いいエンディングでした?
◇
人工受粉はまるで春の嵐のような忙しさでした。
一週間ほどの間、私たちフルーツ同好会の面々は、蜜を求める蝶か蜂のように、花から花へ、木々の間を飛び回りました。
「やばい、肩の筋肉が張ってきたわ」
「ハルちゃんがマッチョに!」
「いやぁぁ!?」
人工受粉は腕を持ち上げる作業なので、すこし肩が痛くなります。上腕二頭筋が発達するのは困るけど、みんなとおしゃべりをしながら楽しい時間が過ぎて行きます。
時々、カメラ同好会の人が来て写真を撮らせてと言ってきたり、美術部やイラスト同好会の人たちがスケッチブック片手に絵の素材にさせてほしいと頼んできたりもします。
「はるかさん、夏香さん、晶さん、お願いがあるの!」
「な、なんですか」
「三人で一斉に飛び跳ねてほしいの」
カメラ同好会の先輩、瑠美さんが真剣な様子で頼んできました。お下げ髪のカメラ女子です。
「跳ねる……?」
「ジャンプをするんですか?」
「……パンチラ?」
一体、私たちは何を求められているの?
「パンチラは撮れたら最高だけど……ってそうじゃなくて! 春の風景を背景に、可愛い女の子三人で一斉にジャンプしてほしいの。いい写真が撮れるわよきっと。ほら、最近あるじゃない? アニメのオープニングとかで……こう、ジャンプするシーン」
瑠美先輩はぴょんと跳ねてみせました。
「あー、あるある」
「……いわゆる『きららジャンプ』というやつですね」
晶さんはピンときたのか、くふふっと小さく笑いました。
「部長の麗さんには許可を取っているわ」
瑠美先輩はカメラを構えると、部長の麗先輩に視線を向けました。
「えいっ」
すこし離れたところにある洋梨の木のところに麗先輩がいました。高枝切りバサミで、ぴょんと突き出た枯れ枝をバチッと切っています。
三年生の麗先輩は、一見するとおっとりとした優しいお姉さんなのですが、皆に尊敬されつつも畏れ崇められています。
同じ三年生同士、カメラ部の瑠美さんとはトップ会談で話がついているのでしょう。こちらを見て親指を立てました。
「ほらね」
「なるほど」
今日はフルーツ同好会の二年生の先輩方は来ていません。稲穂先輩も、麦先輩も、修学旅行の説明会があるみたいです。
「ハルちゃん、晶ちゃん。面白そうだからやってみよう!」
夏香ちゃんはノリノリです。
「えぇ……? どうしよう。私、運動オンチだから、タイミングがズレちゃうかも」
「……あたしもワンテンポずれる呪いにかかっている」
晶さんも運動には自信なさげです。
「もう、二人ともむずかしく考えすぎ!」
明るく笑う夏香ちゃん。
「そんなこといったってー」
「……魂が重力に縛られて飛べない」
「重力井戸の底ってやつね」
「……ハルカさんも詳しい」
「まぁね!」
隠れオタな私は妙に晶さんとも気が合うみたい。きっと私と同じく、目だないように暮らしてきたのね。
すると夏香ちゃんが私たちの真ん中に入り、手を握りました。
「せーの! で気軽に跳べばいいんだよ」
「おぉ……!?」
「う、うん!」
「よーし、撮らせてもらうね!」
瑠美先輩がローアングルでカメラを構えた。そして、いっせいの、せい! で同時にジャンプ。
ふわりと地面から両足が離れ、空中へと舞う感覚――。
シャパパパと連写の音が聞こえました。
空が、青い……!
空気は甘く、花の香りがしました。
それは、ほんの瞬きほどの時間だったのでしょう。
けれど私は、本当に空に浮かんでいるかのような感覚に包まれました。
そして、着地。再び体重と重力を感じます。
「わぁ、いいね! いいねー! 一発オッケーだよ、いやぁ、想像以上にいい写真がとれたよ」
瑠美先輩はカメラの後ろにあるモニターで、撮影したばかりの写真を見せてくれました。
「あっ、なんかすごく良い感じ!」
「わぁ……!」
「……素敵」
三人が青空を背景に見事に跳ねていました。スカートの裾が踊っています。髪も躍動感があって、素敵に写っています。
青空と見事なコントラストを描く白いリンゴの花が、背景に写っています。シャッタースピードが速いため、舞い散る花びらまでも静止したように、奥行きを感じさせる空間の中に浮かんでいました。
被写体の良し悪しを超えた、カメラの腕前のお陰ですね。
「三人にはあとで印刷してあげるからね」
「ありがとうございます先輩! いい記念になりそう。よかったね、ハルちゃん、晶ちゃん!」
夏香ちゃんも満足げです。
「……いいエンディングでした」
晶さんが遠くを見ながら、やりとげたという表情で汗をぬぐいます。
「今のはオープニングだよね!? むしろ私たち始まってすらいないから!」
私のツッコミにみんなが笑いました。
こんなふうに、訪れる人たちと会話をすると、どんどん仲良くなって友達の輪が広がります。
カメラ同好会の人たちや、イラスト同好会にも友達ができました。
さて、なんやかんやで大変だった人工受粉もひと段落。
校舎の中庭は果樹園さながらに、リンゴと洋梨、柿が植えられています。それらは人工受粉が必要でした。見た目は立派な樹木なのに実に手間隙のかかる子達です。
けれど、そん手間が必要のない果樹もあります。
渡り廊下の屋根に沿ってブドウとキウイの棚、それは人工受粉の必要はなく「ほったらかし」で良いのだとか。
とはいえ放置プレイで良いわけもなく、色々な世話は必要です。特にキウイは先輩いわく、「触手モンスターとの戦い」らしいですけれど……。それはもうすこし先の事でしょう。
あとは 生け垣のように大型の果樹を囲むように植えられているものがあります。それは腰ほどの高さの灌木――背の低い木々の果樹。
先輩の説明によると、ブルーベリーに、スグリ、それとマルベリーというあまり聞いたことのない種類もあるようです。
それぞれの根本には、小さな手書きの立て札が刺さっていて、種類の名前が書かれています。
「みて、花が咲いてるよ」
「ブルーベリーの花って可愛いよね!」
ブルーベリーの花は、生け垣のドウダンツツジにそっくりです。白い鈴のような花の形は、スズランにも似ていると思います。
「……すんすん」
晶さんがしゃがんで、ブルーベリーの花の香りを嗅いでいます。
私も真似してすんすんと嗅いでみます。
「ブルーベリーの香りはしないんだよね……残念」
「……ガムとかお菓子っぽい香りを期待していたのに」
確かにお菓子のブルーベリーの香りは強烈です。
でも実際は、ブルーベリーはあんなに鮮烈な香りは無いのです。あれは造られた香りなのだと知ったのは、この静かさな里で暮らし始めてからのこと。
私が居候させてもらっている家の庭には、果樹がいくつかあります。従姉妹の雪姉ぇの家ですが、亡くなったおばあちゃんが植えていたものでした。
そこにもブルーベリーがありましたが、果実を食べて最初に思ったのは「香りが薄い……」ということでした。
「その点、リンゴの花はリンゴっぽい香りがするよね」
「だよねー。でも大抵は花の香りイコール、果実の香りってわけじゃないよね」
色々と植物に詳しい農家の子、夏香ちゃんの言うとおりだと思います。
「あるわよ、いい香りの果樹。果実と同じような香りがするの」
と、麗先輩がやってきました。ややウェーブした柔らかそうな髪が、大玉メロンのような胸の上でさらさらと流れます。
「リンゴ以外にあるんですか?」
「なんだろー? 思い浮かばないよー」
「ちょうど外の仕事も一段落ついたし、ひとやすみしましょ。そして教えてあげる。いらっしゃい」
にっこりと優しく微笑む麗先輩が私たちを誘います。先輩から良い匂いがします。
「はぁい……」
「せんぱぁい……」
「……これが色香」
私たちはフラフラと先輩のあとについていきました。綺麗な髪を眺めながら、まるで甘い花の香りに誘われるチョウのように。
もし先輩が可憐な見た目で昆虫を惑わし誘い込む食虫植物なら、それでも構わない。そう思えるほどでした。
<つづく>