第58話「始まりと終わりの魔神」
「は? ……ま、魔神?」
ダーツは命夜の言葉がとっさに理解できず、間の抜けた声で問い返した。
「始まりと終わりの魔神よ」
西野が命夜に代わって答える。
「なんだよそれ? アキラはどうなったんだよ。
元に戻った……ようには見えないが……」
「元に戻ったどころか悪化したわ」
「……は?
どういうことだよ、なんで悪化しちまうんだよ!」
西野を責めても仕方ないとは分かっているが、魔族のアステリアまでもが力を合わせて必死でアキラを元へ戻そうとしたのだ。
悪化したと言われたことで自分たちの努力が否定されたようで、つい彼女につらくあたってしまった。
始まりと終わりの魔神などという意味の分からないモノに変貌したアキラが心配で、いても立ってもいられない。
「よく分からないが、これからどうすればいいんだ?」
タイラーもダーツと同じ気持ちで解決策を問う。
「無理なんです……」
カノンが震えながら首を横に振った。
西野とカノンは何かを知っているのか、大地へと座り込んでしまった。
2人の顔は絶望にまみれ、力なくただ涙を流していた。
「カノン、お前まで! 無理って、どういうワケだ!?
納得いかねぇぞ! まだアキラはそこにいる。
諦めるな!」
アキラは少し寂しげに、だが優しく彼女たちへ笑顔を振りまいた。
「西野さん、カノン……」
声をかけられた西野とカノンは狼に狙われた小動物のように怯え、体がビクリと跳ねた。
アキラはその様子を見て、悲しそうに苦笑する。
「ダーツさん、タイラーさん、本当にありがとう。
ボク、いっぱい傷つけちゃった……
ごめんなさい……」
「アキラ……お前、戻ったのか?」
ダーツたちにゆっくりとうなずく。
優しく明るい笑顔を見せるアキラは以前のままに見える。
ただ違うのは、長く伸びた白い髪、目から漏れ出る黒い炎。
無邪気なまでの笑顔を振りまく姿は、まさに元のアキラだった。
アステリアはアキラから片時も目を離さないまま、よろよろと歩いて近づく。
滝のように涙を流しながらも、顔には笑顔が浮かんでいる。
「アキラ……様……」
アキラは慈愛に満ちた優しい目をアステリアに向けた。
「アステリア……」
ゆっくりと手を差し伸べるアキラ。
「ああ! アキラ様!!」
アステリアは歓喜のあまり、勢いよく駆け寄ってアキラの前でひざまずく。
アキラは壊れ物を扱うように、そんなアステリアの頭を優しく撫でる。
「あああ、アキラ様……私は信じておりました!
必ず私の元に帰ってきてくださると……」
「うん、キミのおかげだよ。いっぱい……いっぱい傷つけてごめんね……
ボクはキミにどう詫びればいいんだろうか」
アステリアは慈愛に満ちた言葉に顔を赤らめ、感極まったのか嗚咽をもらして泣き出した。
「ア……キラさまぁ……
わだじ……わだじ……がんばりまじだ……」
アキラは胸の中で穏やかにアステリアを抱きしめた。
その目から黒い雫が流れ落ちる。
「アステリア、皆を守ってくれたんだね。
みんな元気そうだ。
クトゥルーもありがとう」
クトゥルーはやや焦りを見せながらも、巨大な頭を下げて臣下の礼を取る。
「はっ……ありがたきお言葉」
アステリアが甘えるようにアキラの柔らかな肌の触感を頬で感じていると、アキラがくすぐったそうに笑う。
「あ、アステリアくすぐ……
って? あああ!? ボク裸じゃないか!」
「ああ! アキラ様、お美しいお身体を下賤の輩どもの前に晒させたご無礼お許しくださいませ。
私だけが見ていいものですからね!」
アステリアが胸の谷間からおもむろに宝玉を取り出し、アキラに差し出した。
アキラはあたふたと両手で大事な部分を隠し、真っ白な肌を朱に染めた。
周りにいるダーツたちを見回すと、大勢に見られていることを意識してさらに顔を赤くし、思わずしゃがみこんだ。
「皆……一言くらい言ってよ……」
西野やカノン、命夜はそのアキラの反応を見て、訝しむ視線を投げた。
あまりにもいつもと変わらぬアキラの様子に首を傾げた。
アキラは片手で宝玉を受け取るとジロジロと眺めた。
「ん? これって魔族のレイスター城で着てたボクの服だね?」
「はい、いつでもお渡しできるよう、肌身離さず持っておりました」
「こ、この姿も恥ずかしいけど……ないよりはいいか」
アキラは苦笑しつつ、宝玉に命じた。
「えっと確か……衣となりてボクを護れ……だっけ?」
アキラが命じると同時に宝玉がほんのり光り輝き、その体を黒いマントが覆う。
黒のブーツに手袋、レオタード姿だ。
「相変わらずはみ出そう……」
アキラは顔を真っ赤にしながら、ぽつりと呟いた。
ダーツは以前のままのアキラの様子を目の当たりにして、カノンたちが何を恐れているのか分からずに戸惑う。
確かに姿は変わったが、その言動は明らかに優しく気弱ないつものアキラだった。
思わず命夜の言い分が本当に正しいのかと疑問に感じ、命夜とアキラを交互に見つめてしまう。
命夜が厳しい顔つきでアキラに問いかけた。
「アキラ、カザリ、どうする?」
アキラはゆっくりと命夜に振り向き、微笑んだ。
「カザリさんを……生き返らせたい」
命夜、カノン、西野は予想外の言葉に驚愕した。
「か、神代くん、あなた本当にいつものアキラくんなの?」
西野が思わずアキラへ駆け寄りかかるが、踏みとどまって恐る恐る問う。
「いつもの……って言われると、よく分かんないけど……
西野さん、ごめんね……記憶が曖昧なんだけど、あの巨大な姿になっていたときを、うっすらとは覚えてるんだ。
会えてとっても嬉しかったのに……西野さんにひどいことを……」
「アキラくん……」
「でも、元気そうで良かった西野さん……すごく会いたかった」
その言葉で西野も我慢の限界に来たのか、一瞬足元をよろけさせながらもアキラの元へ駆けだした。
「アキラくん!」
「西野さん!」
そのまま抱きつきそうになる西野とアキラの間へアステリアがさっと割り込む。
瞳に炎をたたえながら、西野を恐ろしい目つきで睨む。
「アキラ様へ不用意に近づかないで」
西野がアステリアに負けじと睨み返す。
「あなたね……自分だけ抱きついておいて……」
「アステリア……」
そんな2人のやり取りに思わず呆れて、アキラは苦笑してしまう。
アステリアの背中越しに西野へ微笑んで見せた。
西野はその笑顔を見て心から安堵し、アキラに手を振って見せた。
「アキラくん……良かった……おかえりなさい」
カノンはいまだ迷っていた。
自分の中で繋がっている偉大なる力の源が、アキラは今も危険だと叫んでいる。
(で、でも……あのアキラさんは、いつも通りに見えるのに……)
自分の命を救ってくれ、力を貸してくれる偉大なるモノが、なぜ恐れているのか。
カノンには分からなかった。
「アキラ……さん……」
アキラは涼やかな笑顔でカノンをじっと見つめた。
見つめられただけで、心の中に渦巻く恐れや迷いを捨て、駆け寄りたかった。
命夜を横目で見ると、どう接するべきなのかカノンと同じく迷っているようだ。
「カノン、無事でよかった……」
その一言だけでカノンの足が勝手に動き出し、アキラの元へ走り寄っていた。
西野と違って今度はアステリアの邪魔はなかった。
カノンはそのままアキラの胸にすがるように抱きついた。
「アキラさん……」
「カノン……」
アステリアは奴隷身分のメイドが王に抱きつくとは思っておらず、まさかの行動に目を丸くして硬直する。
「カ、カノン!? あなた、メ、メイドでありながら!?」
「も、申し訳ありません!」
カノンは驚きと妬みと怒りで裏返ったアステリアの声を聞き、思わずアキラから飛び跳ねるように離れた。
アキラはそんなアステリアとカノンのやり取りを見て笑い出した。
アステリアとカノンも笑うアキラを見ながら優しく微笑んだ。
アキラを警戒していたカノンが走り寄り、かつてのような睦まじいやり取りを繰り広げるのを見て、ダーツたちも安堵の息をついてアキラの元へと走った。
「アキラ! このヤロウ……心配させやがって……」
「ダーツさん……ごめんなさい」
タイラーも元に戻ったアキラに喜び、笑顔を見せていた。
「アキラ……」
「タイラーさん、いっぱい痛いことしてごめんなさい……」
「いいんだ……お前が元に戻れたらそれでいい」
「おかしい……魔神なったはず、なぜアキラいつも通り?」
アキラを中心とした輪から外れたところで、命夜はいまだ疑っている。
タトスはアキラと初めて出会ったので、どんな人物かは分からなかったが、そこにいるのはとても温厚で優しそうな少年にしか見えなかった。
天使のように美しくて柔和な顔つきのため、より一層そう感じさせた。
禍々しい黒炎がそれを打ち消してはいたが。
「俺には分かりません……ただの人間ではないというのは分かります。
ですが、命夜様の言うような危険は感じませんが……」
アキラが命夜とタトスの元へ歩み寄って来た。
思わず緊張で体をこわばらせる命夜。
エリュシオンの体を抱えているタトスにも、命夜の緊張が肌を通して伝わり、つられて警戒するように身構えてしまう。
「お母さん……」
アキラが命夜に向けてポツリと呟くと、全員が素っ頓狂な絶叫を上げた。
「「えええええ!?」」
西野はアキラの肩をがっちり掴むと、思わず大声で聞いてしまった。
「命夜さんって、アキラくんのお母さんなの!?」
「え? うん、そうだよ」
全員の目が命夜の乗り移るエリュシオンへと注がれた。
「ま、母です」
命夜がうなずくと、全員が信じられないとまた絶叫を上げた。
焦ったアステリアが命夜に向かって何度も頭を下げる。
「アキラ様のお母さまとはつゆ知らず、無礼なことを……」
そうやって頭を下げつつも、いまだアステリアの中では、なぜか命夜に対して敵意がくすぶっている。
「アキラ、お前、自分がナニか、わかる?」
「え? ボク?」
「そう、お前、今、始まりと終わりの魔神」
「なんのこと?」
「………ウソつけ……お前、知ってるはず」
「魔神ね……なるほど……」
アキラの口調が突然冷たいものへ変わった。
「お母さんはさすがに誤魔化せないね」
その言葉を聞いた西野とカノンの顔色が一瞬にして蒼白になった。
アキラの言葉でその場にいる全員が凍りついてしまったように静寂が訪れた。
ダーツはなにがなんだか分からず、問い返す。
「な、なんだ? どうしたんだ?
アキラはもう大丈夫なんじゃ……」
全てを言い終わる前にダーツには見えてしまった。
自分に死の黒いモヤがまとわりついたのを。
いや、自分だけではない。ここにいる全員の身体にモヤが見えた。
ダーツは事態がよく分からないながらも、本能で反射的に叫んだ。
「ここから全員離れろおぉぉぉぉぉぉ!!!!」
アキラの顔が凶悪に歪み、口から黒い霧が吐き出される。
目に宿る漆黒の炎が身長の倍ほどまでに延びて、空へと揺らめき立った。
天を衝くほどの巨大で激しい黒い暴風が、アキラを中心に吹き荒れた。
まるで竜巻のように天空へと巻き上げる黒い霧が、全員の体を引き裂いていく。
ほとんど反射的に飛び退いてかわしたものの、西野やカノンの四肢が吹き飛び、アステリアも黒い霧によって下半身が消し飛ぶ。
クトゥルーも防御が間に合わず、触手がもぎとられて吹き飛んだ。
タトスはエリュシオンを庇いながら、とっさに跳ね飛んでかわした。
黒い渦に巻き込まれ、太ももから先が引きちぎられたが、それでも胸に抱えた彼女を守るために両腕で抱きしめた。
暴風で吹き飛ばされ、大地に打ちつけられても、エリュシオンに傷一つ負わせないように自分の体をクッションにして転がった。
黒いモヤを見ていち早く神速で飛び退いたダーツだが、左脚の膝から下を失った。
しかしダーツは自身の体を顧みずにタイラーの名を叫んだ。
一瞬逃げ遅れたタイラーの首が、手が、脚が……引きちぎれていくのをダーツは目撃した。
だがバラバラになっていくタイラーの顔は穏やかで、俺のことは気にするなと呟いたように見えた。
その一瞬後、タイラーの顔が細切れになり、黒い霧へ巻き込まれ、天へと巻き上げられていった。
「タイラぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ダーツの絶叫があたりに響き渡る。
「あーあ……皆を安らかに死なせるつもりが……
ダーツさん、ひどいや……」
ダーツはその言葉が信じられなかった。
いや、一瞬で理解した。やはりアキラは元に戻ってはいなかったのだ。
「アキラ……タイラーが死んじまった……」
「そうだね、タイラーさんは安らかに逝ったよ。苦しまなかった」
「アキラ……お前……」
元のアキラではないと分かってはいても、憎しみの声がのどをついて出た。
四肢を失ったカノンは気絶していて回復は見込めない。
カノン以外に回復魔法を使えるアステリアは、下半身を失った状態で人間の姿に戻っていた。
魔力を吸い取られたのか、炎が消えて黒髪になっている。
クトゥルーも同じく人間の姿で右手と両足が無かった。
命夜が憑りついたエリュシオンは辛うじて身を起こしていたが、彼女を庇ったタトスは倒れ込んだままで、気を失っているようだった。
西野も失った腕をもう片方の無事な腕で押さえていた。
☆
「ヒュプテ様……」
ヘイラの震える声が聞こえたが、ヒュプテはそれには答えずに惨状を見守っていた。
かなりの距離があり、瓦礫の陰に隠れているとはいえ、魔神となったアキラはこちらのことを気づいているだろうとヘイラは思った。
「あれは……危険なのでは……
やはり魔族など、信用してはいけなかったんです。
まさか同士討ちまでするとは……」
声が聞こえないゆえ、一体なにが起こったのか把握することができなかった。
しかし巨大な魔神が人間の姿となり、しばらくして周りの者をすべて吹き飛ばしたのは観察していて分かった。
果たして何人が生きているのか……とヘイラは考える。
このままでは元の世界に戻ることができず、化け物が跋扈する危険な世界で主のヒュプテを守っていかねばならない。
しかし、ヒュプテからどうすべきかという判断は何も聞けず、ただじっと行く末を見ているしかできなかった。
そのとき、天空より幾筋もの光が地上に落ちるのがヘイラの視界に映った。
「ヒュプテ様、あ、あれは?」
ヒュプテも光の筋をじっと見つめていた。
☆
「さあ、皆、楽にしてあげる」
アキラが慈愛に満ちた瞳のままでダーツをじっと見た。
いつものように明るく、無邪気な笑顔は変わらない。
「アキラ……やめろ! お前はそんなヤツじゃないだろ……」
「え?」
「お前は優しくて……いつも……」
「ダーツさん……ボクは変わってないよ。
この先訪れる絶望の未来で、皆を苦しめたくないんだ」
「なんなんだよ、その未来って……」
「アイツは……原初は言っていた。【救済の日】だと」
「救済?」
「あんなものは救済じゃない……あれは地獄だ。
ボクはそんな世界でダーツさんたちに苦しんで欲しくないんだ」
「へ……やっぱお前アキラじゃねぇな……」
「………」
「死んで救われるモノなんざねえよ!
誰より命の大切さを知っているアキラなら、そんなこと言わないんだよ!!」
「ボクの優しさが分からないなんて……
こんなに皆を愛しているからこそ苦しめたくないのに」
「そんなものは愛じゃねぇ。ただの押しつけっていうんだ。
誰がそんなもの頼んだよ!
アキラ……戻って来い……タイラーのためにも。
お前を守って死んだカザリのためにも……頼む……」
ダーツは倒れ伏した全員を見回した。
「アキラ、見ろよ。お前のしでかしたことを……
これが救いか?
お前を信じ、お前の帰還を喜び、笑ってくれた皆を……
涙してくれた者たちを……
お前は裏切ったんだ!!」
アキラはゆっくりと皆を見回した。
うめき、苦しんでいる者、気絶し動かない者。
こんな目にあっても心配し見つめる目を。
「あれ……ボク……」
アキラの漆黒の炎を上げる瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
それは黒い涙ではなく、透明で美しいものだった。
「なんでボク……こんなことを……」
「アキラ!?」
呆然と立ち尽くすアキラの肩を一条の光線が貫いた。
アキラの背後で大爆発が起きて、アキラが吹き飛んだ。
ダーツも爆風に巻き込まれて激しく転がった。
「ぐぅあああ!?」
アキラの苦悶の声が上がる。
ダーツにはいち早く黒いモヤが見えたため、弾丸のように飛んでくる石つぶてや瓦礫をかわして致命傷は避けた。
だが爆風を避けることはできずに吹き飛び、大地を転がる。
「誰だ!?」
アキラは光が飛んできた方向を見た。
建物であった片鱗を残す残骸の上に、神々しいまでに美しき人物が麗しく光る翼を羽ばたかせて舞い降りた。
それに続き、何人もの人物が地上に降り立っていく。
アキラの前には、機械騎士レイザノール、魔法少女レレナ、死霊使いのイザナミ、そして天使長ミカエル、悪魔の紳士ルーシーがいた。
魔族の幹部たちに続くように夥しい数の悪魔軍団が地上に降り立つ。
彼らは一人の人物のために道を開けて両脇へと下がり、一斉にひざまずいた。
奥から現れた者、それは燦然と白く輝く美しい猛禽類の翼を緩やかに羽ばたかせ、妖しく光る瞳でアキラを見下ろした。
薄い茶色の髪を肩まで伸ばし、大きな目は蔑みの光をたたえている。
小さく可憐な唇は嘲笑に歪んでいた。
その顔は、アキラと瓜二つだった。
魔法少女レレナがゆっくりと立ち上がり、アキラに向かって大声で告げた。
「魔王陛下の御前である! 控えろ!!」