第61話「アルマゲドン」
「なにをふざ……」
「いいでしょう」
魔王の言葉を遮り、悪魔の紳士ルーシーがアキラへ楽しげに答えた。
口元には笑みをたたえている。
「ルーシー、貴様!」
魔王の怒りを受けても、ルーシーは涼しい顔をしている。
「フフフ、ですが……アキラくん、それはあなたが魔王様を倒せればの話。
それを見極めるため、今回の戦いは傍観いたします」
アキラはルーシーの言葉を聞き、決意を秘めた顔でうなずいた。
アステリアがアキラの隣に並び、優しさを含んだ声でクトゥルーに呼びかける。
「クトゥルー、アキラ様の元へ来てちょうだい。
今のアキラ様なら、あなたの愛する者を大事にしてくださるわ。
私の近衛騎士たち、お前たちも来てください」
アステリアの部下たちは彼女離反に戸惑っている。
長が寝返ったいま、どうすればいいのか分からなくなっているのだろう。
魔王は微かに冷笑を浮かべてアステリアをバカにする。
「お前の近衛騎士ではない。私のだ。魔族たちは私の所有物なのだよ」
その言葉が発せられた瞬間、心が決まったのか、アステリアの騎士たちは直立不動の姿勢をとり、魔王への恭順を示した。
「「我等、魔王陛下のために!!」」
アステリアは悲しそうに目を伏せた。
「アステリア、大丈夫だよ。キミの部下を傷つけはしない。
彼らもボクの味方にするんだからね」
「アキラ様……」
アステリアはアキラに抱きつきそうになったが、状況が状況だ。なんとか自制する。
クトゥルーはこの状況を判断しかねおし黙っている。
わずかに頭部を動かし、近くに立つ愛するナイアーラの姿を見つめる。
クトゥルーは最善を考えた。
魔法少女レレナを倒したアステリアたちの力、あれはアキラの加護だろうと推測する。
クトゥルーも眷属を強化する力を有しており、それと同じ現象だと感じた。
アステリアにカノン、そして西野は、今やアキラの加護を得て自分たちを圧倒する力があるのだ。
では、自分が取るべき行動は忠義に基づいた加勢なのか、それとも愛する者を守ることか。
相手が格上とみるや裏切るようで、アキラに味方するというのはあまりに魔族として情けない。
彼我の戦力差を考えると、魔神アキラは言わずもがな、アステリアたちすらも愛しきナイアーラ、さらに自分さえもあっという間に消し去る力を発揮できる。
己が消え去るのは構わないが、ナイアーラが消滅するのは耐えられない。
だが自分は誇り高き魔王軍の第一軍団長だ。
盲目的に従うなどありえない。全力で戦うことこそ魔族の誉であると信じる。
「我は陛下より第一軍団を任せられし者だ。
我を欲しいと言うならば、我と我が眷属、そして魔王陛下を倒して見よ!」
死力を尽くして立ち向かい、それでもアキラが勝つのなら、その時は潔く従おう。
そう決意した。
アキラはクトゥルーの言葉に満足し、大きくうなずく。
魔王の顔がさらに怒りで歪んだが、すぐに怒りは嘲笑へと変わった。
「魔族らしい考えだ。強い者の下につく、それは大いに結構だ。
どのみち、神代アキラは私に殺されるのだ。
その提案は無意味になる」
傲慢な魔王の態度にアステリアが怒りで眉をしかめて口を開こうとするが、アキラがなだめるように背中を優しく叩き、彼女へ微笑んだ。
アステリアも嬉しそうにアキラへ微笑み返す。
たったそれだけのことで心臓の鼓動が高鳴り、幸せな気持ちが心と体の中に満ち満ちていく。
これほどの高揚感を味わったことがかつてあっただろうか。
愛する人から大切に思われる。
(私が心から欲しかったものを、アキラ様は与えてくださる……)
大天使ミカエル、機械騎士レイザノール、死霊使いイザナミは、ルーシーとクトゥルーの裏切り宣言に動揺する。
魔法少女レレナを圧倒した力を見せられた後では、その判断は間違っていないと思う。
しかし、魔王に対する裏切りを許すわけにはいかない。
ミカエルは大きく猛禽類のような翼を広げ、裏切り者たちへ蔑みの目を向ける。ルーシーへと突撃し、光の槍ロンギヌスを突き出した。
ルーシーはそれを片手で難なく掴み取った。
「なんと!?」
驚きの声を上げるミカエル。
ルーシーはただ微笑み、光彩の無い瞳で何の感情も浮かべぬままミカエルを見つめた。
漆黒の目はミカエルさえも凍てつかせる深淵の暗黒だった。
その暗黒を振り払うようにミカエルは睨みつけた。
「私は魔王陛下へ永遠の忠誠を誓った者なり。
ゆえに陛下が滅びるならば私も同じく滅しよう。
ルーシーよ、お前もそうであるからこそ、あのとき再び忠誠を誓ったのではないのか」
魔族の紳士ルーシーは掴んだ槍を離し、肩をすくめた。
「ミカエル、あなたが15年ぶりに私の元へやってきたとき、陛下のご帰還を聞かされました」
ミカエルは槍をいつでも突き出せるよう構えを取り、忌々しそうにルーシーを見た。
「ルーシー……あの時はお前と戦うことになると考えていた。
お前たちは神代アキラを魔王陛下だと信じているようだと、レレナから報告を受けていたのでな。
私の話を信じず、神代アキラにつくと思っておった。
だがお前とレイザノールは、神代アキラが魔王様と似ているだけの別人だと分かっていたようで、安心したのだが」
ルーシーは笑いを堪えきれないというように、口元を手で押さえた。
「フフフ、私にはアキラくんでも良かったのですよ。
楽しそうな方につくだけです。
ただの人間が我等魔族の中でどう魔王を演じるのだろうと思いを馳せると、楽しくて仕方ありませんでしたよ」
「愚かなり……魔王陛下と私たちは15年前、神代アキラに襲われ、陛下は命を落とされた。
同行していた私とイザナミは瀕死ながらも辛うじて生き残り、駆けつけたレレナのおかげで一命をとりとめた。
そやつは我らの敵ぞ」
「フフフ、違うでしょう? アキラくんにとって敵なのは魔王陛下です。
あなたたちが生き残ったのは、敵と思われていなかったからですよ」
ミカエルの顔は怒りに燃えた。彼の配下、天使の軍勢も怒りに顔を歪ませ、ルーシーを断罪する。
「「魔王陛下の敵は、我等の敵!」」
「天使諸君、その通りだ。
神代アキラに天罰を与えるため、我とイザナミ、そしてレレナはその日より陛下のご復活をお手伝いした。
陛下を死なせてしまったのは私とイザナミの大失態だ。
陛下復活のために今日まで一度も城に戻らず、地獄界を延々と旅してきたのだ」
アキラは困惑した表情でミカエルたちを見た。
(ボク、そんな記憶ないんだけどな……
まぁ記憶の大半を封じられてるし、そうだったのかもしれないけど……
何のために魔王を襲ったんだろうか)
ルーシーは楽しそうにうなずく。
「ええ、そうでしたね。私もそれを聞いてびっくりでした。
元帥ヤハウェ様が地獄世界にいるあなたたちの元に現れ、魔王様が帰還されたと仰ったようですね。
それを聞いてレレナは魔族の城に急いで戻ったとか。
ククク、レレナはビックリしたでしょうね。
魔王様の復活がまだのはずなのに、なぜか玉座に魔王様が座ってらしたのだから。
それがアキラくんだったわけですが……」
アキラが驚きに大口を開けてしまった。
(え!? レレナがボクを魔王の城へ連れてきたんじゃないの?
元帥ヤハウェだって? 誰だそいつは)
ミカエルが目を細め、心に渦巻く怒りを抑えるため緩やかに翼を動かした。
「レレナはずいぶん困惑していた。
私とイザナミがウソをついてるのかと問いただしてきたくらいだ。
だがレレナは我らを信じてくれた。
死の世界を旅するなど、正気の沙汰ではないからな。
レレナは、魔王陛下復活のため、危険を犯す我らの行動を信じてくれたのだ」
ルーシーの顔が紅潮して目が潤み、恋する乙女のような表情を浮かべる。
「元帥は何の目的があってあなたたちに陛下のご帰還を伝えたのでしょうね。
アキラくんをなぜ魔王と偽ったのでしょうか?
いいえ、元帥もアキラくんを魔王だと思ったのでしょうか?
そもそも元帥は今どこにいるのですか。
ああ、知りたいです……私は神のように、全知を得たいのです。
ですから、まだ滅びるわけにはいかないのですよ。フフフ……」
ルーシーは肩を揺らして笑う。
「小賢しい悪魔め。お前は今日ここで神の怒りに触れ、滅びるのだ」
ミカエルが再び激しい突きを繰り出す。
ルーシーの腹が槍で貫かれ、体がくの字に折れ曲がった。
だがミカエルの攻撃は止むことなく、ルーシーは体中を穴だらけにされていく。
「愚かなりルーシー」
穴だらけになったルーシーは微笑みを浮かべたまま、幻影のように消え去った。
「滅したか……」
「いいえ、あなたの後ろにいますよ?」
ギクリと驚いて振り向くミカエル。ルーシーはなにごともなかったように、ミカエルと背中合わせで立っていた。
「ミカエル、あなたは先ほど私の瞳の奥底、氷結地獄を覗いてしまいました。
その時点であなたの負けですよ。
絶対零度の世界はあなたの体を蝕み、いつもの1/10程度も力を発揮できないでしょう……フフフ。
現にあなたは私の動きが見えていないのですから」
魔王が禍々しい赤いオーラを放ち一歩前に進み出た。
それだけで場が一瞬にして静まりかえった。
「くだらん、神代アキラよ……
もういいだろう? かかってこい」
クトゥルー、レイザノール、イザナミが、その言葉を号令として襲いかかってくる。
アステリアはクトゥルーに挑みかかり、西野はレイザノールへと斬りかかった。
イザナミの前にはカノンが立ち塞がった。
激しく熾烈な戦いが各所で起こる。
☆
「アキラ様の邪魔はさせません!」
吼えるアステリアに対してクトゥルーと眷属たちが一斉に襲いかかる。
炎を抑制し、誰一人死なないように力をふるうアステリア。
「アステリア様、我等をなめてもらっては困る」
眷属たち一人一人が防御魔法を唱え、全員にかけていく。
「こ、これは……」
力を抑えていたアステリアは、魔法によって防護された眷属1匹にすらダメージを負わせられなくなった。
「エルフがやっていたであろう、魔法の重ねがけだ」
「なるほど……ならば力を抑える意味なんてなくなったわね……」
アステリアが炎を一気に噴き上げる。その炎には黒炎も混じっている。
眷属たちが防御魔法を重ねた障壁は恐ろしいほど堅固になっている。
いくらアステリアの炎が苛烈であっても、障壁を打ち破る前にクトゥルーの攻撃を喰らってしまう。
「とんでもない力ね……」
☆
「ぐあ!」
西野の苦痛に喘ぐ声があがった。
機械騎士レイザノールの攻撃を完全には防げない。
光速を超える剣でさえやっかい極まりないのに、過去や未来も斬り伏せる剣技。
わずかずつだが西野が押されていく。
アキラの加護である黒い炎が西野の剣にまとわりついていなければ、あっという間にやられていたかもしれない。
レイザノールの剣に微かでも触れることで、彼の武器を灰と化せた。
僅かに黒炎を接触させることが精一杯だというのが正解か。
それに加えてレイザノール配下のロボットたちがミサイルや弾丸を撃ちまくる。
それらを回避するだけで精一杯だった。
「女の子一人に、大勢って卑怯じゃない?」
それでも西野はレイザノールへ不敵に笑いかける。
「テキ、ハ、テキ(プシュー)」
「あ、そう……騎士の格好してるくせに、ぜんぜん騎士道に則ってないのね。
でも、あなたの邪魔さえできればいいの」
「ソウハ、イカヌ、ヘイカ、カセイスル(ギギギ)」
「ああもう、油差しなさい! うるさいわ!」
☆
「死を……死を……白き骨よ」
イザナミの呪いであっという間に腕が骨へと化していくカノン。
「あぐぅぅ!」
しかし全身に呪いが回る前にすかさず腕を斬り落とし、治癒魔法を唱える。
瞬時に腕が再生したのを見て、イザナミが驚愕する。
「あなた、ほんとメイド? すごい……死、与えたい」
「私はあなたを止めたいだけ!」
「溶けよ、溶けよ、骨まで、溶け……」
イザナミがふたたび呪を唱え終わる前に、カノンが掌底を突き出し、鋭い蹴りを放つ。
イザナミは辛うじて直撃を避けたが、アキラの加護を受けたカノンの足の先がかすっただけで右肩が灰となった。
「どっち、先に、チリとなる。楽しい、楽しい」
「楽しくありません!」
魔族の幹部と戦うなんて、つい最近までありえない話だった。
カノンは魔族の一番下、奴隷階級だったのだから。
だがいまはアキラを守る力を備え、アキラの役に立てることに喜びを感じている。
「アキラさんの邪魔はさせませんよ」
☆
「やれやれ……俺は一流冒険者だと自負があったんだがねぇ。
まぁ雑魚はまかせてくれ……足止めくらいならできると思うぜ」
ダーツが数人の魔族を前に不敵に笑う。
魔族の中には隙をついてアキラを襲おうとする者もいた。
そんなよこしまな考えを思いつくのは魔族でも下っ端だが、ただの人間であるダーツにとっては十分強敵であるはずだった。
「ほらよ!」
アステリアから借りた小剣は黒い炎をまとっている。頑健なはずの魔族たちの腕や脚をあっさりと切り裂いていく。
魔族は斬撃を阻止しようと必死にダーツに襲いかかるが、軽々とかわされてしまう。
決してダーツが人を超える神速の動きをしているわけではない。
だが魔族の一撃がダーツを捉える直前、すでにそこにいない。
「こいつ、本当に人間か? なぜ我らの攻撃が当たらないんだ……」
「アキラの邪魔だけはさせねぇぜ」
危険を察知する心眼を得て、アキラの加護を受けた今、下っ端の魔族程度ではダーツの相手は務まらないようだった。
ダーツはふと思う。
剣に宿る黒い炎、アキラから吹き上がる黒い霧。
そして今も見える命の危険を知らせてくれる黒いモヤ。
心眼とは、アキラの加護なのではないか……と。
確信はないが、アキラがずっと人間に味方していたのではと考えてしまった。
☆
アキラと魔王が対峙し、静かに見つめ合う。
「ボク、かなり記憶が封じられてるけど……微かに覚えてることがあるんだ」
アキラが魔王を睨みつけると、アキラの瞳から黒い霧が大きく揺らめき立った。
「魔王、ボクがお前と似てるんじゃない。
お前がボクに似てるんだ。
いや、似せたんじゃないのか? ……何のためにそんなことをした。
お前は何者だ」
アキラの声を聞いた魔族たちが大きくどよめいた。
アキラは魔族たちにも聞こえるようにわざと大きな声でしゃべったのだ。
魔王こそ、自分の偽者であるとアピールするために。
アステリアもかなり動揺した。
数千年も愛してきた魔王が、まさかアキラの姿を真似ただけとは。
「私は魔王だよ」
魔王はただそれだけしか発しない。
アキラはさらに問い詰める。
「この世界の次元の亀裂、これもお前の仕業だろう?」
「それがどうした? 私は次元世界をすべて支配するつもりだ。
この世界にもただ支配のための攻撃を仕掛けているだけだよ?」
西野はそれを聞いて衝撃を受け、立ち止まってしまった。
アキラが次元を開き、魔物を送り込んでいるとずっと思いこんでいたからだ。
いや、勇者メーヤがそう教えてくれたのだ。
メーヤが勘違いをしていた? そんなはずはないと西野は思う。
なぜなら勇者メーヤとは――――
アキラの口から漆黒の霧が吐き出される。
瞳から立ち上る黒い揺らめきは、激しい怒りで天を衝くほどになっていた。
「よくも西野さんたちを苦しめたな……
ボクはお前を許さない」
「来るがいい、神代アキラ」
アキラは自分の力がふたたび思い通りに行使できるのを感じていた。
深い懊悩で心が散れ散れに乱れていたため、力の制御ができなくなっていただけだ。
一つにまとまったことで真の力が発揮される。
身体に漆黒の霧をまとう。小さな雷が霧の中で弾ける。
アキラは魔王へと疾駆した。
赤いオーラを纏った魔王がアキラを迎え撃つ。
赤と黒が触れ、互いの力を打ち消し合う。
「なぜだろう、キミとは手を結べない気がしている」
「その通りだ、神代アキラ。我らは明確な敵だ」
「そう、残念だ。倒すしかないんだね……」
「神代アキラ、お前を倒すために数千年待ち続けたのだ。
次元を超え、強大な軍団を作り上げ、お前の出現を待ちわびていた。
だがゴミを集めてもゴミでしかなかったようだ。
結局私がやるしかないのだ」
「なぜそんなにボクを……聞いても教えてくれないんだろうけど」
魔王の顔が憤怒で歪んでいく。
赤いオーラはさらに濃さを増し、アキラの黒い霧を打ち消していく。
「びっくりだ。ボクの黒い霧に対抗できるなんて……
本当に何者なんだ……」
魔王はアキラと会話を続ける気がないのか、もう何も答えてはこなかった。
アキラも魔王を倒すことだけに集中する。
お互いの顔が邪悪に歪み、赤と黒が混じり合っていく。
渦を巻き、荒れ狂う竜巻と変化する。
互いの体の輪郭がぼやけ、アキラは黒い霧へと変貌し、魔王は赤い光となっていく。
「ぐおおおおおおお!!」
「がああああああああ!!」
互いの雄叫びだけが周囲にこだまする。
魔王の真紅の光は触れるものを一瞬にして破壊する。
だが魔族や人間に被害が及ばないように、黒い霧が赤い光を包み込む。
「アキラ様!」
アキラを憂い、同時に勝利を願うアステリアの声。
「アキラくん!!」
西野も同じくアキラの帰還を願う。
「アキラさん!!!」
カノンはただ、無事でいて欲しいと願う。
「アキラ……」
ダーツも願う。カザリとタイラーのために帰ってこいと。
アキラと魔王の周囲ではいつの間にか戦いが止み、ただ2人の戦いの行方を見守っていた。