【終末ワイン】 アラフィフサラリーマンドロップアウト (36,000字)
寿命。人の命の長さ。それを人は知る事が無い。知る事が出来ない。知らないからこそ、明日を未来を信じ、生きていく。自分が明日、死ぬという事がわかっていたら? 死ぬ事が決まっていたとしたら、人はどういう行動を取るだろうか。
11月30日 厚生労働省終末管理局
月末の今日、1カ月毎に実行される『終末通知』の葉書を作成するプログラムが起動した。今月は、9001通の通知葉書が作成された。作成された終末通知葉書は、管理局職員により機械的に郵送の手続きが粛々と行われた。
◇
時刻は午後4時半。空を見上げると雲一つ無い空は赤みがかり、直ぐにでも暗くなりそうな状況だった。
47歳の田嶋信勝の隣りの椅子には高齢の母親が座っていた。俯き嗚咽を漏らしながら泣いていた。信勝の対面の椅子に座る兄の田嶋克行は信勝のいる方向とは別方向の遠くを黙って見ていたが、時折、鼻をすする音を漏らしていた。
信勝は目を瞑り天を仰ぐと鼻で深呼吸を1つした。そして目を開いて視線を落とし、目の前におかれたグラスをジッと見つめつつ「よしっ!」と心の中で叫んだ。
「最後までご迷惑をおかけします。今まで有難う御座いました」
最後にそう言い残すとおもむろにグラスに手を伸ばしグッと掴んだ。そしてそのままそっとグラスに口をつけると煽る様にしてワインを喉へと流し込んだ。刹那、信勝は目の前が急激に暗くなっていったのが分かった。
◇
45歳の田嶋信勝は未だ独身であった。過去には結婚に繋がる可能性が何回かあったがそれら全てが進展せずに独身のまま45年という時を過ごした。業務系プログラムマーを仕事とするサラリーマンとして日々働き、仕事場所が実家から通える範囲であったが為に家を出るタイミングを逸した結果、現在に於いても実家に留まり、既に年金生活となっている母の田嶋光子と共に2人暮らしをしていた。
実家には車が2台程停められる車庫があった。信勝はそのメリットを生かして車とバイクの2台を所有すると共に趣味としていた。バイクや車の改造を楽しむというのでは無く、ただただ運転する事を楽しみとし週末には日帰りで行ける場所へと1人で出かけていた。車やバイクという機械はガソリン代は勿論のこと、税金や保険等の維持費用も掛かる事からもそれなりの支出を伴ってはいたが、生活費という名目で少ないながらも母親に月数万円を渡しつつも給料の多くをその趣味に費やしていた。
以前は共にバイクに乗っていた友人等とのツーリングを楽しんではいたが、その友人達も結婚やら何やらという理由でバイクを手放していき、やがてはバイクに乗っているのは信勝1人となり、必然1人で何処かへ行くという事が多くなって行くと共に、友人達とは疎遠にもなっていった。
20代の頃は目的も理由も無いままにただ乗れば楽しいという感じで走り回っていたが、年齢を重ねるうちに何か理由が無いと乗らないようになっていった。車は買い物等での足として利用していたが、バイクに乗る事は億劫になっていった。とはいえ乗らなくても維持費用は掛かり続け、手放す切っ掛けも無いままに持ち続け、乗らないと意味がないという理由で乗り続けていた。しかし乗る直前までは億劫な気持ちであっても、走りはじめればやっぱり楽しいなという気持になっていた。
信勝は人と話す事、初対面の人が苦手とまでは言わないが社交的とも言えず、仕事をする上で「必要だな」と信勝自身も分かっている「向上心」といったものは持ち合わせていなかった。仕事がつまらなかった訳では無いが上に行くという向上心がなかった。将来の夢や目標は特に無いままに働き、億劫になりつつも唯一の趣味と言える車やバイクに乗って週末を過ごしつつ、漫然と生活していた。
信勝は孫請けといった契約で以って元請けの仕事現場へと毎日の様に通っていた。その現場は不夜城と呼ばれており2徹3徹当たり前といった中々の炎上状態にあり、元請けが下請けに依頼して人を集めては激務やスキルの問題等で次々と人が入れ替わるといった状態にあった。そんな中で信勝が籍を置く会社に声が掛かって信勝はそこにいた。
その現場に来る前からその現場はヤバそうだという話は聞いていた。そこは元請けの初期メンバーが多く残り、誰よりも早く出社し誰よりも遅く帰るといった超人的な勤務をこなす人達の集まりであった。その現場に最初からいる人達も早々にその現場から去りたいという気持ちでいたが、それは仕様を作って来た人達でもあり詳しく仕様を知る人達という事もあり、炎上状態といっても去る訳にもいかずに激務をこなしていた。
そんな環境だからと言って信勝は即座に帰る訳にも行かずに何とか頑張ってはいたものの、それも3か月を超えると精神的に音を上げ、会社の上司に「この現場から外して欲しい」と頼んだ。だが快い返事はなく信勝の会社の客に当たる下請けの担当者にもそれとなく頼んではみたが、「元請けとの取引の関係もあり直ぐに外せない」と言っていい返事は受け取れず、信勝は否応なしに仕事を続けた。中には出社拒否して音信不通となって現場を消え去る者も見られたが、流石にその方法は取れないと励み続けた。
信勝はその現場の仕事が決まるまでに別の仕事の面談を数回受けていた。しかし面談相手としては45歳という年齢ならプログラマーではなくリーダーとして来て欲しいというのが殆どで、信勝の希望するプログラマーは安い事が重視されると共に若い人を求める傾向にあり、それ以外では懇意の開発会社や比較的安い単価のフリーランスが独占し、信勝が希望する仕事を受注するには厳しい状況が続いた。そういった中で貰えた仕事が炎上している今の現場であった。
自身の会社にも逐一状況は伝えてはいたが、その現場から離れるには直ぐに次の仕事がなくてはならい。だがそれが見つからない上での今の現場でもあり、社員である信勝を会社も遊ばせている訳にも行かず、その現場から容易に撤退させる事が出来ないという事情もあった。
信勝のような50歳近い年齢のプログラマーでは余程高度なスキルがあるか余程安い単価でなくては求人も無く、会社とすれば社員として雇っている信勝を賄うにはそれなりの単価の仕事でなくては厳しく、数多くいるプログラマーよりもリーダーを求める顧客の方が多いという現状もあった。技術者不足と稀に言われる事がありはするものの、それは世に出たばかりの新技術に対する技術者不足か安い技術者が不足しているというのが大半であり、今や学校でも自宅でも学べる言語のプログラマーというのはさして重宝される職業でも無かった。
組織に属していれば必然的に下の者が入って来ると同時に先にいた者が上へと行って下の者を管理する立場になっていかなければならないという事を理解はしていた。リーダーとして会社を引っ張るような存在になって欲しいという会社の意向を理解してはいた。会社を成長させるにはリーダーを増やし下の者を増やし仕事を増やしていく物だと理解はしていた。組織とはそういう物である事を理解はしていた。
だがそういった積極的なやる気も無く向上心も無く一介のプログラマとして仕事していたかった。そもそも作るという事が好きだった、面白かった。元々プログラムという物に興味があって初心者として入社した会社であったが、求める物が異なると共に居心地の悪さも感じていた。そういった状況になるに従い転職したいと思う事は何回かあったが、同時に次の仕事先をと考える事が億劫なままに今に至っていた。とりあえず働いているからいいだろうと流し、将来を描く事は無いままに今に至っていた。
その現場で働く人たちのスキルの高さに自分の未熟さを感じたのかも知れない。やってもやっても終わらない仕事に悲観したのかも知れない。自分の要領の悪さに悲観したのかも知れない。そういう自分の状況に実情に悲観し、元々描いても居ない将来が闇に包まれたのかも知れない。
信勝は暫く続いた激務により心身ともに疲れ果て全てを投げ出したくなった。とはいえ本当に投げ出す訳にもいかず、次の仕事は一切考えずに自主退職を選んだ。転職、脱サラというアクティブな話ではなく、サラリーマンからドロップアウトする事を選択した。
会社からは慰留されたが聞く耳を持たずに対話もやんわりと全て拒否し、多くは無い退職金を手にあっさりと20年近く勤めた会社を去った。
退職後の信勝がまず最初にした事は惰眠を貪る事だった。昼過ぎに起きては午前3時過ぎに寝るという怠惰な日常を満喫した。時には目を覚ましたら夕方5時だったという事もあり、惰眠を貪る事に幸せを感じていた。
起きたからと言って何をする訳でも無く、とはいえずっと家に引き籠っていた訳でも無い。家にいる時には何の気無しにネットの動画を見る。何を見るでもなくただただ見続ける。外に出たくないという訳では無く車やバイクで外出もする。今まではほぼカレンダー通りの生活をしていた中で、平日の昼日中にバイクや車に乗るという行為に背徳感を感じつつも、働く人達を横目に走るというその行為に笑みが浮かんだ。今までは会社を休む事はあってもそれはほぼ病を患った時であった。故に、そんな行為にある種感動すら覚えていた。
何処かに行くという目的がある訳でも無く、とりあえず高速道路に乗り夕方を目途に自宅へと引き返す。通った事の無い道を選びながらただただ車に乗りバイクに乗りただただ流れる景色を目にするという、ただただそれだけの事。サラリーマンとして働いていた時にはよもや自分がこのような生活をするなどとは夢にも思わず、そしてそんな生活は2年近くにも及んだ。
退職金を食い潰しながら送っていた怠惰な生活は永遠に続く訳もなく、銀行の残高も心もとなくなってきていた。収入は無いにも関わらず車もバイクも持ち続け乗り続けていた。他の事にお金をあまり使わないというのもあったが実家住まいという大きな要因があった事からこそ、そんな生活が2年近く続ける事が出来ていた訳ではあったが、いよいよそのお金も尽きるのが視野に入り、そう遠くない日に破綻する事は目に見えていた。そうなれば完全なるニートと呼ばれる存在である。
無収入が故に住民税や国民年金は免除されていたが国民健康保険は払わなければならず、親にも毎月数万円を渡す事も忘れてない。乗ればそれなりに費用が掛かる事で必要な時以外は乗らなくなっていったバイクや車の売却を検討するようにもなっていた。
何もする必要のない今を退屈などとは思ってはいないが、何をしなければいけないとも思っていなかった。そもそも仕事をしている最中には漠然とした根拠の無い『仕事を辞めれば死んでしまう』という考えがあった。それは衣食住の資金が無くなるから死んでしまうという物でなく、マグロが泳いでいなければ死んでしまうといった話と同じような考えであり、漠然と「仕事を辞めたら死んでしまう」と考えていた。
冷静に考えればそんな事は勿論あろうはずもないが、退職する直前までは本気でそんな風に考えていた。それ故に心身を削りながらも仕事に励んでいた。全ては妄想でもあったが、それ故に生きている今が不思議であると同時に苦痛にも感じ始めていた。
それが妄想であると理解したのは仕事を辞めてから随分と時間が経ってからの事であり、そこでふと我に返って「仕事を探せばいい」と思い立った。ぼんやりとそんな当り前の事を思いつくと、自身の部屋の机の上に鎮座するパソコンの前へと座り、ウェブブラウザを立ち上げた。
信勝は現在47歳であるが目前に迫った50歳という年齢での求人を検索し始めた。その年齢で検索してみると前職であるシステム開発の求人もいくつかの数が存在はしたが、退職した理由が理由だったのでその業種にはトラウマというべきものがあった。とはいえシステム開発では納期に間に合わせるために長時間作業等は普通の事であり、そもそも納期の無い仕事等は芸術と言った類の物以外ではあるはずも無く、出来なければ出来るまでやるといった事も理解していた。成果主義で無い仕事であるのなら辛く大変であるからこそ仕事であり給料が貰えるのだと、最後となった仕事現場に於いては自分がついて行けなかっただけであると、そう思っていた。
海外では「納期に間に合わせるつもりで頑張ったけど出来なかったので仕方がない」、又は無理に安い価格で受注して「途中まで出来た所で予算が無くなったからこれ以上出来ない、増やしてくれないならやらない」といった一見わがままにも思える事例が多々あるかもしれないが、日本では『納期の神様』は最強である。
ひとつの物が納期迄に出来る事を前提に、納入された物を使って別の物を作る納品先、又は後行程担当がそれぞれの納期を目指して作っていく。そういう流れの中で納期がずれると後の工程にどんどんしわ寄せがいく。工期工程見積もりが甘いからという訳でもない。そもそも仕事を受注する為には品質保障は無論であるが、短納期や安い金額を提示して他社と対抗し受注する。短納期は上手く機能しなければ長時間労働といった事にも繋がりはするが、それがやがて値段の安さと言う物を提供し、相手はそれを求める。安さを求める為に削れる所は削る。それは必然でもあった。
電車やバス等が1分遅れで到着しても「遅い」と文句を言う人も居る。定刻通りに到着するというのは「納期を守っている」という事である。それらを叶えるには人海戦術も考えられるがそれでは費用が折り合わずに人を使う事を辞めて機械化する。理由はどうあれ機械化出来なければ人を使う訳ではあるが、それはブラックと呼ばれる働き方を誘因し働く人の心身を疲弊させる。それが当たり前なのだと、それが仕事なのだと刷り込まれる。
信勝は経理に詳しくは無かったが、サラリーマン時代に自分の給与明細を以って原価を想像してみた事があった。その上で長時間労働というのは必然なのだろうと考えていた。
海外と比べて1人当たりの経費が日本の場合には高いと言われる。会社は給料以外に交通費も支給し社会保障といった経費も支払う為に必然1人当たりの経費が高くなる。天引きといった作業にも経費は掛かり、費用対効果を出すためには結果を求められ、その結果を出すためには長時間働かざるを得ない事もあるのだと。それらを相殺するには時間で以って相殺する事以外に無い場合もあるのだろうと。高付加価値を生む人であれば時間は関係ないが、そうでないならそれを吸収するには何処かにしわ寄せが行かざるを得ず、それが長時間労働という形で表れる事は必然なのだろうと。海外同様にそれら給料以外の全てを無くせば会社としてはそれなりの費用対効果の上昇が見込めはするが、人は保障を求め安定を求める。故にそれは自分達が望んだ事でもあるのだろうと。人が安定を求め安価を求めるならば、長時間労働とはそれを具現化した物の1つでもあるのだろうと。
信勝が若い時には「仕事は誰かが与えてくれるものだ。誰かが取ってきてくれた仕事を与えられ、与えられた仕事をこなせば良い」と思っていた時期もあり、ビジネスという物を甘く見ていた時期もあった。
単純に車で例えるならば車を買ってくれる人がいる事で車を売る、製造するという仕事が生まれており、開発する、管理する、部品を作る、調達する、物流等々の数多の仕事が生まれている。誰も買わない使わない、必要とされない物を作っているならそれは趣味である。勿論、趣味であるなら問題ない。誰かが作ってくれた仕事があるから仕事を貰えるという事である。仕事を取る、仕事を得るという事は実に大変な事である訳ではあるが、信勝がそれに気づくのは随分と時間が経ってからであった。
信勝が目にしたシステム開発の求人は殆どがリーダークラスの募集でもあり、相当なスキルを要する募集である事は目に見えて明らかであった。フリーランスとしてプログラマーを目指す道もあったが、それは決して楽な道では無い。数多くいる中で勝ち取る必要のある仕事であり、今の信勝にはそこまでの意欲は無かった。
本来であれば自分の持っているスキルで新たな仕事を探すというのが定石であるが、信勝は前職の業界以外を検索し始めた。その求人の多くは宅配ドライバーか飲食といったサービス業が大半を占めていた。信勝は飲食といった職業には興味が無かった。仕事を選べる立場でも無い事は理解していたが、そもそも人前に出るのが苦手でもあり、接客業等は自分ではとても勤まりそうには無いという思いと、料理等を一切した事が無かったが故に自分の手で以って他人の口に入る物を作るという事に恐怖を感じていた。
そういった業種は特に「お客様は神様です」と云った姿勢が求められる。これが売り手側の姿勢であった頃には良かったが、現代では客側が「俺達は神様だ」と思うのが当たり前となっていた。横柄な神様は対価以上のサービスを平然と求める。神であるが故に求める。それが当たり前だと当然だと求める。必要以上のサービスを拒否すればサービスが悪いと言われ、場合によっては暴力沙汰を起こす。そういった情報を目や耳にするような業種でもあり、必然辞めていく人も多くその分求人も多いが、客も雇用者もサービスは無償であるといった考えが根底にあるかの如く、賃金が高くなる事は殆ど無い。必然、信勝は宅配ドライバーへと目が向いた。車に乗るのが趣味とも言えた信勝にはそれは一瞬魅力的に見えた。
宅配というのは1個配達して百何円という歩合制が殆どであり、その分沢山配達しなければ稼げないという事でもある。荷物の届け先が不在であればそれはただ働きとなり、その職業に就く人達のネットへの書き込みには辛さが滲んでいた。仮に不在宅が続いて1時間に1個しか配達できなければ自給換算で100円と少しであり、最低賃金すらにも追いつかない。自分で車両を持ち込んでの配達であれば1個当たりの単価は増すが、届けられなければそこまで掛かった時間やガソリン代を考えれば赤字である。配達エリアにも運があるといい、まとめて運べるような団地が人気という事でエリアに関する競争が存在するというが、それも不在宅が続けば意味は無く、要領良くやらなければ儲からないという。
とはいえそれを生業としながらも家族を養っている人がいる以上、結局はその人次第とも言え、要領良くルートを選びつつ不在がちな家を避けつつという経験あっての物とも言える。街中では宅配業者の制服を着た人が荷物を手に自身の足で以って走っている姿がちらほら見受けられるが、それは1個でも多く届けようという必死の姿勢でもあった。
信勝はそれら求人や書き込みを目にして嘆息すると共に俯いた。これなら自分にも出来るかと思った宅配という仕事のハードルが思った以上に高い事で落胆した。そもそも楽な仕事などあろうはずも無いが、何より、宅配ドライバーだけに限った事では無いが車両を利用した仕事に於いては事故で人を死傷させる可能性もあり、大局でいえばドライバーとは命に関わるような仕事とも言えた。そう考えると信勝は少しだけ恐怖した。信勝自身も消費者として送料の安さを魅力に思ってもいた。だがそれが自分の身に降りかかると考えると、それは割に合わない単価の仕事なのかもしれないなと改めて思った。自宅に宅配便が届いた時には「御苦労様です」と一声掛けてはいたが、今後はもう少し心を込めて言おうと信勝は静かに思った。
50歳と言う年齢は中年と呼ばれる。若年と高年の間で中年である訳だが、年金をもらう程の高齢とも言えず、中年よりは仕事の選択肢が数多くある若者とも言えず、「中途半端な年齢だから中年という意味なのかもしれないな」と、信勝は頭の中でそう思うと同時に自分を嘲笑した。そんな事を考えつつも仕事を探し続けていると、ふと頭の中に疑問が過った。
「あれ? 何で仕事探してたんだっけ? 仕事にありつけたとして何するんだろう? とりあえずバイクも車も売却せずに済みそうだが……。他に……。あれ? 何で生きていかないと駄目なんだっけ?」
運よく仕事を見つけて働きだし収入を得る生活を始められたとして、それは何に繋がるのだろうかと、この先働き続けてどうなるのだろうかと。既に50歳を目前に残りの人生がどれ位あるのかは分からないが、その先に何があるのだろうかと。衣食住を確保出来る様になるだけで何になるのだろうかと。
仕事を見つける事に四苦八苦し、見つけても四苦八苦して生きる。そんな考えその物が甘えだと言われるであろう事も重々承知しているはいるが、かといってそれらを強制される、生きる事を強制されるかの如く生き続ける事にどういう意味があるのか分からない。哲学の場以外で「生きる事とは」等を口にする事こそが間違いであり、寿命まで生き続け、人によっては働き続ける事こそが正しいとでも言うのだろうかと。
働く喜びといった言葉を稀に耳にする。時間に追われながらも仕事をし、具体的に何かと言う訳では無いがその中で楽しい事があった気もする。だがいつ頃からか、目覚ましに否応無しに起こされ満員電車に揺られ長時間椅子に座って作業するというのが仕事であり、それはただただ苦痛であり、その苦しさこそが仕事であり、大変だから仕事であるという価値観に変わっていた。
元の仕事を辞めた事に後悔はしていない。だが今の信勝の頭の中には困窮する未来が浮かぶだけ。身の丈にあった生活を目指す事を目的に、何をするでも無い日々を働き続ける年老いた自分の姿が浮かぶだけ。その為に働くというのだろうか、生きようというのだろうか、生きる事を強制されるというのだろうかと疑問が湧き続けた。
信勝が10代後半から20代前半には「どうせすぐ死んじゃうだろうしなぁ」と根拠なくイタい事を思っていた時期も存在した。そんなイタい事を思っていたとしても10代20代は色々な可能性があった世代だったとも言え、求人も選べる立場でもあった。だが50歳を目前にした現在無職の信勝には仕事を選ぶような立場でも無く、「もう良いんじゃないかな。キリも良いという感じだし」と、頭の中の疑問に対してそんな答えが頭を過る。
それ以来、仕事を探すより死を望むといった考えが信勝の頭から離れなくなった。仕事を辞めたら死んでしまうといった妄想についてはそんな事は無いと理解はしたが、今生きている事がやはり不思議でならない。何故生きるのかという疑問に対する答えが見つからない。
そんな中、信勝とほぼ同年代の親族が死去したと母親から伝えられた。
車の後部座席に母親を乗せ、信勝の運転する車は葬儀会場へと向かった。信勝がその親族と会う機会は冠婚葬祭位でしかなかったが、会えば良い関係ではあった。その親族は結婚していたが子供はおらず、夫婦で共働きしながらも家を建て、そこで幸福に暮していると聞いていた。葬儀の場で初めて聞かされた事であったが、実は大病を患い治療しながらも働いていたらしく、それが突然悪化し急逝したいう事だった。
信勝は葬儀会場に於いて火葬される直前の棺の小窓から中を覗いた。その棺の中には二度と目覚める事の無い十数年ぶりに見た親族の顔があった。
病を患っていたとはいえ何故幸福に暮していた親族が死去し、死を望むといった事ばかり考え始めていた自分が何故に未だ生きているのだろうと、信勝は棺の中の青白い顔を見ながら思っていた。そして火葬から戻ったその親族は真っ白な細かい骨となって再び信勝の前に現れ、それを信勝を含めた親族たちの手により骨壷へと移していった。
葬儀を終えた信勝は母親と共に帰宅した。そのまま自分の部屋へ戻ると黒の礼服のままにパソコンの前へと座った。ネクタイを外しながらパソコンの電源を入れ、何の気なしにネットニュースを見始めた。
信勝の目には近々に発生した事故や事件といったニュースが列をなすようにして並んでいた。毎日のように目にするニュースの群れ。その日々のニュースでは信勝よりも遥かに若い人達がこの世を去っていった事が伝えられていた。
そんなニュースを目にしても信勝の頭の中にあったのは「どうすれば死ねるのかな」という事ばかりであった。首吊り、投身、服毒という方法ばかりが頭の中に浮かんでいた。自分の部屋、マンションの屋上、電車のホーム、踏切、自殺の名所とそればかりを考えていた。自然死では無く自分の意思による死について思い至っていた。
信勝は自殺を悪い事だとは考えていない。自分ではもうどうにもならない、どうにも出来ない、逃れられない等でのネガティブな状況での逃避や回避という事であれば自殺という選択肢はありだと思っていた。それはその人の選択であり自由であると思っていた。
とはいえ信勝自身が自殺したいと考えた事は無いが、今となっては選択肢として考えるべき物であると思い始めていた。後悔している訳では無いが、もしも結婚して妻や子供がいたならばとも考える。そしも結婚していたならば妻や子供を糧に「なんとしても生きるぞ」といった気持ちになったのだろうかと頭を過りはするがそれも今更であった。とはいえ、現状に於いて仕事を探すのが容易ではない事に落胆はしているが、そういった自らが下すという死を望んでいる訳では無かった。
高卒で仕事を始め、貰った給料でそれなりに遊んで楽しかった。友人とバイクで泊まりがけのツーリングに行ったり同僚達との仕事帰りの飲み会も楽しくそれなりに満足もしていた。それを経た上で理由はどうあれ仕事を辞めての今がある。
『寿命まで生きる為に働く、働く為に寿命まで生きる』
これからも生き続けろ働き続けろと言われているかの如く、信勝の中で生きるという事に対する概念がそんな言葉で作られていく。「自分なりに頑張って働いて楽しんだ。もう充分だ」と、そう思う事はダメな事なのだろうかと自問自答する。だが自問ばかりで答は無く「どうすれば死ねるか」という事しか頭に浮かばない。白い骨となった親族の姿を見てもそんな事しか考えられない。大病を患いながらも働き寿命と言えるその日まで一生懸命に生きた親族のその最期の姿を目にしても、それが自分であったならばとしか思えない。
死を望み始めたといってもそれは極力、家族、親族、社会に迷惑にならない形での最期を望んでいた。逃げたいという気持でもあるが自分ではネガティブな気持ちだとは思っていない。「満足しているから終えたい」と、前向きな気持ちのつもりであった。そんな前向きであるが故に自分が死んだ後の事も気になる。家族親族の世間体を考えると自らの手でというのは選択しづらく、仮に選択するにしても良い場所や良い方法が思いつかない。下手をすれば報道され、場所によって遺体が見つからない可能性がある。遺体が直ぐに見つかったとしても迷惑をかけるのは目に見えてはいるが、遺体が見つからないというのは行方不明扱いとなり7年間の失踪期間を経て初めて死亡扱いとなる。それはそれで家族に迷惑をかける。そんな死後の事が頭の中で堂々巡りして何も出来ない自分に苛立ちが募る。
そんな考えは日を追う毎に募って行く。全てを終わりにしたいという気持ちが募って行く。夜布団に入り目を瞑ると夜の静けさも手伝ってかその思いはより強く募り、自分に恐怖すら感じる事もあった。
衝動的にキッチンの包丁を手にしてしまうのではないかと不安が募る。人を殺して法律で以って自身を死刑にしてほしい、殺してほしいという衝動に駆られて実行してしまうのではないかと自分自身に恐怖する。無意識の内に凶行に走ってしてしまうのではないかと恐怖が募る。
違法薬物を辞めたいとは思うが自分の意志で辞める事は出来ないままに逮捕され、「これで薬を辞められる」と、逮捕された事を内心喜ぶ人がいるという話が世の中にはある事からも、世の中では何かを辞める為に自分以外の何かを頼るというのはよくある話であり、死刑にして欲しいという理由で人を殺すという事件も稀に発生する。自の手で自らの命を絶つ事に踏ん切りが付かないが、否応無しに殺されるならそれが一番楽であると、誰かに殺してほしいと。今の信勝はそういった誘惑に対する理性を保てるのか自分に自信が無く、自分が信用できないでいた。
そんな不安が毎晩照明を落とした部屋の中、布団に潜り目を瞑るたびに襲っていた。そんな不安を頭から追い出そうと何か楽しい事を思い出そうとするも直ぐに元の考えで上書きされる。いっそ寝ている間に死ねばいいのにという思いと共に結局生きるという事はどういう事なんだと改めて頭に巡らす。
そもそも何故に生きる事を強要されるのだろうか。勝手に親が生んだとは思わないし、生まれて来れた事には感謝をしている。口にする事は決して無いが今の親の下に生まれた事は感謝はしている。とはいえ死期については自分で決めたい。
頑張っている人の姿を見て勇気を貰うという言葉をテレビ等の媒体で時折目にするも、人が頑張っている姿を見ても特に何とも思わない。同時に人がうらやむような生活ぶりをテレビ等で目にしても何とも思わない。欲しい物があってもすぐに「自分には無理だろう」と思うだけで何かを目標にするといった事も無くただただ刹那的に生き、ただ死を望んだ。
生きたいと思いながらも亡くなる人間がいる。いっそ命の付け替えが出来るのであれば代わりたいとさえ考えた。そして自分とは違って生きる意志がある人間が生きてくれた方がきっと役に立つと考えた。寝続ければ餓死という死に方でも出来るかなとも頭を過るが、実家で母と暮らしていてはそんな最期は望めない。ずっと寝続けていれば母親が心配して様子を見に来る。ご飯を食べている様子がなければすぐに気付く。そして何より家の中でそんな死に方を意図的に親に見せると言うのは人道から外れている気もした。生きたい人は生きればいいし、死にたい人は死ねばいいと思っていた。そして今は信勝が死を望んでいた。万が一にも長生きするための福祉や支援などは要らない。その代わりに楽に死ねる支援があれば良い。むしろそれが欲しいと望んでいた。
既に年金を貰う年齢となり、優雅とは言わないまでも穏やかな老後を送れていたであろうはずの母親が不憫に思えた。自分の様な息子を持った事を不憫に思えて仕方がない。子育てが終わっているはずなのに自分の様な息子が家にいる、働かずに家にいる様な息子がいて不憫に思う。悪さをしでかす訳では無いがそれでも不憫に思えた。
元の仕事を辞める直前にはそれなりにネガティブ思考にもなっていた。仕事辞めたら死んでしまうといった根拠のない考えの下で仕事を続けていた。そして実際に仕事を辞めても命は続き、その当り前の事に落胆した。辞めてからは数少ない友人との関係も一方的に絶った。携帯電話に連絡を入れてくれる友人に一切の返事をしなかった。そうして1人で考え続ける事でより一層悲観的になりネガティブ思考になっていく。
人は労働力として生まれるのだろうかと。それは人が死ぬ事を前提として産み出されていくという事なのだろうかと。人が猿から進化したのは、むしろ人間を労働力として働かせる為に進化させたのではないだろうかと勘繰る。
進化したと言われる人間の脳では理念という物を生み出し宗教を造り出し、自らの種族に対して生き方を強制させる。動物は自殺しないが人間は自殺する。進化した人間の脳は自殺を想像させ実行させる。それを理性で以って押し留めているに過ぎないのだと。
そんな思考に辿り付く。そんな思考ばかりになっていく。そんな思考ばかりして日々は過ぎて行く。日々が過ぎても死ぬ予兆すら見られない。どういう死に方がいいのかとそればかりを考え続け、夜には自分がどうなってしまうのではと不安になりながらも目を閉じる。そしてまた朝になり、意味無く起きては食事を口にし、夜になれば不安を抱えながらに眠るを繰り返す。
◇ 12月5日
信勝の母親は70歳を過ぎていた。信勝の父親でもある夫とは死別していた。50歳程で亡くなった夫は夜中に突然苦しみ出しそのまま意識不明となり、救急車で以って病院へと担ぎ込まれたがその数日後に意識不明のままに亡くなった。当時2人いた子供は既に社会人として働いていた。1人は信勝であり、もう1人は信勝の兄である田嶋克行。克行は信勝と違い積極的で社交的でもあり、既に結婚して家を出ていた。
夫の死去から既に20余年が過ぎていた。町内会にも入り行事に積極的に参加したり、友人とのちょっとした飲み会や年に数回行けるかどうかの旅行を楽しんでいた。子供達が結婚して孫を見せてくれるのを楽しみにしていた。そして克行には中学生になる子供がいた。母親からすれば待望の孫であり、そんな孫とも頻繁に会う事が出来ている状況を楽しんでいた。
ある日、息子の信勝が仕事を辞めたいといった時には反対はしなかった。辞めたいと言う数か月前から毎晩帰宅が午前零時を過ぎている状況で見た目にも生気が無いと思っていた。辞めたとしても少し休んで次の仕事を探すだろうとも思ってもいた。しかし辞めた後、毎月欠かさずに家に数万円を入れてくれているとはいっても2年近くも無職であるとは思ってもいなかった。積極的に仕事を探しているとも思えなかった。その事を信勝に正面から問い質すのは憚られ、信勝の状況を知っていた克行も母親と同じ思いで問い質した事はなかった。母親も克行も信勝に対して共通した感覚があった。
「強く問い質すと取り返しがつかない事態になるのではないか」
「強く問い質さなくても問いの答えが聞きたくない答えだとしたら」
信勝が『積極的に生きる意志が無い』と母親と克行は肌で感じていた。信勝が無職となって既に2年近く、問い質す事自体が怖かった。そして何も言えないままに今に至っていた。
ある日、母親が町内会の集まりから帰宅し自宅を囲むコンクリートブロック塀に埋め込まれた郵便ポストの中を確認すると、中にはチラシが一枚と葉書が一枚投函されていた。チラシの方は不動産関連の案内で一瞥するとクシャリと握りつぶした。そしてもう1枚の葉書を目にした途端、母親は目を見開くと共にその場に膝から崩れ落ちた。
その日、信勝は車で出かけていた。といっても車で以って健康ランドに行っていただけ。何もする気が無いとはいえ家に引きこもっているのも忍びなく、車も全く乗らないではバッテリーも上がるしガソリンも腐る。とはいえ遠出をすればお金もかかる。そこで、長い時間だらりと過ごせ距離も程々といった健康ランドへと週1回向かう事が習慣化していた。そしてその日は正午過ぎに出かけて家に戻ってきたのは午後9時過ぎだった。
高齢の母親は早朝型なのでいつもなら就寝している時間ではあったが、信勝が自宅へと到着すると家には明かりが点いていた。玄関のドアを開け家の奥へと目をやると、そこから見えるリビングのドアからは照明の光が漏れると共に人の気配を感じた。信勝はその場で以って「ただいまぁ」と声を掛けるも何の反応も無かった。信勝は「別にいいか」と、そのまま2階の自分の部屋へ向かおうと階段に1歩足を掛けた所で、ふと気になり踵を返してリビングへと向かった。
リビングのソファには深く腰を下ろし俯いている母親の姿があった。信勝が改めて「ただいまぁ」と小声気味に声を掛けると、ようやく母親がハッと気付くようにして顔を上げた。
「ああ、おかえりなさい」
「まだ起きてたんだ。じゃあおやすみ」
「あ、信勝……」
「何?」
「あの……これ、と、とどい……たんだけ……ど……」
母親は手にしていた1枚の紙を信勝に向かって差し出した。信勝は母親の神妙な面持ちに何かあったのだろうかと直ぐに察し、おもむろにそれを無言のまま受け取った。見ると、それは宛先に『田嶋信勝様』と自分の名が書かれた葉書であった。一見して役所からのよくある通知に思えたそれを「これは何だろう」と考えたが直ぐに理解した。宛先の横には赤い太文字で『終末通知』という記載があり、この葉書は自分に対する終末を、寿命の尽きるその日を告知する葉書で有る事を直ぐに理解した。
その葉書は圧着タイプの葉書であり、投函された時には中身が見えないように糊付されていたはずであったが、それを手にした母親が先に開いたとの事だった。
『あなたの終末は 20XX年 1月 3日 です』
葉書を開いてすぐに目に飛び込んできたのはそんな文言。今日は12月5日。信勝の命が残り約1カ月という事がそこには記され、信勝は無表情なままに落胆するでもなく嬉しがるでも無く、無言のままに葉書を見つめていた。
◇ 12月6日
午前10時過ぎ。いつもよりも少し早目に起床した信勝は洗面所へと向かい、鏡に映る自分を無心で見つめながら歯を磨き、洗顔を済ませるとパジャマ姿のままダイニングへと向かった。
ダイニングではテーブルの上に肘を付きながら頭を抱えている母親の姿があった。信勝はその姿を横目に冷蔵庫へと向かいそっと扉を開けた。すると信勝の背中に向かって「おはよう」と声が掛けられ、信勝は背中越しに「おはよう」と返した。信勝は冷蔵庫の中から牛乳パックを取り出しコップへ注ぎ、コップを手に母親の方へと振り向いた。そこには目を真っ赤に昨晩よりも明らかに老けこんだ様子の母親の顔があった。信勝はそのままリビングへと向かい、ソファに深く腰掛けリモコンで以ってテレビの電源を入れた。そして何の気なしにテレビに目をやりながら、朝ごはんのつもりの牛乳を口にした。
信勝は仕事を辞めてから暫く経った後、働いていない自分には食べる必要は無いという理由で朝食と昼食は食べなくなっていた。実際本当に何もしていないので時折空腹感は感じるものの夕食だけで十分だった。とはいえ水分だけは欲していた為、それ故の朝の牛乳であった。
暫くの間リビングとダイニングにはテレビの音だけが聞こえていたが、10分程で牛乳を飲み干した信勝はすぐに自分の部屋へと戻った。そこで何気なく机の上に置いてあった終末通知に目が行くと、おもむろにそれを手に取った。そして手にしたそれの中開きページに目が留まった。
『終末ケアセンターの問合せ先』
そう書かれた下にURLとQRコードが併記されていた。信勝はパジャマ姿のままパソコンを前に椅子へと座り、電源を入れるとウェブブラウザを立ち上げ、キーボードで以って直接URLを打ち込んだ。
『終末の過ごし方』
そんなタイトルのホームページが開かれ、そこには「今まで通りの生活をするか、安楽死を望むか」といった一見過激に思える文言が書かれていた。聞きなれない言葉ではあるが一度は耳にした事のあるその『安楽死』という言葉に、信勝はハッとさせられた気がした。五体満足の健康体であったが為に安楽死という言葉とは無縁であり、自らの手で下す方法ばかりを考えていた信勝にとって、それは思いも付かない方法だった。
そのままページを見てみるも、そこには詳細に関する情報は何ら記載されておらず、そのページの最下部に「安楽死を望むならホームページに記載されている自治体の終末ケアセンターに来てください」と書かれると共に、その文言のすぐ下に『最寄りの終末ケアセンター』というボタンがあるだけだった。
信勝がそのボタンをマウスで以ってクリックすると日本地図が表示されると共に、最上部に「郵便番号を入れて下さい」という文言と郵便番号を入力するボックスが表示された。その横には「車」「電車」と書かれたチェックボタン、「検索」と書かれたボタンがあった。信勝は何ら疑う事無く自宅郵便番号を入力し、「車」のチェックボタンをクリックし、最期に「検索」ボタンをクリックした。
すると、画面に表示されていた日本地図が見る見る内に拡大表示されていき、2つの地点を結ぶ道が表示されると共に、左側には文字で以って経路が表示された。そこには、信勝の自宅付近から最寄りの終末ケアセンター迄は40キロ程であると表示されていた。
自らの手で終わりを迎える事を考えてはいたがその選択は出来ないと、そういった葛藤の最中に届いたそれは「朗報」に思えた。それが朗報だとは母親の目の前で言う事などは出来ず、先日は無言のままに内心安堵し何かがようやく始まった様に感じていた。淀んでいた何かが透き通る様にして綺麗に消え去り未来が見えたようにすら思えていた。
◇ 12月7日
午前10時過ぎ。起床した信勝がいつもの朝の行動を終えてダイニングに向かうと、リビングにもダイニングにも母親の姿は無かった。といっても高齢とはいえ母親はいつも家にいる訳でも無く、町内の集まりで不在の事は日常的によくある事なので信勝は気にも留めなかった。そして朝ごはん代わりの牛乳をコップ一杯だけ口にした後に部屋へと戻るとパジャマを脱ぎ棄て着替え始めた。カーゴパンツを履きパーカーを着て、その上に黒いライダースジャケットを羽織ると、カーゴパンツのポケットに財布と携帯電話、ジャケットの内側ポケットには終末通知の葉書を入れた。そして玄関へと向かい外へ出ると、家の前に置かれた車に乗り込みそのまま家を後にした。
車のナビに従い1時間と少し車を走らせ目的地に到着すると、「関係者以外駐車禁止」と書かれた看板の立っている駐車場へと車を入れ、白線に従い車を駐車した。
車を降りた信勝はそのまま建物正面玄関へと歩いて向かった。それは信勝が何度か通った事のある道に建っていた。その際に目にはしていたが「でかい建物だが何の施設だろう」といった位にしか思っていなかった。
そして今、信勝の目の前にはもう少し古びていれば史跡とでも言えそうな総石造りと見紛う3階建ての大きい建物が建っていた。一見、西洋の神殿を思い起こさせるような石柱が建物の周囲をぐるりと囲み、その頭上を屋根瓦で覆うといった和洋折衷の建物。その建物が「終末ケアセンター」という名前でそういった目的の施設だとは思いも寄らなかった。そういった公的施設であれば道路標識に名前が出ていそうな物であったが、道路沿いに立つ標識に目を凝らしながら走っていたがそういった標識は一切見当たらなかった。信勝は「終末という忌避する言葉であるが故に敢えて表示していないのかもしれないな」と勝手に解釈した。
その建物は歩道に面し、玄関は低めの段差と奥行きの長い5段の階段を上った先にあった。信勝が階段を一歩一歩上り全面ガラスの玄関口までやってくると、両引き戸の自動ドアがゆっくりと開き始めた。
音も無くスーッと開かれた自動ドアを通って中へと入ると、そこから10メートルほど離れた正面の上部に「受付」と書かれたブースが信勝の目に留まった。横幅約5メートルといった素っ気無いそのブースには、制服と思しき明るいグレーのブラウスに濃いグレーのリボンタイといった装いの2人の女性が座っていた。2人の女性が玄関口の信勝に気が付くと、座ったままの姿勢で信勝に向かって軽く頭を下げた。それを見た信勝も軽く頭を下げ、女性達が座る受付へとまっすぐに向かった。
受付前までやってきた信勝に対し2人の女性は「いらっしゃいませ」等と声をかけるでもなく、ほんの少し口角をあげた表情で以って信勝を迎えた。
「えーと、この終末通知の葉書を貰ったんですが」
信勝は上着の内側ポケットから終末通知の葉書を取り出し、受付の女性に葉書を見せながら伝えた。
「少々お待ち下さい。担当をすぐに呼びます」
受付に座る女性はそう言ってどこかに電話をかけ始めた。信勝は終末通知をジャケットの内側ポケットへしまうと手持無沙汰に建物の中をぼんやりと眺め始めた。受付付近は吹き抜けの空間。一面大理石の床と相まって、受付女性の小声がやんわりと響き渡っていた。
信勝が受付付近で待つ事数分。コツコツと、ゆっくりとした足音が響いてきた。その足音は徐々に近づき信勝の1メートル手前まで来て止まると恭しく頭を下げた。
「初めまして。私、井上正継と申します。どうぞ宜しくお願い致します」
整えられたショートヘアに銀縁眼鏡、濃いグレーのスーツとそれより薄いグレーのネクタイを着用し、スーツの上からでもすっきりとした体躯が見て取れる、20代後半と思しきその男性は、手に持っていた1枚の名刺を信勝に向かって両手で差出した。
井上は終末通知の件で来た人を担当する終末ケアセンターの職員である事、職務としてはカウンセラーのような立場であると、信勝の顔をまっすぐに見つめながら説明した。
簡単な自己紹介を言えた井上は「では、こちらへどうぞ」と、信勝を先導するように受付横の廊下を歩き始め、信勝は無言でそれに続いた。
そして信勝は部屋に入った正面が広大な庭を望む全面透明ガラス、残り3面の入口扉を含む壁全面が曇りガラスという、秘匿性も遮音性も感じない10畳程の広さの中に、銀色に鈍く輝くステンレスで出来た長方形のテーブルと、そのテーブルを挟んで3つづつの計6つのステンレス製の椅子が置いてあるという質素で簡素な打合せルームへと案内された。
部屋に入った直後、信勝は正面の大きいガラス越しの庭に目を留めた。ガラス越しの向こう側には綺麗に整備された一面芝生の庭が広がり、3階にも届きそうな高い木が奥も見通せない程に沢山生えていた。そして一面芝生の地面には多くのベンチとイスがテーブルとセットで置いてあった。
そしてぼんやりと庭に目を取られていた信勝に向かって「そちらにお座りください」と、井上が声を掛けつつ向かいの椅子を手で指し示すと、信勝はそれに従い井上の向かいの椅子へと腰掛け、それを見届けた井上も椅子に腰かけた。
「では最初に顔写真付きの身分証明書となる物と、終末通知の葉書をご確認させて頂いて宜しいでしょうか? 万が一にも別人の方と言う事が無いように確認が必須となっておりますので」
井上の言葉に信勝はジャケットの内側ポケットから再び終末通知を取り出し、カーゴパンツのポケットから財布を取り出しその中から免許証を取り出すと、テーブルの上、井上の方へと向かって差し出した。
差し出された終末通知の葉書と免許証を前に井上が「拝見させて頂きます」と、一言いって手に取り目視で確認すると、持参していたタブレット端末のカメラで、終末通知の見開いたページの中に記載されているバーコードを読み取った。
「確認致しました。有難う御座います。それではこちらの施設他について説明させて頂きます」
井上は笑顔でそう言ながら終末通知と免許証を信勝に返すと、タブレット端末を信勝に見えるように傾けた。そのダブレットの画面上にはグラフデータが表示されていた。
「この終末通知を受け取った方の中で、実に2割近くが悲観して飛び降り等の自殺をしてしまうようです。1割位の方は自暴自棄になり事件を起こすという事例もあるようです。又1割近くの方はこの葉書が届かないか見ていないかのようです。それ以外の方の多くが、とりあえず終末ケアセンターにお越し頂いて、私達職員とお話させて頂いております。お話をさせて頂いた内訳では40代位までの方で奥様や小さいお子様がいらっしゃる方は終末日近くまでご夫婦で過ごし、直近にこちらの施設にきて安楽死を望まれる方が多いですね。ご高齢のご夫婦の方ですと、ご自宅で最期を迎えたいと仰る方が多いですね。単身者の男性の場合ですと年齢関係無く、早急に安楽死を選択する方が多いですね。女性の場合ですとギリギリまで旅行や食事等を経験した後に安楽死をするという傾向でしょうか。それ以外で言えば、経済的に厳しい方は早めに安楽死なさる傾向にありますかね」
「へー。そうなんですかー」
「終末通知を受領されている段階で、クレジットカード等の信用取引は出来なくなっておりますのでご注意ください。今後は現金取引のみとなります。口座引き落としのカードでしたらご利用なれます」
「あ、そうなんですか? コンビニやガソリンスタンドとかカードで払ってたんだけど、これからは現金のみか。あ、高速道路でのETCも駄目って事?」
「そう言う事になりますね。お手数をお掛けしますが御了承下さい」
「う~ん。まあ決まっちゃってる事じゃ今更しょうがないけど……」
「では、安楽死の方法になりますが、国が定めた方法は服毒になります」
「……えっ? 服毒……? 青酸カリとかそんな感じ……の?」
信勝は服毒と聞いて少し落胆した様子を見せた。信勝の頭の中には口から何かを飲んだ後に血を吐いてその場に倒れこみ、もがき苦しみながら死んで行くといったドラマ等でよく見かけるシーンが浮かんでいた。
「毒を服用すると言ってもマンガみたいなドクロマークのついた瓶の毒を飲んで苦しみもがいて亡くなるという事ではありません。苦しんでしまうようでは安楽死とは言えませんからね。では少々お待ち頂けますか?」
井上はそう言って席を立ち、1人部屋を出ていくと建物の奥の方へと去って行った。
数分後、片手でも持てそうな程の大きさの木箱を手に、井上が打合せルームへと戻って来た。井上は木箱をテーブルの上に置きつつ椅子に座ると、信勝に対して木箱の中が見えるよう傾け「こちらは終末ワインと呼ばれる物です」と言って見せた。
井上が持って来た木箱は高級そうではあるものの、使い古された感じの残る長さ30センチ程の蓋の無い木箱。その箱の中には中身が入っていない事が傍目で分かる、薄茶色で細長い凝った意匠のある瓶が青いサテン生地のクッションの中で横になって入れられていた。
「……ん? ……ワイン?」
信勝は井上がふざけているのかと思い怪訝な表情を見せた。
「はい。こちらが安楽死の為の飲料となります。終末通知を受け取った方が自ら終末を迎える為に用意された劇薬です。厳重に管理が必要な為に終末ケアセンターでしか提供が出来ません。承諾書に田嶋様の自筆による署名を頂いた後、当ケアセンター内、且つ職員立会いの下で服用頂けます。といってもこれ自体はサンプルですけどね。本物は本番に時に提供させて頂きます」
「とりあえず、それを飲んだら安楽死出来ると……。苦しまずに死ねる……という事ですか?」
「はい。苦しみ無くお亡くなりになる事が出来ます。こちらを服用直後、強烈な睡魔が襲ってきます。そのまま眠りにおち、徐々に呼吸数が落ち、長くても30分以内に呼吸が完全停止します。こちらを飲まれた方のほとんどが良いお顔で亡くなっていかれました。ただ解毒剤も無く即効性がある物ですので、服用後は後戻りは出来ませんけどね」
「はあ……そうですか……」
「何か質問等あれば何でも聞いてください」と、ひとしきり話を終えた井上が笑顔で言ったその言葉に、信勝は少し間を置いてから口を開いた。
「いえ、有難う御座いました。というか、その終末ワイン? 一般に売ってたら買ってたかもしれないなあ」
信勝は天井を見上げつつ、感慨深げにそう言った。
「いやいや、田嶋様以外にも稀にその様な事を口にする方がいらっしゃいますが、ワインといっても毒ですからねぇ。一般に売ったら簡単に自殺する人とか、間違って飲んじゃう人とか、殺人事件とかに使われちゃって大変な事になっちゃいますよ」
井上は「困った事を言う人だなぁ」とでも言いたげな口調で言った。
「でも需要はあるとは思いますよ?」
「犯罪の道具としてですか?」
「自殺の道具としてです。結局の所、安楽死って自殺の事ですよね?」
「何の条件も無しに来る者拒まずにそれを提供していると言うなら自殺と呼んで頂いて構いませんが、ここで行っているのは云わば選ばれた人達のみですので、結果は同じであっても全く過程が異なる似て非なる物であるとご理解ください」
「ははは。ただの言葉遊びにしか思えませんね」
「ここ以外で行われる安楽死というのもハードルが高い物です。それらは往々にして末期と呼ばれる程に病状が悪化、回復の見込みが無いと言う人を対象に、長時間にも及ぶ倫理的なカウンセリングが行われた後、当局によって許可が出るという物です。それを単に自殺と言うのは乱暴であると考えます」
「そう言われると返す言葉も無いですけどね。とはいえ自殺を目的とした需要は相当あると思いますよ? 恥ずかしながら私もその一人です」
「そうだったんですか?」
「ええ。なので終末通知が届いたのは私にとっては朗報です。まあ、一言で言えば生きる事に疑問があったというのが理由ですかね。まあ、甘ったれと言われても構いませんがね」
「なるほど。しかし言葉は悪いかも知れませんが、それを理由に安楽死を提供していたら安易に死を選ぶ人も出てきて死人だらけになりそうな気がしますがね」
「それは駄目な事なんですかね?」
「駄目というより、それでは社会が回らなくなる可能性がありそうな気がします」
「それは生きている人達が考えればいい事ですよ」
「なるほど。まあそれはそれで一理あると言えますかね。因みに自殺したいという理由をお聞かせ頂く事は可能ですか?」
「……ん? ああ、まあ。……もう50歳にして無職ですしね。このご時世でこの年では中々働き口を探すのでさえ大変な訳ですしね。職を見つけのるのも大変だし、職を見つけたとしても生きていくので精一杯。そもそも生きていくというその目的が分からない。分からないのに苦労する意味が分からない。もう充分生きたと思うので終わりにしたい。もう満足したのでって事で、という事ですかね」
「なるほど。そうですか」
井上は少し口角をあげた表情を以ってそう言った。信勝は目の前の明らかに年下の井上から「そんなのは無責任だ」「必死で生きようとしている人もいる」「人生を甘く見ている」「世の中そんなに甘くない」等の言葉が返ってくるのかと思っていたが、井上の口からはそんな類の言葉は一切出ずに、受け入れるとまでは言わないにしても拒否もしなかった事に若干拍子抜けした気がした。
井上は相手の言葉をそうそう拒否するつもりはない。それはその人の価値観でもある。生まれ育った環境が似ていたとしても価値観は異なる。それを拒否するのは正しくはないと。特に自殺を望むと口にする人に対して「頑張れ」「考えが甘い」等の言葉は決して言わない様にしている。そんな言葉は無駄な議論に繋がり相手を逆撫でするか、若しくは更に気落ちさせるだけであると。
「別に今日その安楽死をしなくても良いんですよね?」
「勿論ですよ。田嶋様は未だ1カ月ほど残っておりますしね」
「そうですか。じゃあ今日はこの辺で帰ります」
そう言って信勝がおもむろに席を立つと、それを見た井上も直ぐに席を立ったと同時に打合せルームのドアへと駆け寄り、信勝の方へと向き直り「どうぞ」と言いつつドアを開た。信勝は軽く頭を下げつつ廊下へと出るとそのまま玄関口へと向かい、井上も信勝の後を追うようにして玄関口へと付いて行った。
「それでは田嶋様。私はこれにて失礼いたします。尚、こちらで行う安楽死に於きましては終末を迎えるにあたっての一つの選択肢でしかありませんので、より最善の最後を選択の上、ゆるりとお過ごしください」
玄関口を背に井上は笑顔でそう言いつつ頭を下げ信勝を見送った。
信勝が帰宅すると玄関に見慣れない靴が置いてあるのが目に留った。母親の客が来ているのかなと思いつつ家の中へと入り、そのままリビングへと向かった。
リビングに入ると「よう」と、母親と向かい合わせにソファに座っていた兄の克行が声を掛けてきた。
「……おう、来てたんだ」
信勝が克行に向ってそんな返事をすると「こっちに来て座れよ」と、克行がソファに座るように促した。信勝は克行が家に来たであろう理由が推測できたのでとっとと部屋に戻りたいとは思ったが、ここで拒否して自分の部屋に戻ったとしても部屋に来られるだけだなと思い、克行の正面、母親の隣のソファへとおもむろに腰掛けた。
「どっか行ってたのか?」
「終末ケアセンターって所に行ってきた。まあカウンセリング? みたいな事と色々と説明を聞いてきた」
信勝と克行の仲は悪くないが姉妹の様に一緒に行動するような仲良しという程でもない。とはいっても会えば普通に話すし、用事があれば直接電話もするといった兄弟関係だった。そんな関係を信勝も「世間でも姉妹や兄弟とはそんな物だろう」と思っていた。
「ああ、ケアセンターね。俺は行った事無いから知らねぇけどさ、どんな話されんの?」
「まぁ、安楽死の話をメインに聞いたかな」
克行は「ふ~ん」と、それ以上何も言わなかった。信勝はリビングのテーブルをずっと見つめていた。横に座る母親にジッと見られているのが分かった。克行もジッと見つめているのが分かった。何か悪い事をした訳では無いが2人の顔を直接見ながらは話しづらかった。
「……とりあえず安楽死をお願いしようかなとは思っている」
「ふ~ん……それは、何時とかもう決めてんのか?」
「それは未だだけど……まあ、ざっくりだけど、俺の終末日が正月の3日っていうから……。それだと皆にも何かね……。悪い気がするというか何というか……。なので少し早めに終わろうかなとは思ってる……」
信勝は終末日よりも早く、年内に安楽死をするつもりであると告げた。そして目線だけを上に挙げて克行の表情を伺った。克行は疲れた様子で信勝を見ていた。その表情は「そうか。わかった」と、自分でそう決めた事なら受け入れると、そんな表情に思えた。そして横に視線を移すと母親は無表情のままにただただ俯いていた。その顔は更に老けこんだように信勝には見えた。
母親も克行も最近迄の信勝に生気を感じない事を感じていた。終末通知を貰った信勝がそういう選択をするという可能性が高い事を薄々は感じていた為、信勝の意見を尊重しようと最初から決めていた。故に何も言わなかった。言えなかった。どうせ死ぬのであれば楽な方がいいと。それならば安楽死以外の選択肢はないだろうと。
「……悪いね」
信勝は「ありがとう」といった気持ちで以って、テーブルを見つめながらにそう言った。
その言葉が話の終わりの合図でもあったかのように、信勝はおもむろにソファから立ち上がるとそのままリビングを後に自分の部屋へと向かった。部屋に戻った信勝は壁に掛かっているカレンダーに目をやり、いつ安楽死を実行しようかと考え始めた。今日は12月7日。とりあえずは12月中に実行という事だけは漠然と決めていた。とはいっても年末ギリギリでは母親や克行で無くとも多忙な時期であろう事から迷惑になるので意味が無い。
「よし、12月15日に実行しよう」
信勝が12月15日に決めた理由としてはそれ以前だと身辺整理が間に合わない気がしたというだけであった。信勝は遺言として「葬儀は要らない」と言うつもりであったが、それでも火葬と納骨は必要であるが故にそれなりに時間も要する。そして終末日を決めた信勝の残り時間は今日を含めて8日間となった。
◇ 12月8日
信勝は朝の行動を早々に済ませると気持ちを切り替えるかのように「さてっ!」という独り言を口にし身辺整理を始めた。
部屋の中の物でいえばマンガ、DVD、パソコン、テレビ、携帯電話とそれなりの数の衣類。そして車とバイク。連絡を要する物は銀行、クレジットカード、携帯電話、それと車とバイクの任意保険位であった。信勝は実家暮らしの独身なので連絡を要するものはこれ位であったが、一人暮らしや家主であったならば電気水道といったインフラやら家の名義やら沢山あって大変なんだろうなぁと人事の様に思った。
まず最初にバイク買取業者に電話した。バイク買取業者は今日の午後3時頃に来てくれるとの事で他の用事を済ます事にする。
次に携帯電話会社に連絡した。言わなくとも良かったのだが解約理由が『終末通知』であると伝えると、電話の相手からはお悔やみを言われた。そして携帯電話の当月以降の利用代金は無料となり、終末日に自動的に利用出来なくなった後に自動解約という措置が取られるという説明を電話相手から伝えられた。それならわざわざ連絡しなくても良かったなと信勝は心の中で愚痴った。
続いてバイクの保険会社に解約する旨を電話で連絡した。解約理由が『終末通知』であると伝えると同じくお悔やみを言われた。保険料については「終末日」までは保障するが前月末解約とみなされ、途中解約の残金は信勝の家族に現金書留で返金するという措置が取られるとの事だった。
最後にクレジットカード会社に連絡し、解約理由が『終末通知』であると伝えると同じくお悔やみを言われた。しかしクレジットカード会社は既にカードを利用停止にしているとの事だった。そういえば終末ケアセンターでそんな説明を受けた事を信勝は思いだして余計な手間をと心の中で愚痴った。
終末通知の情報は厚生労働省による終末通知作成と同じバッチ処理で行政システムから金融機関へとデータが伝送され、そのデータを受け取った金融機関のシステムがその人のクレジットカードを直ぐに利用停止にする措置が取られる仕組みとなっていた。そして停止措置と同時にその日までのカード利用金額を確定し直ぐに銀行口座から引き落とす仕組みになっていた。引き落としが正しく出来た人には最後の請求金額の3割を「生前弔慰金」という名目でその人の銀行口座に戻し、仮に残高不足で正しく引き落としが出来ない場合には国とクレジットカード会社で不足分を折半するという仕組みになっていた。
各種の連絡が終わった後、部屋の棚にズラリと並んでいる全てのマンガとDVDを大きな紙袋に丁寧に入れ始めた。それらは大きな紙袋で4つという量であった。それらを車のトランクに積み込むと最寄りのマンガ買取店へと向かった。買取店が示した買い取り金額は全て合わせて2万円弱だった。今更お金も必要無いのでその金額で買い取って貰った。店を後にした信勝はその足で銀行に赴いて銀行口座の解約を行った。口座を解約した信勝の手元には50数万という金額が戻ってきた。
信勝が銀行から家に戻ってくると、バイク買取業者の名前が入ったトラックが自宅前に停まっていた。信勝の所有するバイクは古い250ccのバイクで「頑張って10万です」と買取業者から言われ、そのまま引き取って貰った。信勝はバイクだけでなく車も処分するつもりであったが、克行が乗るとの事だったので名義変更のみを明日以降に行う事にした。信勝の部屋にあるパソコンは克行の子供にあげ、テレビはそのまま部屋に置いておく事になり、洋服類は母親と克行が後で処分するという事になった。そして信勝の手元には60数万の現金とテレビのみ。数日掛かると思っていた身辺整理は1日で終ってしまった。
信勝は部屋の中の細々とした私物整理を行っていた。雑誌や古い諸々の書類にメモ用にと買ったであろう無使用のノートや使わない筆記具。全てをゴミとしてまとめて行く。すると、「母子健康手帳」と書かれた古ぼけた手帳が出てきた。信勝は数年前に母親から渡されたそれを未だ見た事は無かった。何気なく開いてみたそこには、信勝の予防注射の記録、そして自分に記憶が無い0歳からの健康状態が記載されていた。
夜中に嘔吐する。救急病院へ。
熱がある。救急病院へ。
咳が出た、嘔吐した。救急病院へ。
体が熱く泣きやまない。近くの病院で連れていく。
そんな自分に記憶が無い時の母親の動きが数ページに渡って書いてあった。信勝は知らず知らずのうちに涙を流していた。後日それは、空となった机の引出しへとそっと仕舞われた。
◇ 12月9日
午前10時過ぎ。信勝は目を覚まし上半身をおもむろに起こすと違和感を覚えた。昨日まであった物が全て無くなった自分の部屋の光景に違和感を覚えた。と同時に新鮮味を覚えた。クローゼットの中には服は残ってはいるが、壁に掛かっていた衣類は棄てた。棚は残っているがその棚の中に収められていたマンガやDVDは全て処分した。それだけでも白い壁紙が見える範囲も広くなった事から部屋が広くさえ感じた。だがその光景にため息を吐いた。前日に諸々の身辺整理を終えてしまった。本当にやる事が無いので直ぐにでも終末ケアセンターに行っても良いと思ったが、「今すぐ死んで来る」とは言えないというジレンマとも言える状況に再び溜息を吐いた。
「最後に家族旅行に行かない?」
その日の夕食時、向かい合わせに食事を取る母親から信勝に対してそんな事が提案された。母親と克行、そして克行の妻子とで旅行に行かないかと。信勝は「……別に良いけど」と、無表情無気力な様子で以って答えた。
◇ 12月10日
この日、信勝の運転する車の後部座席には母親が乗っていた。最期に2人で墓参りをしようとの事で父親の眠る墓地へと向かっていた。道中会話も無く、エンジン音とロードノイズだけが車内に聞こえていた。信勝は何度と通った父親の墓への道のりを「これで最後か」と、次に来る時は自分は骨になっているのだなと、少し感傷気味に車を走らせていた。
墓地に到着すると父親の墓へと向かって、信勝は母親の歩調に合わせて後ろをゆっくりと歩いて行った。
父親が眠る墓の前に到着すると、2人は墓を掃除し花と線香を手向けた。線香の煙がゆらゆらと舞う中、母親が墓に向かって合掌する。母親はもうすぐ信勝がそちらへいくので宜しくという想いを秘めつつ目を瞑り俯き手を合わせていた。信勝も母親の隣でもうすぐ自分が入るであろう墓に向かって目を瞑り俯き手を合わせていた。とはいえ信勝は父親に何を言うでも無く想うでも無かった。ただただ、もうすぐここに自分の骨が埋められるのかと、ずらりと並ぶ墓石に囲まれたその場所に埋められるのかと、風通しも良く見晴らしのいいその場所は何だか寒そうだなと思っているだけであった。
◇ 12月11日
正午前、克行が妻子を伴って自宅へとやって来た。克行は平日である今日明日を有給を取ってやって来た。そして信勝の車に母親、克行、そして克行の妻と娘の5人を乗せ、克行が予約した伊豆の温泉旅館へと信勝の運転で以って向かった。克行が予約した旅館は海沿いの温泉旅館であり、部屋で夕食と朝食を取れるという理由で選んだ場所だった。途中、ご当地名物の海鮮料理屋で軽い食事をし、温泉旅館へ到着したのは午後5時を回った頃だった。
信勝と克行は部屋に荷物を下ろすと早々に2人揃って露天風呂へと向った。小さい頃には父親含めて何度か旅行に行った事はあったが、大人になった後に信勝と克行が旅行するなど初めての事だった。とはいえ思い出話をしたり、互いの背中を流すなどという事はせず、ただただ並んで露天風呂に浸かり、少し冷たい風が吹く中、陽が沈み始めた赤い空を見つめていた。
信勝と克行が露天風呂から部屋に戻ると、大きめの座卓の上には夕食の準備が整っており、海沿いの旅館らしく豪勢な舟盛りの食事が並んでいた。既に風呂から上がっていた母親と克行の妻子は浴衣姿で座卓を囲んで座っており、信勝達が戻るまで食事を待っていた。そして全員が揃った所で大人4人は皆ビールを、子供はジュースを片手に軽く乾杯をして食事を始めた。座卓を囲んだ家族の会話と言えば克行の子供の事がもっぱらである。クラブ活動がどうの勉強がどうの進学がどうのといった事で盛り上がっていた。そんなどこの家族にもありそうな旅行の風景だった。そしてこの日は信勝の話は一切せずに、食事を済ませた5人は早々に床に着いた。
◇ 12月12日
翌日、部屋での朝食を済ました後、5人は部屋でしばし寛ぎ、午前10時のチェックアウト時間が迫って来た所で慌ただしく帰り支度を整え、部屋を後にフロントへと向かった。旅館の支払は克行がクレジットカードで済ました。信勝は「自分が支払う」と申し出たが、克行はそれをやんわりと拒否した。信勝からすれば「どうせ使い道が無い金だし」と思っての申し出だったが「残りの金は最後に全て渡せばいいか」と思い直し、ここは克行の言う通りにした。
旅館を後にした5人は途中、名所巡りをする事となった。信勝は名所に興味は無かったが、母親が孫との旅行をとても楽しんでいた様子だったのでこれも親孝行という思いもあった。しかしこの期に及んでの親孝行というのが少し気恥ずかしくも思えた。と同時に、今まで親孝行など何もしてこなかったなと、もうそれを行う機会は2度と来ない事を少しだけ悔んだ。とはいえこの先生き続けたとしてもそんな真似は出来はしないだろうという思いも同時にあった。若しくは親より少しでも長生きすれば親孝行と言えるのだろうかと。
孫と楽しく話す母親の姿を見ながら信勝は思う。そもそも今回の旅行は誰の思い出になったのだろうかと。自分だろうか、母親だろうかと。自分であればもう直ぐ骨となり消えるだけなのに必要とは言えないだろうと。だったら自分が亡くなった後に来た方が安上がりだっただろうにと。母親の思い出となったのであれば孫との旅行の口実になったと、それは自分があったからこそなのかもなと、ならば少しは役に立ったのだろうかと。
観光も交えて簡単な昼食を皆で摂リ終えると、5人は信勝の運転する車で帰路へと就いた。直接信勝の家には戻らず、最初に克行の自宅へと向い克行と妻子を降ろした。克行の妻は信勝が『終末通知』を受け取った事は聞いていなかった。故に何故こんな時期に有給休暇を取ってまで、しかも母親と義弟と泊まりで旅行に来たのか疑問に思っていた。何かあるのだろうとは感じてはいたが、それを問いただすのは憚られた。それはあまり良い事では無いと、その場の雰囲気で察知していた。そしてこれが信勝と克行の妻子との最後となった。克行の妻子が信勝が亡くなった事を知らされるのは、信勝が亡くなってから数日後の事だった。
◇ 12月13日
信勝は午後0時過ぎに目を覚ました。昨晩は旅行の疲れからか早めの就寝となったが、この時間まで一切眼を覚まさずにぐっすり眠り続けていた。とはいえもう何もやる事も無く、朝の行動を早々に済ませるとリビングのテレビを何気なしに眺め続けた。それも良い加減飽きると部屋へと戻り着替えを済ませ、生まれてからずっと住んでいた自分の町を散歩でもするかと家を後にした。
信勝は車やバイクに乗るようになってからは自分の町を歩く事は殆ど無かった。近所に買い物をする際に歩く事はあっても、町の様子を気にする事無く歩いていただけだった。
だが今、ゆっくりと、じっくりと、町を眺めながら歩いていた。改めて街の様子を眺めていると色々気付く事が多かった。あちこちに新築された家や新しいマンションが増えていた。反対に家が無くなり駐車場や空き地になってしまっている所もあった。名前も顔もうろ覚えの小学校時代の同級生が今も住んでいるのだろうか、それとも別の町へと引っ越したのだろうかとふと思う。目にしてはいても実は見ていなかったのだなと、感慨深げに町の景色を楽しみ歩き続けた。
◇ 12月14日
午前10時過ぎ。起床した信勝はいつもの朝の行動を終えるとリビングのテレビを何気なしに眺め続けた。
いよいよ明日を以って終わりとなる。生まれ育ったこの家で過ごすのも今日が最後となる。かといって特別な事など何もなく何をするでもなく、いつものようにだらだらと過ごした。明日には自分が亡くなるという現実は未だに実感が湧かなかった。ただただ、もう何も考える必要が無くなる事への安心感だけがあった。嬉しい事も楽しい事も、哀しい事も辛い事も全てが無くなる事への安心感。それだけであったが、それが信勝が望んだものでもあり、望みが叶ったといえた。そう考えると全ての力が抜けて行く。あと1回夜を過ごせば終わりはもう目前。終わりの無い仕事が懐かしく思うと同時にあと少しで全てが終りだと思うと笑みすら零れた。
人生を計画的に考え行動してきた訳では無く刹那的に生きてきた。思い通りにいく訳も無いが、最後は自分の望みが叶ったと、嬉しいというよりも安心感に包まれていた。そして信勝は目を閉じゆっくりと呼吸し、1人静かにその日を過ごした。
最後の夕食は母親と二人で食べる鍋だった。そこでふと信勝は思い出した。銀行を解約した際のお金がそっくり残ったままだった。手渡しするのも少し照れるので枕の下に置いておくかと、鍋をつつきながらにそんな事を考えていた。そして信勝は約50年間住んだ我が家での最後の眠りについた。
◇ 12月15日
午前10時過ぎ。目を覚ました信勝は暫くの間ベッドから起き上がらず、天井をみつめたまま横になっていた。
最後の睡眠では夢を見なかった。最期に良い夢でも見れるかなと期待したが良くも悪くも何らの夢を見る事は無かった。今日の夕方には永遠の眠りにつける訳でもあるが、その事を少し残念に思うようにして嘆息すると、ようやくベッドから起き上がり洗面所へと向かった。そして鏡に映る自分を見つめ歯を磨くのもこれが最後かと思いながら歯を磨き、顔を洗うのもこれが最後かと思いながら洗顔を済ませた。洗い終わった顔を鏡越しに見ると髭が伸びていた。今では2週間に一度しか髭を剃っていない。前回剃ったのは1週間前。これも最期だなと思いながら剃り落とした。
全ての事に感傷的になっている自分に気付くと1人鼻で笑った。望んでいた事が目前に控えているのに自分はそれを悲しんでいるのかなと疑問に思うも、これからも人生が続く辛さを思えばやはり有難く思えた。
パジャマ姿のままにダイニングに向かうと、リビングにもダイニングにも母親の姿は無かった。自分が最後の日であるからといって母親の行動を制限するつもりも無いので信勝は気にも留めなかった。そして朝ごはん代わりの牛乳をコップ一杯だけを口にした後に部屋へと戻ると、再びベッドの上へと仰向けに寝転んだ。最期に何かを考えるかなと思いつつ天井を見つめていたが、ふと襲ってきた睡魔に身を委ねた。
それから暫くして、信勝の部屋のドアをコンコンとノックする音がした。その音で信勝は瞬時に目を覚ますと同時に顔を横に、壁に掛かった時計に目をやると、時計の針は午後0時を過ぎていた。信勝は溜息を1回就いてから上半身だけをおもむろに起こすとドアに向かって「はーい」と、気だるさを感じさせる声で以って返事をした。するとドアの向こう側から「お昼ご飯どうする?」と、母親の声がした。信勝は「いつも昼食は食べないのに」と思ったが、直ぐにそれは最期の昼食であると同時に最期の食事であるという事が頭に浮かんだ。それが故に母親が勧めてきたのだろうと。
それから10分後。パジャマから洋服へと着替えを済ませた信勝がダイニングへとやってきた。テーブルの上には湯気の立つカレーライスがよそわれた皿が2つ置いてあった。信勝は無言のままに椅子に座ると、無言のままにスプーンを手にカレーを口にした。信勝にとって久しぶりの昼食、そして最後の昼食でもあり最期の食事でもあるそれは何の変哲も無いただのカレーだった。夕食としてもたまに食べるカレー。それは普段と変わらぬ味がした。
昼食を済ませた後、信勝はリビングのソファに座りテレビを見ながら寛いでいた。信勝の向かいのソファには母親が座り、信勝同様にテレビを何の気なしに眺めていた。2人には一切の会話が無いまま、リビングにはテレビの音だけが響き渡っていた。ふと信勝が時計に目をやると、時計の針は既に午後3時を過ぎていた。
終末ケアセンターの閉館時間は午後5時。その場所までは車で約1時間は掛かる。それを考慮するとそろそろ出ないと間に合わない時間となっていた。実際には今日で無くとも良かったのではあるが、信勝自身が今日で終わりと決め、今日以降の事は一切考えていないだけでもあった。
「じゃあお母さん、そろそろ準備するよ」
信勝はそう言ってソファから立ち上がり自分の部屋へと戻っていった。母親もおもむろに立ち上がると自分の寝室へと向かい支度を始めた。
部屋へと戻った信勝は黒いライダースジャケットを羽織り、机の上に置いてあった財布と終末通知を手にすると部屋の中を見回し暫し眺めていた。50年近くもの期間居座り続けた自分の部屋。殆どの私物が無くなった部屋に、信勝は溜息1つを残して後にした。
リビングへ戻ると同時に「用意できた?」と声をかけるもそこに母親の姿はなかった。まだ用意が出来ていないのかと思いリビングを出て玄関の方へと目線を送ると、そこには既に準備を整え俯き加減に床を見つめる母親の姿があった。母親は普段着の上に灰色のダウンコートを着ただけの姿であった。母親はリビングで信勝を待つつもりでいたが、ソファに座ってしまうと2度と立ち上がる事が出来そうにないと思い、仕方なく玄関で立ったまま待っていた。
信勝はおもむろに玄関へと向かい、土間に立つ母親のすぐ横にしゃがみ込み紐靴を履き始めた。すると不意に玄関のドアがガチャリと開いた。
信勝が顔を上げるとそこには克行が立っていた。信勝はもう2度と家に戻って来る事は無い為に自分の車で行かずにタクシーで行くつもりでいたが、克行が信勝の車で以って送ると申し出た。信勝はその突然の申し出を2つ返事で有り難く受ける事にした。
そして信勝の車の運転席には克行が座り、助手席に信勝、後部座席には母親が座っての計3人で終末ケアセンターへと向かった。車が発進した直後、信勝がチラりと後ろを振り返った。その信勝の目に映るのはもう2度と帰る事のない修繕の跡があちこちに見える古くて痛みの激しい約50年住んだ我が家だった。
克行はカーナビに従って終始無言のままに車を進め、約1時間程で目的地へと到着した。併設されている駐車場に停めた車から3人が降りると、信勝を先頭に建物の正面玄関へと向かった。初めて見たその立派な建物を目にしても克行と母親は何ら思うところは無かった。そして3人はそのまま玄関へと向かい、自動ドアをくぐり受付へと向かった。
「安楽死をお願いしたいのですが」
受付に座る女性に向かって信勝がそう言うと、「少々お待ち下さい。担当をすぐに呼びます」と、女性はそう言って何処かへと電話をかけ始めた。
3人が受付付近で待つ事数分。コツコツと、ゆっくりとした足音が響いて来た。その足音は徐々に3人の方へと近づき、3人の1メートル手前まで来て止まると恭しく頭を下げた。そこには、先日信勝が来た時に応対した終末ケアセンターの職員である井上正継が立っていた。
井上は「では、こちらへどうぞ」と、先日に信勝が来た時と同じ打合せルームへと3人を案内し、信勝ら3人は横一列に椅子へと腰を下ろした。
「では改めて確認させて頂きますが、本日安楽死をご希望されるという事で宜しいでしょうか?」
「はい。お願いします」
「終末日までは残り2週間近くありますが、今日がご希望という事で良いのですか?」
「はい。お願いします」
「分かりました。では最期となる場所についてですが、あちらの庭か当建物の上階にある個室がありますが、どちらが宜しいでしょうか?」
井上は打合せルームから見える庭を手で指し示すと共に、持参していたタブレットで個室の写真を提示した。写真に写る個室からの光景は、ほんの少し高い位置から見る住宅街という何の変哲もない景色だった。
「ああ、そうですね。庭が良いですかね」
「了解致しました。では準備致しますので、こちらで少々お待ち下さい」
井上はそう言って3人を部屋へと残し、建物の奥の方へ去っていった。
井上を待っている間、3人は黙ったままテーブルの上をただただ見つめていた。
暫くして、コロコロと軽い音を立てるキャスター付きのワゴンと共に井上が戻ってきた。
井上が押してきたそのワゴンの上には、一見ブランド品に見える焦げ茶色をメインに金色の装飾が施された万年筆。バインダーに挟まれたA4書類。そして先日サンプルとして信勝が見たのよりも少し幅のある使い古された感じの残る高級そうな木箱が乗せられていた。
その木箱の中には今度は赤いサテン生地のクッションの上にシャンパングラスと呼ばれる細長いグラスと終末ワインが横に寝かされていた。サンプルの時には空だった細長い薄茶色の意匠のある瓶にはどす黒く見える液体が入り、スクリューキャップできっちりと封じられていた。
「では、参りましょうか」
井上は3人に向かってそう言うと、信勝だけが「はい」と言いつつ直ぐに席を立ち、克行と母親は無言のままにおもむろに席を立った。そして井上を含む4人はそのまま部屋を後にした。
ワゴンを押し歩く井上を先頭に信勝ら3人が続き、打合せルームから30メートル程歩かされると、そこには全面ガラスの扉があった。井上が壁に設置された開閉ボタンを押すと両引き戸のガラス扉がゆっくりと開き始め、ドアが完全に開いたところで井上を先頭に4人は庭へと出た。
「お好きな場所へお座りください」
井上が信勝に向かってそう言うと、信勝はゆっくりと庭を見渡した。そして信勝の目に留まったのは1人用の椅子が4つある丸いテーブル。信勝が「じゃあ、あそこで」と指さすと、「承知いたしました。では参りましょうか」と、再び井上を先頭に4人は歩き出した。
井上は芝生の上を書類や万年筆がワゴンの上から落ちない様にとゆっくりと歩き、その後を信勝達が続いた。
最後の場所と決めたテーブルに4人が到着すると信勝は建物を背にした椅子に腰掛け、信勝の正面に勝行、その間の椅子に母親がおもむろに腰掛けた。
井上はテーブルの横にワゴンを置き、「ではこちらをお願いできますか?」と、ワゴンの上のバインダーに挟まれた書類と万年筆を手に取り、テーブルの上、信勝の目の前へと置いた。
「終末ワインを提供するにあたって承諾書に署名が必要となります。こちらが承諾書の書類になりますので御確認頂けますか? 質問や疑問があれば仰って下さい。ご確認頂き問題等無ければこちらにご署名なさって下さい。ご署名なさって頂いた後、こちらの終末ワインを提供致します」
【終末ワイン摂取承諾書】
このワインを摂取すると、直ちに安楽死を迎える事になります。
あなたがそれを望むのであれば、下記に自筆でご署名をお願いします。
そんな短い文面の承諾書で一番下に署名欄。信勝は承諾書を手に取り目を通した。短い文書なので確認する事も特に無く、目の前に置かれた万年筆を手に取りキャップを外すと、署名欄に自分の名前をサッと書き入れ、署名を終えた承諾書と万年筆をテーブルにそっと置いた。
井上は書類を手に取り、名前が正しく記載されている事を確認した後、担当者欄に自らの名前を署名した。
「確認致しました。ありがとうございました」
井上は承諾書と万年筆をワゴンの上に戻すとシャンパングラスをテーブルの上、信勝の目の前へとそっと置いた。そして終末ワインのボトルを手に取り、スクリューキャップの栓を開けた。
井上はそのままシャンパングラスへとそっと注ぎ始め、そのまま全量を注いだ。全量といっても100ccといった量であり、井上は注ぎ終わった空のボトルのキャップを締め、再び木箱の中へと戻した。
「ではこちらの終末ワインを提供させて頂きます。ただ、ご家族様でタイミングを計ってお飲み頂きたいのは山々ですが、職員帯同の下でお飲み頂くという事がルールとなっておりますので、私は少し離れた場所で見させて頂く事を御容赦ください。では」
井上はそう言うと共に一礼し、ワゴンを押しながら10メートル程離れた場所へと向かうと、その場で信勝らの方向へと向き直り、信勝を監視するかのようにして両手を前に組みその場に位置した。
時刻は午後4時半。空を見上げると雲一つ無い空は赤みがかり、直ぐにでも暗くなりそうな状況だった。
信勝の隣りの椅子には高齢の母親が座っていた。俯き嗚咽を漏らしながら泣いていた。信勝の対面の椅子に座る克行は信勝のいる方向とは別方向の遠くを黙って見ていたが、時折、鼻をすする音を漏らしていた。
信勝はテーブルの上、自分の目の前に置かれているグラスをそっと手に取り香りを嗅いだ。ほんのりと甘い香りがした。高級ワインというもの口にした経験はなかったが、高級なワインと呼ばれる物もこんなほんのりと甘い感じの香りなのだろうかと、ふと思った。
3人は家を出てからまだ一言も口を利いていなかった。信勝からすればこの期に及んでの話題がみつからなかった。母親からすれば今際の際の息子に何を言っていいか分からなかった。克行も母親同様であった。
信勝は今の状況を悔しがったり悲しく思ってはいなかったが、改めて思えば色々な人が自分を気に掛けてくれていたんだろうなと思っていた。無人島で一人で居た訳では無く、家族に、地域に、社会に生かされていたのだろうなと思っていた。1人で生活していたならば今頃は餓死していたかもなと、目の前の克行と母親に気付かれぬように1人ほくそ笑むと同時に、全てに於いて申し訳ないなと思っていた。
信勝は目を瞑り天を仰ぐと鼻で深呼吸を1つした。そして目を開いて視線を落とし、目の前におかれたグラスをジッと見つめつつ「よしっ!」と心の中で叫んだ。
「最後までご迷惑をおかけします。今まで有難う御座いました」
最後にそう言い残すとおもむろにグラスに手を伸ばしグッと掴んだ。そしてそのままそっとグラスに口をつけると煽る様にしてワインを喉へと流し込んだ。刹那、信勝は目の前が急激に暗くなっていったのが分かった。
◇
信勝の遺体は母親が引き取ったが、信勝の意向で葬儀は行われずに荼毘へと付された。1人暮らしとなった母親は子供が先に逝ってしまったという現実に塞ぎ込み、遺骨となった信勝は暫く自宅に置かれたままとなっていた。
それを心配した克行が信勝の遺骨を父親が眠る墓へと納骨した。同時に、自分の家族を伴って実家へと引っ越す事を決め、母親と同居するようなった。来年には高校生という大きい孫ではあるが、その孫と一緒に過ごすようになり、母親も徐々にではあるが元気を取り戻していった。
信勝には最後まで死の現実感と言う物が無かった。それを知りえるのは傍にいて残された者達だけであった。
◇
20XX年『終末管理法』制定。制定されると同時に厚生労働省には『終末管理局』が新設された。新設された終末管理局の役割は当局の管理監督の下で、個人に対して個人の終末日、つまり亡くなる日を通知するというのが主な役割である。しかし、あくまでも医療行為、健康診断等の膨大な身体情報を基に本省のコンピュータシステムで計算した物で有る為、事件事故等、不測の事態で亡くなる場合には無意味である。また大病を患っている、持病がある等の場合にも無意味である。この制度は健康体の人物を対象とした福祉の一貫として位置づけられている。
個人に終末日を伝える方法は葉書とされた。毎月の月末日に厚生労働省の本省に設置されているコンピュータシステムで終末日を算出し、同時に終末通知の葉書を作成する。作成後は即刻郵便として全国へと発送される。対象期間は月末日から2か月以内に死亡予測が出た個人宛に発送される。
また、葉書を受領した人達に対する精神ケアの為に、各自治体には『終末ケアセンター』を設置する事も義務付けられた。終末ケアセンターの役割は通知葉書を受領した人達へのカウンセリング、そして安楽死の実施という2つが主な役割とされた。
安楽死の方法は飲料による服毒と定められた。安楽死が目的の為、飲む事によって苦しみを一切伴わず、且つ終末の飲料としても美味しい事も求められた。その要求に対して飲んだ直後から急激な睡眠作用を誘導、同時に脈拍低下が始まり、数分後に完全な心停止する飲料が開発された。そしてその仕様を邪魔しない味を求めた結果、ぶどうを原料としたワインが開発された。
財政的にも公的支援が図られる事になる。終末日を迎えた時に負債があれば公費で負担する事になった。そのかわり、終末日は保険金融業界にも連携され、クレジットカードは即時利用停止となる。終末日以降はローンも組めず、銀行の現預金か現金決済のみとされた。
終末日以降の自殺での保険金搾取も考慮し生命保険も停止という措置がなされる。そのかわり傷病での医療費の負担は公費で全額なされる。資産の相続についても軽減措置がなされ、名義変更が必要な家や車と言った資産については、妻子を優先に自治体のシステムで、自動的に名義変更まで行われる。
遺体の引き取り先が無い、若しくは引き取りを拒否された場合には自治体により火葬納骨まで行われる。その際は自治体の共同無縁墓地へと埋葬される。これは行旅死亡人と同様の扱いである。
終末を通知された人が自暴自棄になる事も想定され、人は勿論、社会に対して破壊衝動に駆られる危険性を考慮の上、終末管理局にてそれらの衝動に駆られそうな危険人物の特定も行われる事になった。これも本省の最新のコンピュータシステムで過去の実績等(事件事故等)の警察情報をデータベース化し、システムにより人物抽出される。これらを担うのは終末管理局直轄の部門で『終管Gメン』と呼ばれた。終管Gメンは、警察庁との情報を含めた密な連携を取り、対象者の監視拘束を行う。そして一度拘束されると終末日まで拘束される事になる。それ程の強権を発動する事に対して賛否は拮抗しているが、終末日の通知は残りの時間を有意義に過ごすという福祉の一貫であるにも関わらず、個人の身勝手な破壊衝動に対しては、社会の安定を第一に考え、強権を持って抑えるというものである。
終末日を知らせる葉書は『終末通知』と呼ばれた。
そして、安楽死を行う飲料は『終末ワイン』と呼んだ。
2019年 11月24日6版 誤字含む諸々改稿
2018年 12月07日5版 誤字修正、描写変更、冒頭説明を最下部へ移動
2018年 10月13日4版 誤字修正、描写追加変更他
2018年 09月26日3版 誤字修正、冒頭説明追加
2018年 09月14日2版 縦書き考慮修正
2018年 09月09日初版