルが有名です。グリーンの鮮やかなナイアガラや超高級なシャインマスカットなんてのもお店で見かけます。


 これらは季節になると町外れの「道の駅」で採れたてが売られています。田舎なので山沿いの傾斜地でブドウの栽培棚も見かけます。


「種があるとさ、飲み込んでいいか吐き出すべきか悩むよね」

「私は噛まずに飲み込む派」

「飲み込むと芽がでてくるよ!?」

「大丈夫、封じてる感じがいい」

「何と戦ってるの……」

 晶ちゃんはお腹に手を当てながら言いました。種を飲み込むとおヘソから芽が出てくるって教わったので怖いんですけど。


「いっそ全部の品種を種無しにしちゃえばいいのにね」

「同意。そう思う」


「品種によって『種無し』に出来ない場合もあるみたい。それと手間やコストがかかるってのも理由ね。いまからやってみれば分かると思うけれど」


「へぇ……!」

「勉強になります」

 そこまでは知りませんでした。流石はフルーツ同好会。食べるために育てる、そのためにはいろいろな知識も必要なのですね。


「作業の方法は今から説明するね、ハルカさんと晶さんは脚立をもってきてくれる?」

「はい!」


 私と晶ちゃんで小さな脚立を3つ運びます。高さ90センチぐらいのミニ脚立です。

 向かう先は新校舎と旧校舎を結ぶ渡り廊下のところです。


 さっき見た渡り廊下の横にある、半透なやねのところです。ブドウの葉っぱがまるで日よけのカーテンのように覆っています。

 蔓が自由奔放に伸びています。稲穂先輩が近づいて、葉をかき分けて指差しました


「ここを見て、ほら……」


「わ、これがブドウの花」

「咲いてますね!」


 さっきは気が付かなかったけれど、よく見ると葉の付け根から十センチぐらいの花穂が垂れ下がっていました。


 花穂といっても、ブドウの実の付いていない柄の部分に、緑色の2ミリほどの花が無数についているだけです。とっても地味でよく見ないと花だとわかりません。けれど仔細に観察すると1ミリぐらいの雌しべと雄しべがぱやぱやと雲のように咲いています。


「実はほんのり香りもするの」

「あ、ほんとだ……!」

「なんとなくブドウのような……?」


 晶ちゃんの言う通り、確かにこれもブドウっぽい甘い香りがします。先日のレモンの花とはまた違う甘ったるい香りです。


「ね? それっぽい香りがするでしょ?」

「はい……」

 稲穂先輩が近くで微笑みます。むしろ、ほんわかと良い香りが先輩からしてきます。


「そして作業は、ジベレリンのコップにこう……花穂を入れるんです」


 コップを斜めに傾けて花が液体に浸るようにします。


「赤い色は食紅で、どの花を処理したかわかるようにっていう、目印なの」

「なるほど」

「わかりました」


 私と晶ちゃんも先輩から赤い液体入りのコップを受け取って、それぞれ花穂を見つけては浸していきます。

 

 高い場所にある花には、脚立で腕を伸ばして浸していきます。


「うぅ、腕が……」

「これもけっこうきつい」


 先日の人工受粉もそうでしたけれど、腕を上げる動作が辛い。確かにこれを農園全体にやっていたらとんでもなく大変です。

 渡り廊下の15メートルのうち半分程度のエリアだけですがそれでも辛い。


 ぐぬぬ……という顔で頑張っていると、渡り廊下を他の部活の生徒達が渡っていきます。

 口々に「がんばれー」「フルーツ部がんばー」と笑いながら声をかけてくれました。


 やがてジベレリン処理はなんとか終わりました。

 

 あとは夏が過ぎて秋が来る頃に美味しい種無しのブドウが出来るそうです。


「そういえば稲穂先輩」

「ん? なぁに」


「この葡萄はなんていう品種なんですか?」


 巨峰とか美味しいやつだと嬉しいなぁ。

 すると稲穂先輩はうーんと、困ったように首をかしげて苦笑しました。


「実は、昔から植えられているけれど品種はよくわからないの。ブドウってだけしか。でも紫色で巨峰かキャンベルの中間みたいな……」


「名無しのブドウさんなんですね」

「名無しで種無し……」

「でも、ブドウという事実は変わらないわけで」

「名を失くし種を奪われても、存在こそが葡萄」

「深い……」


 思わず哲学を感じるブドウなのでした。


<つづく>


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