保健室の果樹たちへ
「こっちよ」
麗先輩についていく私たち。
一年生三人組は、綺麗なお姉さんに誘われるまま旧校舎の渡り廊下を通り、新校舎の方へと向かいました。
一階の突き当りの廊下を曲がり、北側の廊下へ進みます。
グラウンドが近くなったせいか、サッカー部員や野球部員の声が聞こえます。旧校舎にいるときの雰囲気とはまた違う、にぎやかで陽気な音です。
「あれ? ここって」
「保健室だね」
そこは保健室でした。私は幸いまだお世話になったことはありませんが。
「保健室、大好き」
「晶さんってここの常連?」
「眼帯とか包帯が好きなので」
「そっちかい」
夏香ちゃんがツッコミを入れます。
麗先輩が、コンコンコンとノックします。
「失礼します。いま宜しいでしょうか?」
「いいぞー」
中から静かな声が返ってきました。
カラカラと扉を開けて一礼。私たちも麗先輩の後について、ゾロゾロと保健室の中へと入ります。
途端に消毒液の独特な臭いがしました。それに何か甘い香りも混じっています。
白いシーツのベットは二つとも空いていて、誰も使っていないようでホッとします。窓際に机があり、保健の先生が座っていました。
やや垂れた目尻に太めの眉、髪はやや茶色がかったセミロングのソバージュヘアー。服装はジーンズにスニーカー、それとロゴ入りの黒いTシャツ姿。肩にラフな感じで白衣を羽織っています。
見るからに余裕のある大人、という雰囲気の女性です。
名前は確か、南野先生です。
生徒からとても人気がある先生ですが、軽微な怪我や体調不良で保健室に来ると、「帰れ!」と叩き帰されるという噂です。
「こんにちは」
「おじゃまします」
「……どうもです」
「あら? 君たちが麗んとこの新しい部員さんね、えーと」
私たちは先生に自己紹介をしました。組名と名前を名乗ります。
「よろしくね! 私はみての通り保健室を預かる身だけど、『フルーツ同好会』の顧問でもあるんだよ」
「えっ!?」
「そうなんですか!?」
「知りませんでした……」
「ごめんね言わなくて。驚かせようと思って」
「いえいえ!? 嬉しいです」
「サプライズだよね、知らなかったー」
「これで保健室に来やすくなる……」
麗先輩流のサプライズだったのですね。体育の先生が顧問でなくてホッと一安心。ごっくて野太いだみ声の先生だったら、農園で強制労働させられているみたいですし。
「気楽に遊びに来てね。同好会の顧問は何かあったときの責任者。イベントのときの監督者みたいな立場だし。いくつもの同好会の顧問を掛け持ちしているからね」
と、南野先生は鉛筆を指先でくるくる回しながら言いました。
「さて、ここに来た本題ですが……」
麗先輩が私たちに向き直りました。そうでした。確かここに来た理由は「果樹を見せてくれる」ということでした。
それも果実と同じような香りのする花を咲かせる種類を。
「あ、水はあげといたよ」
「ありがとうございます、先生」
南野先生がペンの尻で指し示した方向はレースのカーテン越し、ベットの横の棚の上でした。よく見ると観葉植物のような植木鉢が3つ程置いてあります。
「あ、観葉植物?」
「でも白い花が咲いてるね」
「なんですか、これ……?」
三人で近づいてみると、直径20センチほどのプラスチック製の鉢に、小さな木が植えられていました。観葉植物と呼ぶにはあまりにも「樹木」な見た目です。
緑色の濃い葉は典型的な「柑橘類」の形で、表面には光沢があります。
花は木の枝の先端にいくつか咲いていて、梅の花を細く引き伸ばしたような五枚の花弁で構成されています。真っ白な花びらは細長くて、蝋細工のよう。中心から艷やかな黄色い雌しべが、ぴょんと突き出ています。
「あ、これ……」
「すごいいい香り……!」
何よりも驚いたのはその香りです。甘くトロピカルな香り。どこか酸味のある独特の爽やかな匂いなのです。
すぅすぅといつまでも嗅ぎ続けたくなるような。そんな香り。
「これはね、レモンの木だよ」
南野先生が教えてくれました。
「レモン!」
「云われてみればレモンっぽい!」
「……柑橘、香りがそっくり」
この部屋の中に漂う甘い香り、それはレモンの花からの芳香でした。
どこか甘酸っぱい、爽やかな香りです。
「レース越しの光がちょうどいいし、花はいい香り。実が育つのは見ていて幸せな気持ちになる。いい事ずくめだよ」
「レモンって暑い国の太陽の下で育つのだとばかり」
「そうだね、国内だと瀬戸内海のほうで育てているって聞いたことあるけど」
「さすが夏香ちゃん、詳しいね」
「えへへ」
ここ、北東北では冬が寒くて柑橘系の果樹はほとんど育ちません。マイナス10度を下まわる冬があるので、絶対に地植えは出来ないのです。
「今年の一年はなんだか筋が良いわねぇ」
「はい。逸材ばかりです」
と、麗先輩。逸材だなんて嬉しいです。
「みんながよく知っているレモンは、アメリカのカルフォルニアや、ブラジル、アルゼンチンなどで主に育てられているの。地中海みたいに乾燥した暑い気候が合うんです。でも、このリスボンのように、半日陰で育てる品種もあるの」
麗先輩が説明を付け加えてくれました。
「リスボン」
「なんだか可愛い名前ですね」
白いレモンの花が散ると、小さな実が成るそうです。そしてゆっくりと成長し秋には収穫できるのだとか。レモンが採れるなんてすごく楽しみです。
「……先生、一番向こう側の鉢、葉っぱが虫に食べられてません?」
晶さんは一番奥の鉢が気になるようです。
3つある鉢の一番向こうにある鉢を見ると、確かに葉っぱが欠けているものがあります。きっと虫がいるのでしょう。
「あ、あの鉢は『生物部』への提供品で……」
「生物部?」
「何故?」
「いや……わたしは見ない、何も見えないからっ!」
私が鉢に近づくと、麗先輩がさっと後ろへ逃げました。
「え?」
近づいて葉っぱをよく観察すると、いました。
縞々の模様も鮮やかな、青虫が二匹。美味しそうに葉を食べていました。
「ぎゃぁああ……!? ヤバイのがいますけど!?」
私も指を指しながら思わず悲鳴をあげました。
保健室なので倒れてもいいですけど、虫は見慣れています。
元々都会っ子だった私も虫は大の苦手。でも雪姉ぇの家で暮らしてはや3年。かなり鍛えられたのも事実です。
乙女のように逃げ出したりはしませんが、苦手なものは苦手です。
とりあえず私も麗先輩の方に離脱しました。
「それはアゲハの幼虫だね……。元気に育っちゃってまぁ」
さすがは夏香ちゃん。青虫ごときでは動じません。その男気に惚れてしまいそうです。
「臭いアンテナ出るよ」
晶さんがなんと幼虫を指でつついています。青虫は頭から黄色いアンテナみたいな角を出しました。近づくと臭いヤツです。
「晶さんもやめてぇええ!?」
「あとで生物部が取りに来るわ。鉢ごともって帰って観察するんだって」
「脱皮して蛹になって、羽化するまで。美味しいシーンが撮影出来るんだって喜んでたわねぇ……」
麗先輩と南野先生が苦笑しています。
「美味しいとかいわないで、先生」
生物部の「美味しい」は意味が違うんです。
同じレモンの木でも、私たちフルーツ同好会は果実を美味しくいただきたいんです。
<つづく>